第19話
安口に置いてけ堀を食らった茜はギルドの探索者名簿を調べもう迷宮内に残っていないことを確認するとさっさとギルド入り口を閉めてしまった。柊の件で騒がしいとはいえ迷宮に潜る探索者は少ない。
「茜さん、今日は閉めるんですか?」
休憩スペースのテーブルを拭いていた柊が問うた。ギルドは基本24時間営業で、夜に迷宮に入るのは柊くらいしかいないスライム迷宮でもそれは同じだ。
「里奈がいなくてふたりっきりだしな」
とムードありげなセリフとは真逆な険しい表情の茜。ただならぬ雰囲気を感じた柊はテキパキとギルドを閉める作業に入った。茜は冷蔵庫から秘蔵の日本酒を取り出し、ふたつの湯飲みに注ぎ始めている。俺も飲むのか、とやや怖気図いている柊は成人式の日も迷宮にいて飲酒の経験がない。
「よし、初めてだけど、アタシとサシで飲もうか。ちょっとこみ入った話もある」
休憩スペースのテーブルに座っている茜がコイコイと手招きをするので柊は素直にお呼ばれした。
軽く湯飲みを合わせてお疲れ様と乾杯する。茜はごくっと一口飲んではぁぁっと親父のように息を吐いた。柊はちょっぴり舐める程度にした。初めての日本酒にのどがかっと熱くなる。つまみはポテチや裂きイカなどの乾き物しかないのでそれを摘まむ。茜の女子力は壊滅的なのだ。
「柊は、里奈のことをどこまで知ってる?」
「里奈さん、ですか?」
茜のいきなりな質問に柊は天を仰ぎ考えた。
「俺がここに来る前からいたってこと、高校中退だってこと、彼氏がいる風で実はいないこと、卵焼きが苦手ってこと、珈琲を入れるのがうまいこと、くらいでしょうか。あ、ギャルはあくまで風だってことも」
「まぁそんなとこだよな」
柊の答えが満足だったのか、茜は湯飲みに酒を追加した。
「あまり人の過去をべらべらしゃべるのはマナー違反だが今日は許せ」
茜はくいっと湯飲みをあおってから語り始めた。
「里奈が小学生の時に父親が有名人を車ではねちまってな。父親は逮捕有罪、家族は世間から激しいバッシングを受けたそうだ」
里奈は苛めを受け転校を繰り返した。住居を転々とし、母子家庭のようになり里奈は荒れた。中学の里奈は荒れに荒れ、家出を繰り返しているうちにカーズこと甲賀和弘に会った。
「最初は親身で優しかったそうだ。まぁ詐欺師も最初はそうだからな」
茜は憎々しげに言葉を吐いた。
最初は優しかった甲賀和弘だがひと月ほどで本性を現す。父親が犯罪者でそれを学校にバラまくぞと脅し始めた。また転校を繰り返すのかと恐怖した里奈は、脅されるままに甲賀和弘の犯罪の片棒を担ぐことになった。
「あの野郎は弱みを握った人間を餌に情報を集めさせて、それをもとに企業や個人を
茜の言葉に柊は固まった。里奈の思いつめた顔を思いだしてしまった。
これが原因でトラウマか。
里奈は中学から高校にかけて美人局として情報を集めさせられていた。また甲賀和弘の情婦扱いもされていた。
「そんな、そんなの犯罪じゃないですか!」
「立派な犯罪だ。だが捕まえるだけの証拠が揃わなかった。脅された人らは示談に応じちまってた」
「ひ、ひどすぎる!」
柊の憤慨は、茜の言葉でさらに燃え上がった。
甲賀和弘も探索者ではあり、仲間であるはずの探索者ですら脅迫していた。この問題は密告によってギルドも知る所となったが迷宮内では電波が通じず、証拠の映像の入手もできなかった。そうしているうちに密告者と思われる死体も出た。損傷が激しくDNA鑑定でようやく身元がはっきりしたほどだった。
「当時、まだあたしの体がまっとうだった頃だな、あたしの知り合いをしつっこく付きまとってたのが里奈だったんだ。弱みを掴むためにな」
「そ、そんなことが……」
柊は予想以上に悪質だったことに唖然とした。けしかけた甲賀和弘にではあるが、実行犯の里奈にもだ。
「迷宮で罠をはって里奈を捕まえた。で、事情を聴いた。まだ高校生だった里奈だけどもう母親とは絶縁状態であってもいなかったらしい。高校は甲賀和弘が金を出してたらしいがな」
引き離し更生させるために里奈はギルドが保護する形にした。高校も中退させたがその代わりにギルド職員として雇った。これの裏で暗躍したのが安口だ。
