第22話
柊によるフラック討伐は4月1日と決定され、当日の朝を迎えていた。早朝7時にもかかわらず奥多摩迷宮ギルドにはすでに安口の姿があり、またフラック討伐の場と銘打ったがための野次馬探索者やメディア関係者などでごった返していた。
【魔女】安口は今日もパンツスーツ姿で年齢を感じさせないプロポーションを見せびらかしている。もちろん探索者の視線はくぎ付けだ。
「やべえな。魔女がいるってことはガチじゃん」
「ギルドとして発表してんだから当たり前だろ」
「魔女のオーラぱねえ」
探索者は柊を見に来た者たちばかりではない。むしろ安口目当てと言ってもいい。殺伐としかけているギルドの中で、それはさらに衆目を集める美貌として、柊の姿がないことを隠していた。
その喧噪から切り離されている立川のスライム迷宮は朝の静けさの中にあった。朝の7時は、まだ新人探索者が来るには早い時間だ。
里奈が鼻唄交じりで卵焼きと格闘しているのとは対照的に、スーツ姿の犬雉猿はギルド内の点検で入り口付近に固まっている。夜担当の茜の姿はない。
「桃太郎ズっち、そろそろ朝ごはんができるしー」
カウンターの中から里奈が声をかける。犬がノートに『(`・ω・´)ゞ』と掲げたとき、ギルドの入り口が開いた。中年男性とガタイのいい白人男性が入ってくる。中年男性は甲賀和弘ことカーズだった。白人男性は銀髪を短く刈り込み、2メートル近い巨躯に獰猛な顔つきで、白熊のような男だ。
その白人男性はあろうことか剣を手に持っている。間違いなく迷宮産出品だ。
武器武具類は、ギルド職員が特例として迷宮外でも所持可能なだけで一般人、さらには外国人が持つなどありえない。
見慣れぬ訪問者に桃太郎ズがふたりの前に立ちはだかる。少年のような新人探索者しか来ないここに、中年男性まして白人が来るのはおかしい。おまけに武装もしている。桃太郎ズには規制する権利があった。
桃太郎ズと熊ような白人が剣呑な空気が支配する中、カーズはニヤリと笑った。
「この時間じゃー誰もいないよなー」
へらへら顔のカーズが勝手知ったる風にカウンターに向かうも桃太郎ズが前に立ちはだかっている。
「в пути《邪魔だ》」
無警戒に近づいた白人が桃太郎ズの腹を雉を殴った。カウンター前まで吹き飛ぶ雉。だがすぐさま跳ね起き、短刀を手に構えた。
「Иван、Поймай его《イヴァン、あいつを捕まえてくれ》」
カーズが里奈を指さしてイヴァンと呼んだ白人に指示をだす。イヴァンが猿の腹を蹴り飛ばし、里奈を見た。
「Эта женщина、кормить《あいつが、餌か》」
「そうだ。殺すなよ?」
里奈の背中に悪寒が走る。イヴァンの言葉が理解できたわけではないが、獲物を借るような視線を受け、里奈の本能が警報を発したのだ。
里奈は躊躇なくカウンターを出て迷宮に走った。
「Ха-ха-ха、Там、лабиринт《そっちは迷宮だぞ》」
イヴァンが笑いながら剣を抜く。犬が投げた短刀を剣で弾くと、その勢いで犬を斬った。犬は何とか短刀で受け流したが追撃の蹴りで床を転がる。勢いよく雉のほうに転がり、跳ね起きた。
犬猿雉は攻撃は受けたがそれほどダメージはないようだ。
「Ты можешь убить этих парней, верно?《こいつらなら殺してもいいだろ?》」
「Делайте это в меру《ほどほどにしとけ》?」
カーズはイヴァンい任せて里奈を追いかけて迷宮に走る。里奈は迷宮に入ってしまたのか姿はない。
「はは、迷宮の入り口は一つしかねえ。入ったら最後、出口で待ってりゃ捕まるぞ?」
カーズは里奈が消えた迷宮の階段を飛び降りると
「
呪文で迷宮の通路が明るくなる。それは里奈と、彼女の前に立つ柊の姿を浮かび上がらせた。
「イーター!? なんでお前がここにいる?」
カーズが驚愕の声を上げ懐からナイフを取り出したが柊が唱えた
