第9話 灰被り少女
町の中を歩いていると、ある家の前に一人の少女が立っていた。
その少女を見てグリムは目を奪われた。
町を歩く人々に比べると汚れた衣服を纏っているからかと最初は思ったが、それだけではなかった。他の人々と比べてその少女からはただならぬ雰囲気を感じ取れた。
「…………?」
はっきりと見つめていたせいもあり少女と視線が交わった。
その場でただ立ち尽くすのも気まずいと感じたグリムは少女の目の前まで歩く。
「あなたは……もしかして外の世界から来た人ですか?」
こちらから声をかけるよりも先に少女に正体を見抜かれてしまう。
驚いたグリムを見て少女はふふっと口に手を当てながら笑った。
「どうして分かったのか……みたいな反応ですね、この世界の中で私を珍しい目で見る方はいないのですよ」
少女はバタバタと自分の服と髪についている埃を払い落とし、挨拶をする。
「自己紹介が遅れて申し訳ございません。私、シンデレラと申します」
「シンデレラ……」
この世界の物語と同じ名前を持つ少女、主役を担う人間だった。
挨拶をする前に服についていた埃を取り除いてはいたが、それでも名前の通り、頭に少しだけ灰をかぶっていた。そのことを指摘すると少女は顔を赤くして頭についた灰を取り払った。
日常生活の中で全身が埃や灰まみれになることはそうあり得ない。
おそらくいじわるな母親と姉に今日もいじめられたのだろう。
「どうして家の前で立っていたんだ?」
「それは……お母さまとお姉様に今日はその姿で一日中立っていろと命令されたので……」
少女は視線を落としながら答えた。すでに日は完全に沈んでいる。
下手をすれば少女は丸々一日ここに立たされていた事になる。
疑心は確信に変わった。シンデレラは明らかに陰湿ないじめを受けていた。
「まだこの世界の物語は本格的に始まっていない。無理に姉達のいうことを聞く必要はないんじゃないか?」
グリムがシンデレラに尋ねると彼女は口元に手を当てて無邪気な笑いをこぼした。
「あなたも姉さんと同じようなことを言うんですね」
「意地悪な姉と同じことを?」
「意地悪じゃない意地悪な姉さんです!」
彼女は真剣な顔で答えた。意地悪じゃない意地悪な姉という言葉はおかしい気がするが、彼女が誰の事を言っているのかグリムはすぐに理解する。
「わかってはいるんです。ただ私が意見を言うのが苦手で……」
「あの姉とは対極的だな」
シンデレラの姉と彼女は血が繋がっていないことをグリムは物語の話から思い出す。血が繋がっているから似ているというわけではないが、凛々しい容姿をしているリオンに対してシンデレラの顔にはまだは幼さがあった。
リオンが綺麗な緋色の髪と瞳をしているのに対して、彼女は澄んだ金色の髪に緑色の瞳を持っていた。服装と埃だけでは分かりづらいが、一目で目を引くほどには彼女もこの物語の主人公にふさわしい綺麗な容姿である。
「お姉さまのことを知っているのですか?」
グリムはシンデレラの問いに「まぁな」と答える。
あのおせっかいな姉によって今のグリムは生きていると言っても過言ではなかった。
「お姉さまはその……大丈夫ですか?」
「ん?」
シンデレラは不安そうな顔をした。
「お姉さまは......優しすぎます」
不安そうな表情とその言葉でグリムは彼女の言いたいことがなんとなく分かった。
「与えられた役割を担っていないか?」
シンデレラは無言で首を縦に振った。
「姉さんが言うように、まだこの世界の物語は本格的には始まってはいません。でもだからといって必ずしも影響がないとは言いきれない」
彼女の言うことはもっともだった。例え物語の本筋に沿っていない場所でも与えられた役割に沿っていない行動をしていると世界に判断された場合、その時点で燃えてしまう可能性は十分にある。
「私はお姉さまのことが好きです。だからこそ消えてほしくないんです」
「意地悪な姉の事が好きっていうのも危険かもな」
グリムが言うとシンデレラははっとした顔をして慌てて口を紡ぐ仕草をする。
彼女はシンデレラという役割を持っている以前に純粋に優しい。だからこそ自分の事を気にかけている姉を思いやっているのだ。
「物語が本格的に始まっていないなら、よほどのことが起こらない限り燃えることはないはずだ」
