第六話    場違いな荷物持ちの少年

 成瀬伊織なるせ・いおりことわたしは、目の前の光景に強く歯噛みした。


 まさか、こんなところでイレギュラーに遭遇するとはね。


 わたしの脳裏に数時間前のことがよみがえってくる。


 協会からの依頼をこなして迷宮街に帰ろうとした途中、リスナーたちからこの森林エリアに珍しい植物が生えているという情報を聞いた。


 そこでわたしは配信を続けながらこの森林エリアを訪れたのだが、まさかゴブリンやコボルト程度の魔物しか生息していないこのエリアでイレギュラーに遭遇するとは思わなかった。


 なぜなら今までイレギュラーが、迷宮街を中心に半径50キロ圏内に出現したという情報はなかったからだ。


 一方のこの草原エリアと繋がっている森林エリアは、迷宮街から十数キロしか離れていない低級魔物しかいないエリア。


 まったく油断していなかったと言えば嘘になる。


 とはいえ、わたしもA級探索者――いや、配信活動も行っているので探索配信者という近年できた新しい探索者の位置づけにいた立場だったため、自分の命は当然のことリスナーたちも驚かせないために最低限の警戒は怠ってはいなかった。


 ところが結果的に、わたしはイレギュラーに襲われてしまった。


 この森の中の開けた場所で、珍しい植物を見つけた直後のことである。


 そして何とか相手の不意打ちをかわして即死は免れたものの、地面に着地したときに右足を捻ってしまったことで、こうして満足に闘うことも逃げることもできない最悪な状況が生まれてしまった。


 わたしはちらりと上空を見る。


 わたしとイレギュラーの上空には、自動追尾型のドローンがプロペラの摩擦音を鳴らしながらホバリングしている。


 イレギュラーと対峙しているためポケットに入れてあるスマホで確認はできないが、確か襲われる前の同接数は1万2千人ほどだったから今頃は2万人を超えているかもしれない。


 さすがにこの状況を配信し続けるのは無理がある。


 このままでは80万人のチャンネル登録をしてくれた人たちや、この状況をリアルタイムで視ているリスナーたちが不快な思いをするだろう。


 みんなに応援してもらっているわたしが、イレギュラーに無残に殺される配信を視ることになってしまうかもしれないからだ。


 わたしはリスナーたちのコメントを想像する。


〈マジでやべえええええええええええ〉


〈俺たちのイオリンが大ピンチじゃねえか〉


〈誰だよ、このエリアにイオリンを誘った奴は〉


〈馬鹿野郎、今はそんなこと言っている場合じゃないぞ〉


〈誰か他の探索配信者にハト飛ばした?〉


〈ハトなんて飛ばすよりもダンジョン協会に報告しろし〉


〈おい、探索者専用掲示板もこの配信の話題で持ち切りだぞ〉


〈当然。ダンジョン協会のシンボルガールのイオリンの大ピンチなんだぞ〉


〈どうすんだよ。このままだとマジでイオリン死ぬぞ〉


〈この近辺に他の探索配信者はいないのか? いたら、そいつに配信を通じて連絡できるんじゃね?〉


〈イオリンの配信を視に来ている奴が、同時に他の探索配信者の配信を視ているわけねえだろ〉


〈くそ、イオリンの死ぬ配信なんて見たくねえぞ……でも、配信は切りたくねえ〉


〈凄まじいジレンマにさらされている俺らwwwww〉


〈こういうときは正義のヒーローが登場すると思われ〉


〈それは漫画かラノベ限定な。現実は厳しいんだよ〉


 などとリスナーたちは様々なコメントを打っていることだろう。


 わたしは小さなため息を吐くと、ドローンからイレギュラーへと視線を移す。


 何の前触れもなく出現するイレギュラーと呼ばれる魔物の情報は、A級からS級探索者の間でも色々な噂が流れていた。


 わたしたち探索者に倒された魔物たちの怨念が凝り固まって新たに生まれたキメラとか、ダンジョン内で悪行を働いているカルト教団――〈魔羅廃滅教団まら・はいめつきょうだん〉が実験の末に生み出したものとか。


