第七話 【聖気練武】という特殊能力
やっぱり無謀だったかな。
双頭のワニから放たれる突風のような殺気を一身に受けたとき、ほんの少しだけ後悔の念が湧き上がってきた。
それほどまでに双頭のワニの迫力は凄まじいの一言だった。
こうして対峙するとよくわかる。
周囲の景色を歪めるほどのオーラが、全身から陽炎のように立ち昇っている。
ふと気づけば鳥の鳴き声がすべて消えていた。
野生の動物や鳥たちも気づいたのだろう。
この開けた場所には恐ろしい化け物が存在している、と。
僕はごくりと生唾を飲み込んだ。
正直なところ、実戦経験がほぼ皆無な僕と双頭のワニ――イレギュラーでは勝負にならない。
それこそまともに闘っては瞬殺されるだろう。
とはいえ、
相手は人語を話せない魔物、しかも魔物の中でもさらに異質な存在のイレギュラーである。
降伏や命乞いなど何の役にも立たないことは明白だった。
だったら、僕がやるべきことは1つ。
僕はちらりと栗色髪の少女を見やる。
彼女は自動追尾型のドローンを持つ探索配信者だ。
僕は上空でホバリングしているドローンに視線を移す。
十中八九、彼女はあのドローンを通じて今もこの状況を配信している。
栗色髪の少女がどれぐらいのチャンネル登録者数を持つ探索配信者かはわからないが、数十人から数百人の人たちが視てくれているのならチャンスはある。
もちろん、イレギュラーを倒すチャンスではない。
僕が囮となってこの場からイレギュラーを遠ざけることで、怪我をして動けない彼女の命が助かるチャンスだ。
あのイレギュラーさえ彼女から遠ざければ、配信を通じて彼女のリスナーが何かしら動いてくれるだろう。
他の探索配信者や探索者専用の掲示板に助けを求めたり、ダンジョン協会にも連絡して誰か近くにいる探索者に応援を頼んでくれるかもしれない。
いや、それを前提に動く必要があった。
どちらにせよ、まずはイレギュラーをこの場から遠ざける。
などと決意したときだった。
「そこのあなた!」
栗色髪の少女が僕に向かって叫んだ。
「さっさとここから逃げなさい! そいつはイレギュラーと呼ばれる凶悪な魔物よ! 荷物持ちのあなたがどうこうできる相手じゃない!」
「わかってます!」
すかさず僕は大声で返事をする。
「あいつがイレギュラーだということも、あなたが怪我をして動けないでいることも全部わかってます! だから、ここは僕に任せてください! あなたからあいつを遠ざけてみせますから!」
掛け値なしの本音だった。
戦闘要員ではない荷物持ちとはいえ、僕もこの半年間は【疾風迅雷】のメンバーとして危険な日々を送ってきた1人の男である。
どんな過酷な状況でも荷物を守り、自分の身体も必死に守ってきた。
そしてそのときは常に疲労困憊という身体の異常に苛まれていたものの、今はなぜか身体が軽くて体調的には絶好調。
確かにイレギュラーは強力な魔物だが、恐ろしいと思いながらもなぜか逃げおおせると感じている自分がいる。
不思議な気分だった。
自分の両腕にまとわれている黄金色の光のせいだろうか。
燦然と輝く朝日のような、どこか温かな感じがする不思議で聖なる光。
この聖なる光が全身に覆われたなら、あのイレギュラーとさえまともに戦えるかもしれない。
そんな自惚れが込み上げてくるほど、僕の両手を包んでいる黄金色の光からは確固たる力が感じられた。
そう、この黄金色の光が全身を包んでくれたのなら――。
などと僕が強く思ったときだった。
突如、黄金色の光に変化が起こった。
まるで僕の意志に呼応したかのように、両手を包んでいた黄金色の光が瞬く間に僕の全身を覆っていったのである。
やがて黄金色の光に全身が覆われたとき、どんどん身体の奥底から力が湧き上がってきた。
特にへそ下の辺りの熱さは異常だった。
たとえるなら、メラメラと燃える火球がへそ下で回転しているような感じだ。
「ギョオオオオオオオオオオオ」
身体の底から湧き上がる力に戸惑っていると、イレギュラーは耳朶を激しく打つ雄叫びを上げながら行動を起こした。
二足歩行から四足歩行へと体勢を変え、僕を噛み殺す勢いで大口を開けながら突進してきたのだ。
10メートルはあった間合いが、あっという間に詰まっていく。
「くっ!」
僕はその素早さに驚き、何とか猛進を回避しようとした。
けれども、当然ながら自分も突進するという選択肢はない。
そんなことをすればイレギュラーと衝突してバラバラになってしまう。
では左右に跳んで攻撃を避けるべきか?
いや、相手は腐ってもイレギュラー。
荷物持ちの僕が左右のどちらかに回避行動を取ったとして、相手はスピードを落とさずに方向転換することも十分に可能なはず。
だとすると万事休すだ。
左右に避けても無駄ならば、後方に逃げることなど悪手の極みである。
どうする!