「博徒で人を強請ってる割には不用心なんだな」
柊はカーズを見下ろして呟くと用意してあったロープでカーズをす巻きにした。目隠しと猿轡は当然として腕や足はおろか指先まですべて縄で縛り、仕上げとばかりに鎖も巻いた。
縛られる最終にはカーズは射殺さんばかりの血走った目を柊に向けていたが、そんなものは無視された。柊にとってカーズには里奈にひどい仕打ちをした悪党でありクズであり滅すべき存在であり、虫けらほども価値を感じていない。スライムの方がよほど価値があるとさえ思っている。
「あっけなかったな」
迷宮の闇の中からフル武装した城内が姿を現す。戦闘に備えロングソードにフルプレートの鎧をつけているが、使うことがなさそうで少し安堵の表情を浮かべている。
「じゃあ眠ってもらいましょう」
柊は巻物を取り出した。
「
柊が巻物を使用するとカーズは抵抗もできず眠りに落ちた。
「む」
階段からザリと砂を踏む音に気が付いた柊が顔を向けると、イヴァンが迷宮に入ってくるところだった。彼は倒れているカーズを一瞥するが表情に変化はなく、助けるために行動する様子もない。
「イヴァン・グリゴリエヴィチ・ヴァシリエヴィチ……ロシアの白熊」
眼付を鋭くした木内が呟く。柊は反射的に
イヴァン・グリゴリエヴィチ・ヴァシリエヴィチ(モスクワ大公の遠縁)
職業 ロード
レベル 125
HP 484
ST 366
IQ 155
PI 236
VT 310
AG 179
LK 12
装備:カシナートの剣
装備:回復の指輪
それは、おそらくは
「レベルは125。それだけですね」
柊がぼそりとこぼすと城内が125!?と目を見開いた。城内が持っていたイヴァンの情報はレベル80以上というものだけだった。それから40以上も上がっている。すでに迷宮の6階にいるフラックを倒している可能性すらあった。
「Ты Хиираги?《お前が柊か?》」
イヴァンが剣を抜き柊に切っ先を向ける。城内も剣を構えたが柊が制した。訛りがあるがヒイラギと聞こえたのだ。
「俺が柊ですけど」
「сразись со мной《俺と戦え》」
「……なんて?」
柊はお世辞にも学業の成績がよくはなく、またロシア語など高校で履修する学校はほぼない。柊がわからないのは当然と言えた。
「FIGHT ME!」
「あ、戦えって言ったのか」
頭上に豆電球が浮かんでいそうな顔で柊が言うと、横にいる城内が顔を顰めた。
「迷宮での私闘は禁止されている」
「でもこの人、武器の許可とか取らずで、そもそもギルティでしょ?」
「柊君、意外とのんきなんだね」
「Не глупи!《ふざけるな!》」
無視される形のイヴァンが吠えた。城内はビクと体を大きく揺らしたが柊はどこ吹く風だ。
「城内さん、ここはお願いしますね」
「ちょ、柊君!」
「五分くらいで帰ってきます」
柊は前方を指しイヴァンを一瞥すると、迷宮の闇に向かって歩き出す。イヴァンもその後をついて迷宮に消えていった。
柊が白熊を連れ向かったのはスライムキングと戦った場所だ。広い場所ならこいつも納得するだろうという考えだ。
鉄の扉をくぐり、広場に出た。スライムキングはいないが壁の明かりが消えることはない。迷宮の謎だが、どうしてそうなのか考えるのは無駄な行為だ。
「防具はつけないんですね」
言葉は通じないとわかっていても聞きたくなる。強大な力故に不要と考えているのだろう。それは柊も同じだ。
身振りで示す柊に対し白熊は「ненужный《必要ない》」と答えた。柊は腰に差している早業の短刀を抜いた。
広間の中央で向かい合う柊と白熊。フィジカルの差は歴然としていた。
おおよその格闘技は体格、言い直せば体重がすべてだ。打撃のエネルギーは重量と速度の積で決まる。ならば重いほうが有利なのだ。
イヴァンは剣を上段に構えた。体格で劣る柊をなめている。
対する柊は無造作に腕を下げた下段の構え。その姿勢がイヴァンの気に障ったのか、彼の顔が怒りに歪む。
