第32話 ホムラの原点

「聖灰黎明は知っているわよね」

「ッ」


 僕とローズが黒瘴こくしょう狼たちと戦う映像に驚いていると、理事長先生がある団体名を口にした。マチルダの表情が引きつるのが見えた。


「……はい。例の人権団体ですよね?」


 僕たちの事で勝手に騒いでいる、面倒な人たちだ。


「この映像はある同志によって撮影されたものだとして、先ほどその団体が発表したものなの」

「ッ! ですが、あの場所にいたのは僕たちだけのはずです!」


 僕の耳で確認した。一般人を戦いに巻き込んではいけないから、念入りに気配を探った。


「……けど、いたのでしょうね。ともかく、彼らはローズさんを仮想敵として、そしてホムラ君を神輿に担ぎ上げたわ」

「神輿って」

「彼らはこう主張する。鼠人族は最強だ。最弱と虐げられてきたのは、竜人族を筆頭とした者たちが、その力を恐れたからだ。アナタが黒瘴こくしょう獅子を倒した時の映像を証拠として固有覚醒能力、≪刹那の栄光オーバー・クロック≫の事すらも発表したわ」

「「ッ」」


 僕とカオリ先輩が息を飲んだ。


「更に霊航機の件にも言及したわ。黒瘴こくしょう竜の翼を斬ったのは、ホムラ君であってローズさんではないと。そしてまた、あの時、多くの人間がホムラ君を霊航機の外へと放り投げたのだと。これはあってはならない差別であり、聖霊協会や聖霊騎士団はこの事実を隠ぺいしたのだと。罪であると強く批判している」


 その言及は正しい。事実だ。


「だけど、余計な混乱と分断をっ」


 僕たちへの差別を許容しているわけじゃない。だけど、それを無理やり正そうとしたら、多くの混乱が生まれる。被害者が生まれてしまう。


 だから、ゆっくりゆっくり。七十年前からゆっくりと僕たちへの意識を、社会を変えてきた。


 大人たちが頑張って聖霊協会などと掛け合い、教育などを通して根付いていた差別意識を拭いとってきた。


 確かに未だにそれは残っている。けれど、それでも、確実によりよくなってきているというのに。


「……行動の是非はともかく、彼らの理念と感情は間違ってない」

「カオリ先輩?」

「……クイエム聖域にいる鼠人族は知らない。鼠人族の殆どが暮らしているからこそ、分かってない。ほんの僅かだけど外の聖域で暮らしている鼠人族の境遇を」


 カオリ先輩は僕を見た。


「……急進的でもいい。被害が出てもいい。今の苦しみをなくしたい。そういう鼠人族だっている」

「それは……」


 カオリ先輩は言い淀む僕から視線を外し、映像を指さしながらローズに尋ねた。


「……特殊能力、自然系炎?」

「え、はい。≪イグニス≫って言います」


 カオリ先輩が白群びゃくぐん色の鞘に納められた刀、霊装を展開して握る。そしてもう片方の手のひらの上に氷を浮かべた。


「……特殊能力、≪凍獄≫。≪イグニス≫と異能の特性が似ている。私が指導する」

「え?」

「……扱いが雑。このままだと霊管れいかんとか傷つける」

「うっ」

「……もうやった?」

「はい……」

「……なおさら。明日からでも練習する」

「よ、よろしくお願いします!」


 理事長先生が咳払いした。


「こほん。彼らの主張を世間が鵜呑みにするとは思いませんが、それでも確実に世の中は混乱するでしょう。しかし、ホムラ君やローズさんは対応する必要はありません。私たち学校が対応します」


 責任感の籠った声音でそういった理事長先生。


「とはいえ、何があるか分からないため、外出をするときは念入りにこちらで調整します。また学内で何かあった場合にはすぐに私たち大人を頼ってください。伝えたい事は以上です。そちらから何かありますか?」

