第10話 酒場と買い物
「どうやら俺以外にも外からこの世界に訪れた人間がいたんだな」
「あら、そうなの?」
知らなかったわ、とリオンが話す。
シンデレラの家の前で別れた後、酒場に戻るとしばらくしてからリオンはやってきた。
「今日はずいぶんと賑やかだな」
「当然じゃない、誰だってお酒は飲みたくなるわよ」
店内を見回してグリムは話す。前日は貸し切りだったが、今日の店内はほとんど満席だった。
「酒場は珍しいかしら?」
酒場の中を眺めていたグリムを不思議に思ったのか、リオンは頬杖をつきながらグリムを見つめていた。
「シンデレラの物語ならな」
シンデレラのお話の中に酒場は登場しない。けれど今この場所は誰がどう見ても酒場であり、町の人達が集ってお酒を飲んで楽しんでいた。
「まさか、ここもお前の仕業か?」
「その言い方だと私、悪者みたいじゃない」
ダンスを教える講師から話は聞いたと説明する。リオンはグリムの言い方に対して不機嫌そうな表情をするが、否定はしなかった。この場所は彼女によって酒場になった事をグリムは理解する。
「マスター、こっちにもいつものお酒を二つね!」
マスターと呼ばれた男はリオンの言葉に「あいよ」と相槌を打つとグラスにビールを注ぎ始める。いつもの、という単語から彼女が通い詰めていることが伺えた。
「安心しなさい、私のおごりよ」
「俺は飲むとは一言も言ってないが……」
「あら、もしかしてほんとはお子様だったかしら?」
「…………おごりって言った事、後で後悔するなよ?」
リオンの軽い挑発に対して少しだけ意地を張るように言葉を返す。
「ビール二人分お待ち!」
リオンにマスターと呼ばれた筋骨隆々な男が机に勢いよくビールを置く。
「とりあえず乾杯しましょうか」
互いにビールの入ったガラスの容器を手に持つとコンと音が鳴る程度に交わしてお酒を飲む。グリムは一口含んだ程度で口を離すがリオンはそのまま全て飲み干してしまう。
「一日終わりのお酒は最高ね」
「淑女とは思えない飲みっぷりだな」
うるさいわね、と少し愚痴をこぼしながらリオンは口と鼻の間についていた泡をタオルでふき取る。そしてすぐにマスターにおかわりと空の容器を差し出した。
せっかく元居た場所に戻っていたマスターはやれやれと新しいグラスにビールを入れてすぐに追加分を持ってくる。
「あなたも遠慮しないで飲みなさいよ」
2杯目のビールも彼女は勢いよく飲み始めた。
「ここに来ている人達も全員お前が関わった人たちか?」
「全員ではないわ。マスターが酒場を開いてからそれを知った人たちが集まるようになって……今ではこんな感じに満席になるぐらい賑わうようになったわね」
二杯目のビールを飲みほしたリオンは口を開いて説明する。流れるように3杯目をマスターにお願いしていた。
このペースで飲むならマスターがお酒を入れている席の近くに座ったほうがいいのではないかと思うがリオンの言った通り、店内はほとんど満席なのですでに座っている人達に席を譲ってもらうわけにもいかない。店内を駆け回るマスターには気の毒だなとグリムは同情してしまう。
「明日は町の中に買い物にいくわよ」
「買い物?」
「舞踏会に向けて色々なものを買うつもりだったの……ちょうど良く荷物運びも確保できたしね」
リオンは笑いながら話す。
「お前……シンデレラをこき使うのか」
グリムはあきれたようにリオンを見つめた。
「何言ってるの、荷物を運ぶのはあなたよ」
悪気のない顔でリオンはさらりと言う。彼女にとってこき使おうとしていたのはシンデレラではなく、グリムのことを指していたらしい。
「勝手に俺を荷物運びに決めるな」
「なら勝負で決める?」
何で勝負するのか聞くよりも先にリオンは手に持っていたグラスを見せつけてにやりと笑う。彼女と飲み比べをしても勝てるとは思えなかった。
「……わかったよ」
グリムは諦めたように溜息を吐く。リオンはふふんと勝ち誇った顔をするとそのまま手に持っていたグラスの中に入っていたビールを一度に飲み干してしまう。
「マスターおかわり!」
血液がアルコールで出来ているのではないかと疑ってしまう程、彼女の飲みっぷりはすさまじかった。
「明日はダンスの講義場もシンデレラ貸し切りだから、彼女を送ってから買い物開始ね」
お酒が運ばれてくるのを待ちながらリオンはグリムに明日の予定を告げる。
物語に支障がないように根回ししている辺りは流石だとグリムは感心する。
「朝にあの子を連れて行って、また夕方頃に迎えに行くわ」
マスターから嬉しそうに追加のビールを受け取るとすぐに口をつけて飲み始めた。
意地悪なシンデレラの姉が酒豪だったという話は聞いたことがない。しかし目の前の女性を見ているとそんな設定も実はあるのではないかと思えてしまう。