「Не облизывай это!《舐めるな!》」
先に動いたのはイヴァンだった。上段からそのまま剣を振り下ろす。柊は空気を裂いて迫る剣を右を引く半身で避け、カウンター気味に腹に右拳を叩き込む。短刀を握る拳でだ。
まともにボディに食らったイヴァンはくの字の姿勢で広間の壁まで飛ばされ、背と後頭部を強かにうった。僅かに吐血したが彼は立ち上がった。
「Ух ты!《ウラァッ!》」
剣を握りなおしたイヴァンはすさまじい速度で斬りかかるも、柊の短刀で剣の腹に合わせられ体勢を崩し床に投げ出される。憤怒の顔が土塗れになる。
探索者としては恐るべきステータスのイヴァンだが柊の前では赤子同然だった。そもそもの素早さが違い、イヴァンの攻撃を見てから動いても間に合うのだ。また剣もパワーに頼り切っていて単調であり、柊はそれに気が付いていた。
「Россия должна быть сильнейшей!《最強は、ロシアであるべき!》」
自身の力が通用しない焦りからかイヴァンが吠えた。負け犬の遠吠えでないあたり、最強の矜持が垣間見える。
「そろそろいいかな」
猛るイヴァンの脇を潜り抜けた柊は右腕を、そして左腕を斬り落とした。
「Гьяааааааа《ぎゃぁぁぁぁぁ》」
痛みに悲鳴を上げるイヴァン。柊はその後頭部を殴りつけ、昏倒させた。念のため
「さて戻らないと」
柊はイヴァンの切り落とした腕を拾い、彼の肩にくっつけ
「急いで奥多摩に行かなきゃ」
柊はイヴァンを肩に担ぎ
柊が転移したのは、迷宮入り口の階段がある大空間だ。今の時間なら探索者はいない。里奈は城内が保護しているし、足止めをしていた桃太郎ズの様子も気になる。
イヴァンは柊だから完封できたが普通の探索者なら殺されているはずだ。お庭番である桃太郎ズが死ぬことはないだろうが心配ではあった。
転移を終えた柊は、目の前でカーズが大きなトランクにしまわれている現場に出くわした。
城内と桃太郎ズが押し込めて、里奈はその背後で不安げな瞳を揺らしていた。
「うぉ!」
「ひゃっ!」
城内と里奈が短い悲鳴を上げた。
「終わりました」
柊は肩に担いでいたイヴァンを床に寝かせた。意識の有無は不明だが
「こいつ、どうしますか?」
柊は城内に話しかけるも、突然のことに彼がフリーズして動かない。
「拘置を引きずるのもあれ何で
「あ、ああ、理解した」
引きつった顔の城内が答えた。
「こいつはどうします?」
「……国際問題化すると厄介だ。ロシア大使館前に転がしていけばいいだろうから、それは」
城内が桃太郎ズに視線をやると、犬がノートに「(*´ω`*)」と描いた。裏の仕事はお任せあれと言いたいのだろうか。3人の顔には打撲の跡がある。いつもは無表情を通している桃太郎ズだがやや口もとが緩んでいるのでやられたお返しでもする気だろうか。
「柊っちに怪我はない?」
転がっているイヴァンから距離を取りつつ、里奈が柊に近づいてくる。柊はパンチのひとつももらってはいない。歩いたぶんだけ疲労がある程度だ。
「おかげさまでどこにも怪我はなしです」
「はぁ、よかった。あーしのせいで、とかになったらパイセンに合わせる顔がないし何より柊っちに申し訳ないし」
「いつも食事やらでお世話になってる里奈さんのためならこれくらい」
「おっとそれはパイセンに向ける言葉だし! あーしは人の恋路を邪魔しない女だし!」
里奈はそう言ってふふんと人差し指を立てて片目をつぶる。膝が少し震えているので強がりだろうが、柊は素直にありがとうございますと述べるにとどめた。
「えっと城内さん、俺は奥多摩に行くのであとは任せてもいいですか?」
「おう、安口さんが待ってるから急いでくれ!」
柊は行ってきますと挨拶をすると、踵を返して出口へ向かった。
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