「「いえ……」」


 僕とローズは首を横に振った。


「では、話は以上です。また何か緊急の問題が起こったら呼びます」


 僕たちは理事長室を出たのだった。



 Φ



 あれから一週間が経った。


 聖灰黎明の主張は世間を大きく揺るがすものであり、理事長先生の言葉通り大きく荒れた。


 特に霊航機の件は、口止めしていた乗客の数人がメディアに話してしまったため、アルクス聖霊政府や聖霊協会などが認めざるを得なくなった。


 幸い、黒瘴こくしょう竜の片翼の件に関しては決定的な証拠などが一切なかったため、というか証拠が僕の証言だけなので、疑念程度に収まったがそれでも聖霊協会や竜人族などに対してあらぬ噂などが広がった。


 そしてそれは僕や鼠人族に対しても同じで、聖灰黎明が公開した映像にセラムが黒瘴獣こくしょうじゅうを操る様子が映っていたこともあり、誹謗中傷が飛び交うようになった。


 事件調査をしていた警察と聖霊騎士団がそれに対してセラムの特殊能力だということなどを説明したのだが、それでも鼠人族が厄災の種族だとメディアで意見する人さえ出てしまった。


 また、聖灰黎明が僕の事を勝手に神輿として担ぎあげたことに、アルクス聖霊騎士高校とクイエム聖霊政府が強く否定と批判を行い、またテレポート系の特殊能力で聖霊騎士団から逃げ続けている灰の明星が、動画投稿サイトを通じて僕に関して声明を何度も発表し、混迷を極める。


 様々な噂や憶測が世間を飛び交い、しまいには今回のテロは鼠人族の自作自演によるものであり、鼠人族を断罪すべきだというデモまでに発展してしまった。


 そしてそういった様々な状況はアルクス聖霊騎士高校内にも伝播していた。当然僕のクラスも同様で……


「おはよう」

「お、おはよう……」


 前まではよく話していた友達も、僕と距離をとるようになってしまった。僕に関してのうわさ話はされないものの、必要以上に僕と関わってこないのだ。


 バーニーやマチルダとは話すものの、二人だって常に僕と一緒にいるわけではないので、ボッチの時間が増えてしまった。


「……はぁ」


 ここ数日はローズとあまり話せてない。ちょっとした隙間時間はもちろん、朝夕の鍛錬時間でも、カオリ先輩と≪イグニス≫の特訓をしているからだ。


 そっちの方がローズのためになると分かっているけど、やっぱりちょっと寂しい。


 その寂しさを紛らわすように、黙々と授業を受け、隙間時間で黒瘴獣こくしょうじゅうや霊力に関する勉学を行う。走り、筋トレをし、剣を振るう。


 そうしてもう一週間が過ぎて六月に入ったが、世間はまだまだ混迷し、嫌な噂を聞くことも増えていた。


 僕への噂はもちろん鼠人族やローズへの悪い噂も聞くようになった。特にクラス内では、僕や鼠人族への噂がない分、ローズや聖霊協会、騎士団などへの噂をよく聞くようになった。


 それでもバーニーやマチルダが強く注意してくれたから、最近では僕の周りではあまり噂話をしなくなったようだけど……

 