「明日は8時にこの家の入口で集合ね」
ビールを飲み干した彼女はそれだけ言うと来た時と何一つ変わらぬ足取りでマスターにお金を手渡しして酒場を後にした。
グリムは手元に置いてあった自身のグラスを持つと彼女を真似するように一気に飲み干そうとする。しかし途中で限界と感じてすぐに口を放した。
「……すごいな」
グリムは笑いながらにぎわう酒場の中で独り言を漏らす。そういえば昼間にも同じことを言ったなとグリムは自身の思考がお酒によって鈍っている事を自覚した。
◇
「それじゃ、いきましょか」
時間通りに来たリオンと共に町の中を歩く。他に用もなかったグリムは昨夜彼女に言われた通りに今日は買い物に付き合うことにした。
「今朝あの子を講習場に連れて行ったら講師が腰を抜かしていたわ」
「そりゃそうだ……」
いきなり一般の住民の家にこの世界の主人公が来て、しかも踊りを教えてほしいと言われたらそうなるだろうとグリムはあきれて声も出なかった。
◇
「着いたわ」
リオンに連れられて歩くこと数分、大きな看板に衣類の絵が描かれたお店の前に到着する。
「ここは仕立て屋か?」
リオンはそうよ、と肯定するとドアを開ける。後に続くようにグリムも店内に入った。
「やぁ、いらっしゃい」
店主がグリムとリオンを迎え入れる。店内を見渡すと荘厳なドレスがマネキンたちに着飾られていた。
「頼んだドレスはできているかしら?」
リオンが店主に話しかける。店主は相変わらず人使いが荒いなぁと言いながら部屋の奥から一着のドレスを持ってきた。
「ここの店主は服屋という役割なのか?」
気になったグリムは受け取ったドレスを真剣な目で確認しているリオンに聞く。
「ダンス講習の人と同じで別に服屋でもなんでもなかったわ。ただ服をこしらえるのがほかの人よりも上手だったから、どうせなら舞踏会の衣装を作ってもらいたいと思っただけよ」
「おかげで俺もいっぱしの仕立て屋さ」
店主は不満ではなく満足げに息を吐いた。その様子は前日に出会ったダンスレッスンの講師と同じものだった。
「さっそく着替えてみるわ……言っておくけど覗いたらぶっ殺すわよ」
そう言うとリオンは衣服やの奥の部屋に入っていった。
「彼女のおかげで何人もの人たちが生きがいを持つことが出来た」
ふくよかな体系をゆらしながら男性の店主がリオンを待つグリムに話しかけてくる。
「その話はもうすでに別の人から聞いたよ」
店主はそうかい、とリオンが他者に役割を与えている行為を知っているかのような反応を示す。
一体何人の人間に彼女は関わっているのかとグリムは改めて彼女に感心する。
「君は「白紙の頁」を持った人間かい?」
正確には違うが、いちいちすべての人間に説明するのも面倒なため、無言で肯定したような態度をとる。
「役割を与えてくれる彼女に君も何か役割をもらったらどうだい?」
店主の冗談とも本気とも言えない提案にグリムは肩をすかして笑う。
「ねぇ、グリムどうかしら?」
着替えを終えてドレスに身を包んだリオンが颯爽と奥の部屋から現れる。
「てっきりもっとド派手なドレスを着るのかと思ったよ」
リオンが来ているドレスはいくつかのバラの花の刺繡が入った大人びた赤色のドレスだった。
「あなた私の印象どう思っているのよ」
「人使いの荒いおせっかい」
「……もしかしなくても馬鹿にしてる?」
「さあな」
グリムがそう言うとリオンは下唇を軽く突き出してむっとする。からかわれていることが気に食わないようだった。
「このドレス気に入ったわ。さすが私の見込んだ仕立て屋ね」
「それはどうも、俺も舞踏会に参加する女性のドレスを作ることが出来てうれしいよ」
「また舞踏会の開催日が決まったら服を取りに来るわ、それまではここで保管お願いね」
ついでに舞踏会に参加する娘たち全員に腕のいい仕立て屋がいることを紹介するわ、とリオンが言うと店主は連日徹夜で仕立てかなと冗談を言って嬉しそうに笑った。
「じゃあまた着替えるわ、グリムはそこで待っていなさい」
着替えに戻ってから今度は5分ほどで元の格好になって戻ってきた。
「次は隣の家のアクセサリー屋にいくわよ」
「まさか次の人間もお前が?」
「なによ、ただ手先が器用な人だったから装飾品を作ってみたらと提案しただけよ」
さらりとリオンは言った。
その言葉を聞いて彼女が町の人全員の役割を決めているのではないかとさえ思えてしまう。
グリムは今日何度ついたかわからないため息を吐きかけたが、リオンの嬉しそうな笑顔を見て呑み込むと彼女と共に次のお店に入っていった。
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