第8話 いい性格をしている

「お、お願い! 出してっ!」


 ドンドンと扉を叩く。


 下着姿のローズと二人っきりとか、死ぬ未来しか見えない! 


「最弱のクソネズミがわたくしと同等なんて、恥を知りなさい! ええ、わたくしは寛大ですわ。明後日には出してあげますわよ。それまで鼠人族に生まれた惨めに泣きわめいていなさい」


 扉の向こうから同じクラスのマチルダ・ドルミールさんの声が聞こえた。僕を睨んでいただった。


 明日の親善試合に出さないために閉じ込められたのだろう。


 でも、どうにも棒読みっぽい気がするような……って、今はそんなことどうでもいいっ!!


「出ないから、出して! 死ぬっ! 死ぬからっ!」

「……ごめんなさい」


 扉を必死に叩くが、マチルダさんは何故か申し訳なさそうに謝って、その場を去ってしまった。


 …………お、落ち着こう。落ち着け、僕。


 僕はマチルダさんに閉じ込められた。ここは第九準備室。埃の溜まり具合とかを考慮する感じ、物置として使用されていると思う。つまり、人は来ない。


 そして僕の後ろには下着姿のローズがいる。


 この際、ローズが下着姿な理由はどうでもいい。大事なのは、今、ローズが僕に死ぬほど殺気を飛ばしているということ。


 つまり、ローズに殺されないようにこの場を脱出するのが最優先だ。なら、兄ちゃんよく使っていた手がある! あたおか作戦だ!


 すぅっと息を吸った僕は、右手を抑えて悲痛な叫びを上げる。


「や、やめろ! ぐあぁあああああああ!! ……静まれ! 静まるんだ! 僕は、まだ世界を壊したくないんだ!! やめろ、やめて……く……れ……」


 言葉を弱々しくし、バタリと床に倒れた。ゆっくりと起き上がる。


「……フ、フハハ、フハハハハッ!! ようやくだ! ようやく、この肉体を我が手中に収めたぞ! フハハハハッ!!」


 僕は片手で顔を覆いながら、高笑いをした。


 ……別に僕の精神が誰かに乗っ取られたとかそういうわけではない。頭がおかしくなったわけでもない。


 これは演技だ。頭のおかしい演技をしているのだ。


 本人曰くラッキースケベ体質らしい兄ちゃんは、偶然、何度も女性の着替えや裸を見てしまったりしたらしい。胸を揉んだりもしたとか。


 その時、兄ちゃんは女性がドン引くほどの頭のおかしい振舞いをし、その場を切り抜けたのだ。女性が「辱めを受けた」と思わなければ、暴力的、または社会的に制裁を受けないのだ。


 実に有効だと僕は思い、今、実行しているのである。


 ……黒歴史を生成しているみたいでちょっと恥ずかしいが背に腹は代えられない。


「長きにわたり、その脆弱な身に黒瘴獣こくしょうじゅうの王たる我を封じたその意志を、この我が直々に讃えよう! だが、所詮はちり芥。我が力の前には無力に過ぎない」


 少しだけ悲しそうに目を伏せた。


「さて、七十年ぶりの世。しかも、今は人類の中に精神を潜り込ませている。これなら、大聖域の破壊すら容易いだろう」


 僕は扉に手を掛ける。


「手始めに、我を封印した者どもを殺すと……む? 鍵がかけられているのか」


 扉は開かない。


「ふむ。壊せばよいか」


 閉じ込められたのだ。後ろにはローズもいるし、後で証言してもらえば扉を壊した事で叱責されないだろう。


 今、何よりも大事なのはローズに殴られることなくこの場から逃げる事。


 だから、僕は霊力で強化した身体能力で扉を無理やりこじ開けて、逃げようとした。


 だが、その前に。


「ねぇ?」

「ッ!?」


 紅の剣が僕の首元に迫った。ローズだ。


 僕は“焔月”を召喚し、ギリギリで紅の剣を防いだ。しかし、ローズは僕の首を掴み、床に叩きつけた。


 関節部分にのしかかられ、僕は下着姿のローズに拘束された。


 その、こう、豊かなおっぱいとか、シミ一つない綺麗な肌とか、引き締まった美しいプロポーションとか。


 目のやり場に困るというか、ちょっとこうふん――


「一週間ぶりかしら、ホムラ君?」


 恐ろしい笑みと共に殺気が放たれた。僕はお慌ててローズの拘束を振りほどこうとする。


「ホムラ? ……ふむ。なるほど。この体の持ち主か」

「ッ!」


 僕は自分の長い尻尾をローズに向かって振り降ろす。ローズはそれにすぐに対応するが、一瞬だけ隙ができた。


「シッ」

「重いっ!」


 “焔月”をローズに振り上げた。もちろん紅の剣に防がれるが、それなりに威力を込めた一撃だ。ローズは衝撃を殺すために、僕から距離をとった。


 この隙に強行突破だ!