僕は数秒というわずかな時間に逡巡した。
そのときである。
「両足に力を込めて、斜め上に跳んで!」
僕の耳に栗色髪の少女の声が聞こえた。
その凛然とした声に従い、僕は地を這うように直進してきたイレギュラーの真上を跳び越すような気持ちで両足に力を込める。
直後、信じられないことが起こった。
僕の肉体は背中に翼が生えたかの如く飛翔し、イレギュラーを軽く馬飛びして栗色髪の少女の近くに降り立ったのである。
「…………え?」
僕の口から思わず素っ頓狂な声が漏れた。
無理もない。
普段は数十センチほどしか跳躍できなかったのに、今は軽く5メートルは跳躍したのだから。
一方、イレギュラーはぶつかるべき標的が一瞬で消えたことに気づかなかったのだろう。
そのまま開けた場所を突き抜け、大木をへし折りながら遠ざかっていく。
僕は自分の身に起きたことよりも、イレギュラーがこの場からいなくなったことに歓喜した。
本当のチャンス到来である。
イレギュラーが戻ってくる前に、栗色髪の少女と一緒にここから逃げるのだ。
「さあ、早くここから逃げ」
ましょう、と栗色髪の少女に手を差し伸べたときだ。
「どうしてあなたは【聖気練武】を使えるの!」
僕はキョトンとした。
【聖気練武】。
それはあまりにもリアルすぎる夢の中で聞いた言葉だった。
とはいえ、僕には【聖気練武】と言われても何のことかわからない。
だから僕はそのことを正直に話した。
加えて簡潔に自分が単なる荷物持ちだということも説明する。
「嘘をつかないでちょうだい! あなたは今、上位探索者しか習得を許可されていない【聖気練武】の技を使っているのよ! その身体にまとっている〈周天〉も、常人をはるかに超える跳躍力を発揮する〈
そう言われても大変に困る。
本当に知らないものは知らないのだから。
そこで僕は「ん?」と首をかしげた。
両目を細めて栗色髪の少女を凝視する。
すると栗色髪の少女も黄金色の光に包まれていることに気づいた。
「あなたも黄金色の光に包まれているんですね?」
「まさか、わたしの〈聖気〉も見えるの?」
「ええ、はっきりと」
「せ、〈
栗色髪の少女は唖然とした。
「あなた普通じゃない。やっぱり荷物持ちなんて嘘なんでしょう? さては荷物持ちのコスプレ好きな上位探索者ね」
僕はどう答えていいかわからず表情を歪ませた。
さすがに【聖気練武】やコスプレなどと意味不明な単語を並べられても困る。
と、僕が頭をかきむしったときだ。
「ギョオオオオオオオオオオ」
その雄叫びを聞いて、僕と栗色髪の少女はビクッと身体を震わせる。
余計な時間を浪費している間に、イレギュラーが戻ってきてしまったようだ。
「ねえ、あなた〈
突如、栗色髪の少女がたずねてきた。
「〈保健功〉って何です?」
「〈聖気〉を使って体内の治癒力を高めて怪我を治す【聖気練武】の技の1つに決まっているじゃない。わたしは攻撃系に特化した〈
「すいません。その〈保健功〉とやらは使えません……というか、その言葉も初めて知りました」
もう、と栗色髪の少女は地面を叩く。
「ダメだわ。完全に打つ手がない。このままイレギュラーが戻ってきたら2人とも殺される」
そう言うと栗色髪の少女は、僕に真剣な眼差しを向けてくる。
「こうなったら、あなた1人だけでも逃げて。あのイレギュラーが戻ってきたら、わたしが何とかして足止めしておくから」
「ちょっと待ってください。何を言っているんですか。僕1人だけ逃げるなんてできません」
「あなたこそ何を言っているの。このまま2人ともこの場にいたら共倒れなんだから、五体満足のあなた1人で逃げれば助かる可能性が高い。だからわたしが足止めするって言っているのよ」
嫌です、と僕は大声を張り上げた。
「怪我をしている女性を置いて逃げるなんて選択肢はありません」
「馬鹿を言わないで。わたしはA級探索配信者で、あなたは荷物持ち。だったらわたしはあなたを守る義務がある。弱い者を助けるのも探索者や探索配信者の大事な仕事よ」
「そんなこと関係ないでしょう!」
僕の言葉に栗色髪の少女は無言になる。
「人を助けるのに探索配信者だろうと荷物持ちだろうと関係ありません」
「でも、そうしないと2人とも死ぬのよ」
「確かに何もせずにいれば2人とも死ぬでしょう。だから――」
僕は栗色髪の少女の目を見つめる。
「【聖気練武】という技について教えてください」
「教えてどうするっていうのよ。あと数分も経たずにイレギュラーが戻ってくるかもしれないのに」
「決まっています」
僕は心からはっきりと答えた。
「その【聖気練武】という技で、あのイレギュラーは僕が倒してみせます」
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