第八話 大いなるバズりの予感 ①
探索者の強さの秘訣である、【聖気練武】の技を教えてほしい?
しかもわたしと協力してではなく、自分だけでイレギュラーを倒す?
正直なところ、わたしは黒髪の少年が何を言っているのか理解できなかった。
黒髪の少年はわたしと同じ16、7歳ぐらいだろう。
ダンジョン内は地上世界と違って、モラルや職業観もかなり異なっている。
実際の生死にかかわるわたしのような探索者を選んだり、彼のような荷物持ちをして日銭を稼いでいる少年少女たちはかなり多い。
なので、それをどうこう言うことはしない。
しかし、ダンジョンにはダンジョンの常識というものが存在している。
イレギュラーという凶悪な魔物などはその最たる例だ。
「あなた、自分が何を言っているのかわかってるの?」
「もちろんです。その【聖気練武】について詳しいことはわかりませんが、この黄金色の光に包まれているときは普段とは比べ物にならないほどの力が湧いてくる。もしかすると、この力を上手く使えばイレギュラーだって倒せるかもしれない」
馬鹿じゃないの。
そんな簡単にいくはずないじゃない。
わたしは奥歯をきしませた。
やはり黒髪の少年は荷物持ちだ。
どんなマジックを使って【聖気練武】が使えるようになったかは知らないが、強力な武器というのは手に入れても扱い方を知らなければ何の意味もない。
仮に使い方を学んだとしても、一人前に使いこなすのには膨大な鍛錬の時間が必要になる。
料理の知識や技術もない子供でも包丁は手にできるが、その子供が包丁を持った途端にプロレベルの料理を作れないのと一緒だ。
そう、何事にも時間が必要だった。
わたしたちのいる〈武蔵野ダンジョン〉もそうである。
この日本にダンジョンという摩訶不思議な地下世界が出現して数十年。
当時の日本政府やお爺さまが設立したダンジョン協会(正式名称は迷宮探索協会)の前身――〈
地上世界と地下世界を繋ぐ出入り口にダンジョン協会の本部を設立し、そのダンジョン協会を囲むようにして迷宮街という一大地下都市が建設されたからだ。
同時にダンジョン協会が定めたルールを中心に、探索者制度なども年月が経つごとに整備されていった。
探索者の実力に応じた細かなランク制度も導入し、近年では地上世界の環境庁や民間企業と協力して自動追尾型のドローン技術も開発。
最初はダンジョン探索中の探索者の行方不明を少なくし、危険な魔物が出没する地域の詳細な特定のために開発された技術だったが、そのドローンの映像を利用して配信活動をする探索者が現れた。
配信活動が始まった頃は色々と問題もあったが、中級クラスのB級探索者から配信活動ができるというダンジョン協会のルールによって〝探索配信者〟という新たな職業も世間に受け入れられつつある。
地上世界で謎の感染症のパンデミックが起こったことも相まり、探索配信者の知名度はネットを通じて爆発的に認知されるようになったことも大きかった。
当然ながら短時間でできたことではない。
多くの人間の絶え間ない努力と労力を注ぎ込まれた末、こうして危険な魔物たちが存在している〈武蔵野ダンジョン〉内を探索して稀少なアイテムや未知の素材を入手できるまでに至ったのだ。
それなのに黒髪の少年は何様のつもりなのだろう。
【聖気練武】の技も一朝一夕で会得できるものでは決してない。
漫画、ゲーム、アニメの中では魔法という便利すぎるものが存在するが、魔物がいる〈武蔵野ダンジョン〉の中ですら魔法はさすがに存在しない。
代わりに存在しているのが【聖気練武】という特殊能力である。
もちろん、この【聖気練武】は人間ならば誰でも習得して使うことができる。
とはいえ、その習得には文字通り血を吐くほどの肉体鍛錬と【聖気練武】の知識を有する師匠の存在が必要不可欠。
わたしもお爺さまに幼少期の頃から厳しく鍛えられ、それこそ一般人はほとんど意識していない正しい呼吸法から訓練を始めた。
それだけではない。
お爺さまの高弟であるA級やS級探索者のダンジョン探索に同行させてもらい、実戦でどのように【聖気練武】を使って魔物を倒したり稀少なアイテムを入手するのかを間近で学ばせてもらったのである。
結果、わたしは16歳という若さでA級探索者になるほどの実力を身につけた。
なのに、黒髪の少年はあっけらかんと【聖気練武】を教えろと言う。
「ギョオオオオオオオオオオオオオオ」
ビリビリと空気が震えるほどの叫声が響き、邪悪なオーラがどんどんこの場所に近づいて来るのが肌感覚でわかった。
もうすぐイレギュラーが戻ってくる。
わたしたちを食い殺すために。
「わかったわ。やれるものならやってみなさい」
わたしは愛刀を手の内でくるりと回転させ、柄の部分を黒髪の少年に向ける。
