1-10 神様だってマッサージされたい
お風呂を上がった神様とアーリィは
ゆっくりとした足取りで廊下を歩いていた。
アーリィは歪な足取りの神様の手を取り、
歩幅を合わせている。
神様は白地に黒の水玉があしらわれた
ガーゼ素材の浴衣を着ていた。
遠くの街では祭りや踊りの衣装として使われるらしい浴衣だが、
神様は着たり脱いだりが楽なので寝間着に使っている。
アーリィは黒いシャツに膝上のショートパンツと
運動していたときの衣装と似たりよったりな姿だ。
「神様、足の痛みはどうでしょう?」
「さっきよりは良くなったも~。
痛いけど、ひとりで歩けるも~」
そうやりとりをしながら神様たちは、
神殿の奥にある神様の私室にたどり着いた。
街の中心の中心であり、
神様が降臨した場所であり、
神様がもっとも体を休めることができる場所だ。
なので獣などが襲ってこないような結界は当然として、
ひとよりは牛に快適な温度や湿度になるよう、
神様の部屋だけは木で作られている。
クローゼットなども木製で、
敷かれたラグは牧場の芝生のような
心地よさが感じられる特別性だ。
なので神様の部屋は裸足がもっとも居心地が良い。
神様もアーリィも靴を脱いで部屋に入った。
神様は糸とワラを合わせて紡がれた
特別なベッドの上に腰掛ける。
「も~、疲れた~」
「食事がまだなんです。
このまま寝ないでくださいよ」
「分かってるも~。
アーリィ、そんなこと言うくらいなら
早くマッサージしてほしいも~」
神様は文句を言いながら足をぶらぶらとさせた。
アーリィは神様の前に座り、
落ち着きがなく動く右足を掴む。
「はいはい、もみますよ」
アーリィは言いながら、
神様の足をさすった。
足を痛くさせないよう気を使っているのか、
あまり力が入っていない。
「もっ……、えへへ」
「なんて声出してるんですか」
「だって、くすぐったくて……。
もうちょっと強くしたり、
もんでも大丈夫だも~」
神様はヘラヘラ笑いながらアーリィに言った。
アーリィは言われた通り少し指に力を入れる。
「痛かったら言ってください」
「うん、でも、今は気持ちいいも~」
思わずマッサージされている足を動かしたくなる。
それくらい神様は機嫌のいい声で言った。
アーリィは顔を隠すようにさらに下を向き、
マッサージを続ける。
「そうですか。
素人のマッサージでも効果ありそうでよかったです」
「お風呂のときからだけど、
アーリィがお世話してくれるから効果あるんだも~」
神様は機嫌のいい声のまま、
素直に思ったことを伝えた。
アーリィは手を止めなかったが、
口は止まってしまう。
「……アーリィ?」
「いえ、今日はいいですけど、
そのうちちゃんとした
マッサージ師を呼んだほうがいいですね。
まあツテがないので、
いざ呼ぶとなると、
どうすればいいか分かりませんが」
「街で探せばいいも~。
レッちゃんみたいに向こうから名乗り出てくれるも~よ」
「レッツさんみたいにうまくいきません。
ああいう方はもっと大きな街にいるものだと思うんですが、
なんでこの街に来たのか気になりますね」
「関係あるかどうか分からないけど、
最初にレッちゃんを見たのは本屋さんだったも~。
『好きな男の子を催眠術にかけて連れてきたけど、
返したほうがいいかもしれない』
ってタイトルの本を買ってた」
「なんつー、タイトルの本だよ」
アーリィは思わず敬語をやめてつぶやいた。
「大きな街ではああいうのが流行ってるも~?」
「まあ、それはないでしょう。
ほしがるひとはいるみたいですけど……」
言いながらアーリィは手を神様の左足に持ち替えた。
神様はまた薄ら笑いを見せる。
「神様がそういう顔をするので、
俺はちゃんと専門のひとに依頼したいって話してるんです」
「気持ちよくて、くすぐったくて、
懐かしい感じがするからいいも~」
「そんな感覚あるんですか?」
「顎を撫でられるような感覚だも~。
牛だった頃にされたのが気持ちよくて、
くすぐったかったのを今思い出したんだも~。
誰にしてもらったとかは、
思い出せないけど」
「多分、前の神官――俺の親戚のおじさんでしょう。
たくさんの牛の世話をしてたので、
後に神様になる牛にそういうことをしていたかもしれません」
「ん~、違うひとだったと思うけど……」
神様は気になって腕を組み、思い出そうと考えた。
アーリィは手を動かしながら言う。
「ミノリ様に限らず神様は、
転生の際に前の動物だった頃のことは
ほとんど忘れるらしいです。
別の存在として生まれ変わるのだから当然ですけど」
「なんか悲しいも~ね」
「ですが、神様として
生まれ変わるきっかけになる出来事というのは、
うっすら覚えているようです。
気持ちいいのかくすぐったいのかは分かりませんが、
神様が神様になったきっかけはその出来事だったのでしょう」
アーリィは神官として
知っていることを淡々と説明した。
神様はその説明を聞いて、
関係なさそうな感想を持つ。
「なんか思い出を話すみたいな声だも~。
アーリィはわたしが転生するきっかけを知ってるのかも~?」
「もちろん分かりませんよ。
神様が生まれるには、
この世界に住む存在たちの、
強い信仰、強い願いがあって叶う奇跡……
なんて、抽象的なことしか分かっていないんです」
「そっか~。懐かしいって
気持ちの理由は知りたかったけど、仕方ないも~」
神様はつまらなそうな声でつぶやいた。
アーリィはため息混じりに疑問をぼやく。
「俺は自分がどうして、
神官としてやっていけるのかも気になりますけどね」
「アーリィは優しくて
頭がいいからじゃないのかも~?」
「それではせいぜい神殿の事務長が限界ですよ。
神官になるには、神様と縁と特別な素質が必要です。
もちろん、その縁も素質もわからないことだらけですが。
はい、おしまいです」
「え~、も~終わりなの~?」
アーリィの手が離れると、
神様はわがままな子供のように足をバタバタさせた。
アーリィは立ち上がって時計を見る。
「そろそろ食事の時間です。
たくさん運動して疲れただけじゃなくて、
お腹も空いていると思いますが?」
聞かれると神様のお腹が鳴った。
アーリィは手を差し伸べて優しく言う。
「ちゃんと食べて、休んで、明日もがんばりましょう」
神様はうなずいてアーリィの手を取った。
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