第25話

 里奈は自室のベッドで天井を眺めていた。ジプトーンと呼ばれる建材は白樺のような模様で一般的な事務所で使用される。その黒い模様を眺めていた。


「なんか、アイツカーズが死んだとか信じらんないけど」


 佐々木里奈は、美人局だった。

 父の犯罪をさらされてのいじめを受け人の道を外れ、そして悪い大人カーズに捕まり利用されるだけの人生だった。茜に連れ出されるまでは。

 その悪い大人カーズいなくなった処刑された

 日本の法律は迷宮内には適用されない。迷宮を支配しているのは迷宮で自治権がないからだ。


「またパイセンとママに助けられちゃった」


 里奈は根がWりえおうってうつ伏せになり枕に顎をのせた。目元がまだ赤いが、はっきりとした瞳に陰りはない。


「ママは手遅れだとしてパイセンには柊っちがいるし」


 里奈はどうやって恩を返すか考え始めた。


「茜さんが好きですから。離れませんよ?」

「もったいねえことするな、お前も」

 

 ギルドの休憩スペースでまったりしている茜と柊の会話が聞こえてきた。相変わらず無自覚でいちゃつくカップルだグヌヌと思いながらも一線を越えないふたりにヤキモキもしている。

 ふたりが関係を進めないと異聞に恋人をつくりにくい。もしかしたら自分に彼氏がいたほうがふたりの関係も進んだかもしれない。頭の中にあれこれ浮かんではシャボン玉のように消えていく。


「よし、ここは経験豊富な里奈さんがおせっかいを焼くべし」


 里奈はベッドから起き上がり、備え付けの小さな引き出しを漁った。


「あったし。これがあれば踏ん切りもつくっしょ」


 里奈が持っているのは0.01ミリと書かれた避妊具の箱だ。1枚だけでは足りないだろうか、いや無い方が既成事実化していっそ妊娠ベイビーまで、などと妄想が飛躍していく。


「とりま、パイセンと柊っちの部屋に置いてくるし。うししし」


 にんまりとした里奈は部屋を出た。足取りも軽い。

 壁が薄いことは、今晩だけは黙っていよう。でも次からはホテルに行けと避妊具に念を込めなが、らふたりの部屋に忍び込んだ。


 翌朝、里奈が鼻歌交じりで朝食を作っているが、ふたりはまだ降りてこない。夜間はギルドを閉めていたので茜も普通に寝れたはずだ。壁が薄いが、声は聞こえなかった。だが里奈が設置した罠は間違いなく作動したはずだと、確信していた。


「にしし、やっとあの有名なセリフが言えるし」


 卵焼きを綺麗にひっくり返したとき、階段から足音が聞こえた。あくびをしながら柊と茜が姿を見せた。柊はいつも通りだが茜はなんとなく頬が緩んで見える。首筋に赤い斑点も見えた。

 これはと里奈は確信した。


「昨晩はお楽しみでしたね」


 開口一番、里奈はとてもいい笑顔でそう言った。


 里奈に揶揄われ続けた朝食後、3人は今後の方針を話し合っていた。ギルド側として茜と里奈が並び、柊は対面に座る形だ。

 珈琲の香りが漂うギルドにのんびりとした時間が流れている。スライム迷宮はあくまで新人用で、どうしたら探索者が来るようになるのかなどという問題はないからである。


「俺は、次のフラックに挑みます」


 柊はそう言い切った。

 奥多摩で倒したのは通常のフラックで、残念ながらまともな戦いにならず一方的に倒しただけだ。ここで戦っているように、お互い血みどろで死線を潜るような命のやり取りではなく、柊は物足りなさを感じていたのだ。


「別に戦わなくたって、さっきもだけどギルドから他迷宮への遠征要請も来てんだぜ?」


 茜は頬杖を突きながらぼやく。不満を隠すつもりはないし、むしろそれで諦めさせようとしていた。


「それは理解してますけど、でも俺は挑みたいんです」

「死ぬかもしれないのにか?」

「……どこまで行けるのか、踏破できるのか、試したくなったんです」


 柊の顔は真剣そのものだ。世界で最も強い探索者とされる白熊イヴァンを手玉に取り、通常迷宮のボスでは力不足だ。自らの力に目覚めてしまった漢をなだめるのは容易ではない。それは茜の身体をもってしてもだ。