 本当かどうかはわからない。


 ただ1つわかっていることは、何かしらの行動をしなければ確実にわたしは死ぬということだ。


 しかし、生きることを簡単に諦めるわけにはいかない。


 わたしはダンジョン協会の会長の孫娘であり、いくつかの【聖気練武】の技を会得したA級探索者であり、80万人ものリスナーに応援されている配信者なのだ。


「さあ、どこからでもかかってきなさい!」


 なのでわたしは威嚇の意味も込めて怒声を上げ、数メートル前方にいる双頭のワニのイレギュラーを睨みつける。


 もちろん、わたしの愛刀である〈備前びぜん御蔵国みくらぐに忠吉ただよし真改しんかい〉の切っ先を突きつけながらだ。


 次にわたしは下腹に意識を集中させ、細く長く深い独特の呼吸法を行う。


 その呼吸法を繰り返すうち、わたしのへその下にある〈丹田たんでん〉から発生した生命エネルギーが黄金色の光となり、第2の血流のように全身を駆け巡った。


 上位探索者ならば必ず会得している〈聖気せいき〉の顕現化けんげんかだ。


 そしてわたしには〈聖気〉が黄金の光となって身体を覆っていることがはっきりとが、ドローンの配信を通じてわたしを視ているリスナーには〈聖気〉が視えていないはずである。


 無理もない。


 この〈聖気〉は普段から人体の気脈が閉じている人間には感じるどころか視ることすら適わない。


 そんな〈聖気〉を顕現化して操られるようになると、脳と気脈が活性化して常人の数倍から十数倍の力が発揮できるようになる。


 今もそうだった。


 わたしが〈聖気〉を顕現化させたことで、イレギュラーの動きにわずかながら動揺が感じられた。


 いきなり私の身体から異様な力が迸ったことを的確に感じ取ったのだろう。


 だが、この〈聖気〉だけを顕現化させてもイレギュラーを完全に威嚇できない。


 ならば、もう1段階だけ力を上げる必要がある。


 わたしはかっと両目を見開くと、身体にまとっていた〈聖気〉を愛刀にまで流し込むように強くイメージした。


 するとわたしの〈聖気〉は徐々に愛刀にまとわりついていく。


〈聖気〉を操作して様々な超常的な力を発揮させる技術――【聖気練武】の応用技の1つである〈周天しゅうてん〉の技だ。


 他にも【聖気練武】には色々な技が存在するが、今はこの〈周天〉によってイレギュラーを威嚇するしかない。


 目の前の獲物は、他の獲物と違って強力な猛毒を持っているのだと。


 やがてわたしが愛刀に〈聖気〉をまとわせたことが功を奏したのか、イレギュラーはわたしを最大限に警戒するような素振りを見せる。


 さあ、大人しく立ち去って。


 そうわたしがイレギュラーに心の声で言い放ったときだった。


 空気を切り裂くような異様な音が聞こえ、イレギュラーの左側の顔に何かが当たった。


 ぐらりと一瞬だけよろけるイレギュラー。


 わたしは地面にボタッと落ちた何かを見つめる。


 石だった。


 どこからか飛んできた拳大ほどの石がイレギュラーの顔に当たり、わたしの目の前の地面に落ちたのである。


「――――ッ!」


 次の瞬間、わたしは石を見て驚愕した。


 イレギュラーの顔に当たった石に、黄金色の生命エネルギーである〈聖気〉がまとわれていたのだ。


 一体、誰がこんなことを……


 わたしは石が飛んできた方向に顔を向けた。


 再びわたしは大きく目を見開く。


 視界に飛び込んできたのは、荷物持ち専用の衣服を着た黒髪の少年だったのだ。


 そんな黒髪の少年は、イレギュラーに向かって怒声を上げた。


「お前の相手はこの僕だ!」


 ……………………嘘でしょう?

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