グリムは淡々とシンデレラに話す。それを聞いて彼女はほっと胸をなでおろした。
先ほど似たような仕草をする彼女の姉の姿を見たのを思い出す。
血は繋がっていないがやはり姉妹だなとグリムは少し笑ってしまう。
「きっと私は前世で頑張ったのでしょうね」
「それは……転生論か」
少女の言葉にグリムは反応する。
転生論、それは与えられた役割を全うしたものは別の世界で前世よりも優れた役割で生まれ変わるという言い伝えである。
いくつかの世界を旅してきたグリムでも前世の記憶を持った人間に出会ったことはなかった。それ故にこの論理が正しいのかどうかわからなかった。
「……私、何か気に障る事を言いましたか」
「いや、なんでもない」
無意識のうちに顔をしかめてしまっていたのか、シンデレラが申し訳なさそうにこちらを見てきたので慌てて笑顔を取り繕う。
グリムはあまりこの転生論の事を良く思っていなかった。
どんな役割を与えられたとしても生まれ変われる。だから損な役割でもそれを受け入れて生きればいい。「頁」に与えられた役割に黙って従って生きれば良いという考えがグリムは嫌いだった。
「それでも……与えられた役割の中で懸命に生きる人間はいるんだよな」
グリムはこの世界で最初に出会った女性の顔を思い浮かべた。
「誰の事ですか?」
「それは……」
「わたしも聞いていいかしら?」
背後から声がすると同時に軽く背中を叩かれる。振り返るとそこには頬を膨らませて怒った表情をしたリオンがいた。
「盗み聞きとは人が悪いな」
「聞かれて困るような話なら私の家の前で話さないでくれるかしら」
「二人は仲が良いのですね」
シンデレラがふふっと笑う。グリムとリオンは「別によくない(わ)」と同時に声が重なり、再び言い争う。
「それはそうと……あなた、どうして外に立っているのよ」
リオンがシンデレラに向き直って理由を尋ねた。
「それは……」
シンデレラは言いよどんだ。リオンはそれだけで彼女の身に起きた内容を理解したようだった。
「あなたもいい加減、町の中を見て回ったらどう?」
「でもお母様達の命令は絶対だから……」
シンデレラは下を向いて声が小さくなる。普段から意地悪な義母たちに苛烈ないじめを受けているのがその様子から見て取れた。
リオンはふぅと息を吐くとシンデレラの前に立つ。シンデレラは弱弱しい目で姉を見上げた。
「シンデレラ、あなた明日から私と一緒にダンスレッスンに来なさい」
「え、でも」
「なら「意地悪なシンデレラの姉」として命令するわ。明日から私の行動に付き添いなさい」
付き人としてこき使ってあげるわ、とリオンは付け加える。
「それならシンデレラとしては何一つおかしな行動はしていないな」
グリムはなるほどと彼女の言葉に感心しながらシンデレラを見る。
「あなた、ぶっつけ本番でダンスを踊るつもりなの?」
ダメ押しといわんばかりにリオンが言葉を加える。
「それは……」
「それは王子様にもシンデレラとしての役割にも失礼じゃない?」
「そ、そうですね……」
「はい、決定ね。私は今日もう疲れたから部屋に戻るわ。明日は朝7時にここに集合ね」
言い終えるとシンデレラの返答も待たずにじゃあまた明日、と手を振ってリオンは家の中に入っていった。
「……ずいぶんと忠実に「意地悪なシンデレラ姉」を演じているな」
グリムは笑いながら呆然としているシンデレラに話しかける。
シンデレラ対して一方的に主張をしてその場を離れた彼女は「意地悪なシンデレラの姉」という与えられた役割を見事にこなしていた。
我に返ったシンデレラは周りをきょろきょろと見回すとふっと腰が砕けるようにその場に座り込んだ。
「お、おい大丈夫か」
「大丈夫です、すみません。一度に大量の事を言われてしまって頭が真っ白になりました」
あははとシンデレラは笑いながら答える。
「あいかわらず自分以外の人を思いやる素敵なお姉さまです」
シンデレラは嬉しそうに話した。
「朝はやくから急用が入ったので私も今日は早めに寝ますね」
おやすみなさいというとシンデレラも家の中に入っていった。
お休みなさいというにはまだ早いような気もするが、リオンに舞踏会の練習に誘われたことが嬉しくて時間も忘れてしまったのかもしれない。
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