「……まぁ力づくじゃ止められねーしなー」

「パイセンで止められないのはあーしじゃもっと無理。パイセンが妊娠でもすればワンチャン?」


 里奈がニヤニヤ顔を向けると、ふたりはすっと視線を逃がした。純なふたりを揶揄うのは楽しすぎると里奈は新しい遊びを覚えてしまった。


「と、ともかK、俺はフラックに挑みます!」


 顔を赤らめたまま、柊は強く言い切った。ここで話し合いの意味も無くなり、あとは里奈がふたりを揶揄うターンになって話し合いは御開きとなった。

 翌朝、ギルドのカウンター前には武装した柊の姿があった。武装といっても短刀2本を持つだけで、ジーン時に黒いパーカーという出で立ちだが。


「防具はいいのか?」

「あってもすぐに壊れるので」

「せめて小手ぐらいは」

「重くなるので付けない方が動きやすいです」


 弟を心配する姉のような光景だが、これが今のスライム迷宮の日常だ。冬休みに入り高校生らが新人探索者として訪れる時期なので、朝でも人はそれなりにいる。


「あれがスライムイーター」

「かっけぇ」

「なんかオーラが見える」


 小声ではあるが、そんな声が聞こえてくる。柊は気にしないようにしているが、今まで聞いてきた声とは違うことに慣れなず、どことなく背中がムズムズする感じだ。


「ほらほらボーイズ、まずは受付をするし!」


 里奈がカウンターから呼べば、親鳥に呼ばれた幼鳥のように吸い寄せられていく。ぞろぞろと歩く様子はカルガモの様でほほえましい。

 そんな光景をしり目に、柊と茜は迷宮に潜っていく。ロミルワ増光巻物スクロールを使い、何度も歩いた迷宮を無言で進む。

 次なる扉の前まで来てようやく柊は口を開いた。


「絶対に帰ってきますから」

「当たり前だ。アタシを未亡人にするんじゃねえぞ?」

「すでに結婚してました?」


 柊がふふっと笑う。緊張はなく、ただ眼だけがぎらついていた。


「行ってきます」


 腰に刺した短刀に触れ、柊は扉を開けた。視界に広がるのは見慣れた空間。ドーム型の天井と、壁には光源。そして中央には青い巨大なスライム。

 扉が閉まると同時にスライムがうねり形を変えていく。細く小さな人型に収縮し、奥多摩で見た緑の道化師が現れた。


『おやおや、わたくしまで来れたとはあの落ち武者は何をしていたのやら』


 フラックは両手を広げた仕草でおどけながら、流暢な日本語を操った。

 オーガロードをバカにしている言い方だが、そういえばオーガロードはオークロードをバカにしていたなと思いだす。所詮はモンスターなのだなと、柊は納得してしまった。

 だが言葉を操るモンスターの危険度が高いことに変わりはない。油断などもっての外だ。


「奥多摩のフラックとは違うんだな」

『はん、あんな雑魚と比べられても困りますね』

「まぁ確かに雑魚ではあったけど。アンタは違うんでしょ?」

『君も言いますねぇ。ちょっとカチンと来ちゃいましたよ』


 フラックの顔が憎悪で歪む。


ラテュマピック識別


 柊は会話の合間に小声で呪文を唱えた。


フラック

HP 800

ST 600

IQ 1200

PI 500

VT 200

AG 1200

LK 7



対する柊は。

ひいらぎまもる 20歳

職業 スライムイーター

レベル --

HP 2120

ST 856

IQ 700

PI 600

VT 547

AG 1090

LK 20


マハリト大炎 9/9

ディアル中回復9/9

ラテュマピック識別9/9

ダルト冷気9/9

ポーフィック障壁9/9

マニフォ麻痺9/9

マカニト致死7/7

マダルト凍結7/7

ディアルマ大回復7/7

ラダルト氷嵐5/5

ラテュモフィス解毒5/5

モンティノ沈黙5/5

マロール転移3/3

マディ全回復3/3

ラカニト窒息3/3


 HPは圧倒しているがAGで負けている、柊が得意とするヒットアンドアウェイ戦法が通用しないと思われた。


『おっと、わたくしのステータスは如何でしたか?』


 フラックが片手を胸に当て恭しく礼をする。


「そんなのをどこで知ったんだか」

『おやおや、このような儀礼は一般常識でしょう? それとも貴方はそんなものは持っていないと?』


 ニタつくフラックに、柊はイラっとした。


『こんな言葉で精神を乱すようでは私には勝てませんよ? ハマン奇跡!』


 フラックがハマン奇跡を唱えると、柊の口が開かなくなった。ハマン奇跡はいくつかの奇跡の内ちとつを具現化する呪文である。ランダム性が高く容易には使えないが呪文無効化の相手にも有効となる、まさに奇跡だ。

 嘘だろ!

 柊は開かない口の中で叫んだ。

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