「わたしの刀を貸してあげる。その刀に〈聖気〉をまとわせる〈周天〉の技を使って、あいつの2つの首を斬り落とすことができれば勝機はあるかもしれない」
そうは言っても相手はイレギュラーだ。
下手をしたら2つの首を落としても死なない可能性だってある。
しかし、それを考えても仕方がなかった。
黒髪の少年が逃げてくれない以上、このままでは2人とも死ぬ。
だからこそ、わたしは黒髪の少年に愛刀を貸すという行動を取った。
本心は今すぐ逃げてほしかったが、どうやら黒髪の少年は可愛らしい見かけと違って強情のようだ。
心の底から死の恐怖を感じないと、逃げるという選択肢を取らないだろう。
ゆえに黒髪の少年に刀を貸し、どう足掻いても荷物持ちにはイレギュラーと闘う資格がないことを自覚させる。
逆立ちしてもイレギュラーには勝てないとわかれば、この黒髪の少年はわたしのことなど放ってここから一目散に逃走するだろう。
それでいい。
2人とも死ぬぐらいなら、どちらか1人が生き残ったほうがはるかにマシだ。
わたしは誇り高いA級探索配信者。
荷物持ちの少年を逃がすために命を張ったのならば、きっとお爺さまやあの人も立派な最後だったと褒めてくれるに違いない。
などと思いながら、わたしは愛刀をずいっと黒髪の少年に差し出す。
「さあ、早く刀を取って。そのあとに〈周天〉のやりかたを教えるから」
そう言ったのだが、黒髪の少年は刀を見つめるだけで手に取ろうとしない。
「どうしたの? 早く受け取りなさい」
「すいません。その刀は受け取れません」
わたしは首をかしげた。
「何で?」
「いえ、その、はっきりとした答えはないんですが、僕は武器を持って闘いたくはありません。以前からそうだったんです。僕はどんな武器にも、それこそナイフ1本持つだけで抵抗感があるんです。そのナイフを工作や調理に使うのならまだ抵抗感は少ないのですが、魔物相手に闘うとなったらもうダメなんです」
「な、何よそれ……」
開いた口が塞がらないとはこのことだった。
では、この黒髪の少年はどうやってイレギュラーと闘うつもりなのか。
「お願いします。素手であのイレギュラーと闘う方法はありませんか?」
素手と聞いてわたしは表情を歪めた。
【聖気練武】の多種多様な超常的な技の中で、素手の技に特化した技となると1つしかない。
「あることにはある」
わたしは正直に答えた。
「全身にまとわせた〈聖気〉を拳に集中させて、爆発的に攻撃力を上昇させる〈
でもね、とわたしは釘を刺す気持ちで言葉を続ける。
「〈
「教えてください! その〈
黒髪の少年は言葉を途中で遮り、頭を下げんばかりに懇願してくる。
ああ、もうどうなっても知らないわよ!
わたしは半ば自暴自棄になり、舌打ちするのを堪えながら黒髪の少年に〈
〈丹田〉で練り上げた〈聖気〉を、攻撃する手の掌の真ん中にある〈
殻のついた卵をはっきりとイメージすることができたら、今度はその〈聖気〉で模った殻のついた卵を握り潰し、拳全体が〈聖気〉の炎で激しく燃え盛るイメージを浮かべることを。
ただし、これらの一連の流れを確固たる現実なものとして強くイメージしなければならない。
完全にイメージができれば以後は簡単に使うことができるが、そのイメージが上手くいかずに〈
〈
なぜなら、この〈
そんな〈
どうせできるはずがないわ。
わたしがため息を吐いたときだった。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ――――…………
わたしは目を剥いた。
一瞬、目の前の光景が現実なのか空想なのかわからなくなった。
黒髪の少年はわたしの説明を聞いて実践するなり、いとも簡単に右手に〈
それも〈聖気〉の練り上がり方が尋常ではない。
A級探索者の中クラスか、下手をすると上クラスの威力があるかもしれない。
このとき、わたしは少なからず希望を見出した。
これだけの威力を持つ〈
「すごい、これが〈
黒髪の少年がぼそりとつぶやいた直後である。
「ギョオオオオオオオオオオオオオオオオオオ」
イレギュラーが無数の大木をなぎ倒しながら戻ってきた。
遠目からでも4つの目が怒りで怪しく輝いているのが見て取れる。
「僕の名前は拳児です」
わたしはイレギュラーから黒髪の少年に顔を戻す。
「あなたの名前を教えてくれませんか?」
こんなときに何を言っているのかと思ったが、あまりの異常な出来事の連続で思考が鈍っていたわたしは条件反射的に答える。
「伊織……成瀬伊織」
「ありがとうございます、成瀬さん。あなたが教えてくれたこの技で、絶対にあいつを倒してあなたを助けます」
そう言うと黒髪の少年――拳児は地面を強く蹴ってイレギュラーへとダッシュしていく。
わたしはただその様子を眺めていた。
拳児の〈
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