「では、ホームルームを終えます」


 今日の授業が終わり、ヘーレン先生が教室を出た。


「ホムラ君!」


 荷物をカバンにまとめていると、教室の扉からローズが喜々とした表情で顔を出した。僕は慌ててカバンに筆記用具等を詰め込み、ローズに駆け寄る。


「どうしたの?」

「≪イグニス≫の新技が完成したのよ!」

「それってカオリ先輩と特訓していた」

「そうよ! さっき完成したの!」


 さっきまで授業中だったのに、どうして完成するんだろう、という疑問はあるけど、ローズの嬉しそうな表情を見ると荒んでいた心が癒されるので、気にしないことにする。


 その時、クラスメイトの誰かが口を開いた。わざと微妙にローズに聞こえるほど声で言う。


「何が新技よ。こんな時に」

「やめなよ。最強様の竜人族の不敬を買ったら、圧力で抹殺されるわよ」

「口封じさせられるのよね?」

「全くいいご身分よ」


 ひそひそ話が伝播する。


「欲深い女が。僕たちを騙しやがって」

「どうせあの新技とかも、お姉さんの威光で手に入れた霊具なんだろ」

「入学首席の地位もAランク霊力だって、権力で手に入れただけなんだよ」

「いいよな。最強種族に、しかも最強の英雄の妹に生まれて。なんの努力もしなくていろんな栄光を手に入れらるんだぞ?」

「俺も竜人族に生まれたかったぜ」

「ずるいよな。っつか、あんな奴が聖霊騎士になっていいのかよ」


 もう、我慢できなかった。


「撤回して! ローズは君たちより努力してる! 勇気だって知恵だってある! 信念も持ってる! ここにいる誰よりも聖霊騎士に相応しい人だよ! 僕を、傷ついた聖霊騎士を助けるために黒瘴こくしょう竜と戦って、守って! すごくカッコよくて強い人を馬鹿にするな!」


 怒りが湧いてくる。抑えきれない。


「だいたい、世間の言葉に惑わされて、人を傷つけるような口端くちはばっかり! 種族を、生まれをねたんで悲観して、逃げてばっかり! そんなお前らこそどうしてこの学校に来てるんだよ! 聖霊騎士を目指して――」

「ホムラ君!」

「ッ」

 

 ローズが僕の手を握った。


「私は大丈夫だから。それよりも新技を見せたいから、鍛錬場に行くわよ。ね?」

「……うん」


 冷静なった僕は、少しだけクラスメイトに頭を下げた後、ローズと一緒に教室を出たのだった。



 Φ



「僕の高校生活どうなるんだろ……」


 教室で怒鳴った事を思い出し、溜息を吐いた。


 僕とローズの事もあり、今月もヘーレン先生霊薬学会への出張はバーニーとマチルダがついていくことになり、部屋には僕一人だ。


 陰鬱な気分になった僕は、ふと机の前に立て掛けてあった黒刀が目に入った。


「そういえば、手入れしてなかったな」


 僕は母さんの形見の刀である黒刀を手に取った。


 鞘を外し、刀身を柄から抜き取る。拭紙ぬぐいがみや打ち粉で刀身の汚れや油を取り、油布で薄く油を塗っていく。また鞘の中の汚れも拭き取っていく。


 少しだけ陰鬱な気持ちが晴れてくる。


 それでも溜息は漏れ、天井を見上げる。


「……母さん」


 四歳だった僕は、それはもう幼かった。


 〝浄灰〟を習得した僕は黒瘴こくしょう地帯に飛び出して冒険した。まだ見ぬ世界を見たいと思ったからだ。


 過去に戻れたら、その能天気な頭をぶん殴りたい。


 当時からよく遊んでくれていた兄ちゃんがそれに気が付き、他の聖霊騎士とともに僕を必死に探したらしい。


 そして兄ちゃんが僕を見つけ、クイエム聖域に帰ろうとしたその時、運悪くBランクの黒瘴こくしょう鬼に出会ってしまった。


 黒瘴獣こくしょうじゅうの脅威度ランクは内包する黒瘴気エネルギーで決まる。


 けれど、黒瘴こくしょう鬼は高い知能と武器を扱う技術、そして類まれなる強力な異能を有するため、内包する黒瘴気エネルギーと脅威度が一致せず、Bランクの黒瘴こくしょう鬼の実質的な脅威度はAランク相当になる。


 だから、十四歳にしてはとても強かった兄ちゃんでも一蹴されてしまい、僕と一緒に殺されそうになった。


 その時だ。その時、聖霊騎士だった母さんが僕たちを守った。


『逃げなさい』


 優しく微笑んで僕の頭を撫でた母さんは、黒瘴こくしょう鬼と戦い僕たちの逃げ道を切り開いた。


 けど、それで無茶をした母さんは致命傷を負い。


『……愛してるわ、ホムラ』


 ≪刹那の栄光オーバー・クロック≫を発動させた。


 僕の手には黒刀だけがのこった。

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