「小娘か。まぁ、よい。ちり芥に興味はない。まずは我を封印した――」


 あたおか演技を続けながら、僕はなりふり構わず扉を壊そうとするが。


「殺すわよ」

「ひっ」

 

 ローズが投げた紅の剣が僕の右頬を掠り、扉に突き刺さった。右頬からツーと血が流れる。


「次、頭のおかしい演技をしてみなさい。殺すわ」

「…………はぁ」


 逃げきれない。それを察した僕は溜息を吐き、両手をあげてローズに振り返った。


「久しぶりだね、ローズ。僕は君が心配で夜しか眠れなかったんだけど、元気そうで何よりだよ。あ、そういえば、ローズも明日の親善――」


 あたおか作戦が駄目なら、ニコニコ作戦だ。


 幸い、僕は童顔だ。背も低い。ニコニコと人懐っこい笑みを浮かべてまくしたてれば、どうにかなるかもしれな――


「言ったわよね。演技をするなって」

「あ、頭のおかしな演技はしてない……よ?」


 ローズの右拳が僕の左頬を掠り、扉に突き刺さった。左頬からもツーと血が流れる。


 ローズがにっこりと笑う。目は全然笑っていない。


「ねぇ、ホムラ君。私、物凄く怒っているの。何でだと思う?」

「し、下着を見たこと――」

「そんなことで怒るわけないじゃない」

「ひぃ」


 拳がもう一度僕の左頬を掠った。


「ろ、ローズを避けていた事で怒っているのかな……?」

「ええ、そうよ。よく分かっているじゃない。……で? どうして避けていたのかしら?」

「そ、それは、ローズが怖かった――」


 また、拳が僕の左頬を掠った。轟音が響き、扉が大きくへこんだ。あと、鍵が壊れた音も聞こえた。


「私のせいだと言いたいのかしら?」

「い、いえ。滅相も! ただ、ちょっと、近寄りがたかったかなぁ……と思いまして。あ、別に、ローズのせいじゃなくて、その、ね?」

「…………はぁ」


 ローズは固有霊装の紅の剣を扉から抜いて、僕から離れ、近くのボロい椅子に座った。


 その隣には準備室の備品と思われるキャスターがついた得点板があり、水が滴る制服が掛けられていた。


「“レーヴァテイン”・≪イグニス≫」


 ローズがそう呟くと、彼女の右手首に紅のブレスレットが現れた。同時に、紅の剣に炎がまとわりつき、濡れた制服を乾かしていく。


 ……紅のブレスレットが特殊霊装で、その異能は炎を生み出し操る力かな。自然系統の特殊能力はシンプルがゆえに、かなり強力なものが多い。ローズの≪イグニス≫もその例に漏れないだろう。


 ローズがゆっくりと口を開いた。


「あの日、私は必死に黒瘴こくしょう竜と戦ったわ」


 唐突にどうしたのだろう?


「けど、私は攻撃を防ぐことしかできなかった。傷一つつけることすら叶わなかったわ」


 その声音には悔しさがこもっていた。


 けど、違う。悔しさなんて感じる必要はないはずだ。


 ローズは僕たちを守ったんだ。敵うはずのない黒瘴こくしょう竜から僕らを守り切ったんだ。それは誇って――


「私はホムラ君に嘘を吐いたわ。皆で生き残ることを貫けなかった。霊力も尽きて、黒瘴こくしょう竜のブレスに貫かれて死ぬはずだったのよ」


 ローズが僕を見た。黄金の瞳が、僕を射抜いた。


「ホムラ君がブレスが切り裂いた光景も感触も言葉も何もかも覚えてるわ。私はホムラ君に助けられたの」


 ローズはそこで息を止め、僕を見た。


「だから、本当にありがとう」


 ローズの表情はとても真剣で感謝に溢れていた。けど、次の瞬間、顔が大きく歪められた。


「なのに、お姉ちゃんが言うのよ。いつの間にかテレビや新聞が報道してるのよ。私が黒瘴こくしょう竜の片翼を斬ったって。みんながそれを信じてほめそやしてくるわ」


 そのローズの表情は、一言では語れなかった。悔しさや怒り、悲しみにやるせなさなど、色々な感情が浮かんでいた。


「ホムラ君。私は許せないの。自分で掴み取ったものでないことで、評価されるのが」

「……それは才能の事も言ってるの?」

「ええ、そうよ」


 ローズはとても努力家なんだろう。生まれ持った竜人族としての才能に驕ることなく、努力を続けたんだろう。


 制服が乾いたのか。ローズは紅の剣に纏わせていた炎を消して、制服を着始めた。


 そして着替え終わったローズは、僕に紅の剣を突きつけた。


「明日の親善試合。私は全力をもってホムラ君を叩きのめすわ。だから、君も全力を出しなさい。出し惜しみは許さないわ!」


 有無を言わせないローズの声音に、僕は気圧された。


 同時に、準備室の扉が開いた。


「いや~、すまんな! 体冷えてへん? タオルと着替えを持ってきたんや――」


 褐色肌の丸耳ヒューマン族の女子生徒だった。僕とローズを見て固まった。


「お、お取込み中やったか? す、すまん――」

「いえ、問題ありません。先輩」


 ローズは紅の剣を消した。


「ホムラ君。明日を楽しみにしているわ。あと、扉の件とかは私の方からヘーレン先生に上手く伝えておいておくわ」


 そしてローズは先輩と呼んだ女子生徒と一緒に、その場から去ってしまった。

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