里奈が安口をママと呼ぶのは年齢だけではない。後見人となり実質的な養女としていた。茜は里奈にとって姉であり先輩だ。柊は年上の弟という位置づけだろう。
「里奈を取り上げられたアイツはアタシに狙いを絞ってきたから、迷宮におびき出してボコボコにした」
茜はケラケラ笑った。その後、甲賀和弘を迷宮におびき出しボコボコにして血判まで書かせて里奈から引きはがした。
「あいつとは完全に切れたはずだった。迷宮省からの情報漏れが来なくなって焦って里奈のところに来たんだろう」
二度目は許さねえ、と茜はぐいとあおり湯飲みを空にした。
黙って聞いていたが、弱者の立場だった柊の心は荒れ狂っている。
「俺にできることはありますか」
「あることはあるが、実行部隊は桃太郎ズに任せておけ。そのための
茜はまた湯飲みに酒を注いだ。まだ飲むらしい。柊は止めようと思ったが茜の左目の目尻にたまる涙を見て、とどまった。
茜さんも里奈さんも、自分が守る。
柊はだったいま、そう決めた。
柊と茜がギルドで話をしていた頃。安口と里奈は立川駅の北口にある個人経営の焼き肉屋に来ていた。
安口はトレードマークともいえるパンツスーツだが里奈はコスプレセーラー服ではなく動きやすいワイドパンツにファーの付いたベンチコートで髪もおろしてある。こう見ると里奈はどこにでもいそうな可愛いお姉さんだ。
店はオフィスビルのテナントとしてこじんまりとした店構えで、店前にある看板には酒の種類よりも肉の種類が多く書かれている、がっつり系のお店だ。
「あ、ここって前はバーじゃなかった?」
「それが閉まった後に居抜きで入ったらしい。店主が元精肉問屋に勤めていたという情報もある」
「ママ、それどこ情報?」
「国家機密で言えないな」
「あーし入っても生きて帰れるお店?」
入り口で安口に揶揄われている里奈が素っ頓狂な声をあげた。
「冗談だ。元探索者で私の後輩だ」
「なんだー、まじでびっくりしたし」
「肉も普通の肉であって迷宮産ではない」
「ママが言うと嘘っぽく聞こえるから勘弁ー」
などと親子の会話をしながらふたりは店に入る。予約している旨を伝えれば個室に案内された。掘りごたつのある純和風焼き肉屋だ。未成年な里奈はジンジャーエールで安口は瓶ビールを選んだ。
「かんぱーい」
「今日もお疲れ様」
こつんとグラスを合わせればすぐに肉の選定に入る。
「里奈も好きなものを頼んでくれ」
「あーしはタン! 塩とレモンとニンニクとゴマダレ!」
タンオンリーな里奈をよそに安口はあれこれとて人に注文を告げている。一通り頼んだ肉が着て炭がセットされたらもうプライベートな空間だ。肉を焼く軽快な音だけが響く。
「里奈、今後もギルドはふたりで回せそうか?」
肉を頬張りながら安口が問う。
「んー、柊っちがツヨツヨになっても1階しか開けてないしー、柊っちも事務仕事してくれてるしー、まーなんとかなってるかな。増員で感じ悪い人がきてもやだしー」
里奈はひたすらタンを食べている。
「そうか、足りているなら今の話は聞かなかったことにしてくれ」
「予定があったし?」
「あそこは、初心者用スライム迷宮で固定するのがギルドとしての方針だ。国もそれには賛同してる」
「なんで国が?」
里奈はタンを咥えて首を傾げた。
「都内近県の初心者はほぼここに来る。ここで迷宮を知って、半分が探索者を諦めるデータが出てる」
「あえ、それって良くない感じ?」
「いや問題はない。むしろそれで助かっている状況でもある。おっとビールがなくなってしまったな」
安口はビールを追加で頼んだ。
「迷宮は大切な産業ではあるが、それだけで社会は運営できない。色々な業種が支えていて、当然そこで働く人は探索者の何倍もいる」
「うーん、会社員とかも?」
「当然。彼らの仕事は誰かのためだ」
「あーしにはムズカシー」
高校中退の里奈にはお手上げだった。
「ま、それとは別に大事な仕事があるんだ。ここではスライムを倒しても金貨は出ないだろ?」
「うん、あーしが働く前からの記録でも、金貨が出たってのはないねー」
「ありがたいことに死者もいない」
「え……あ、そうかも……」
里奈の回答に安口は笑みを浮かべた。
他の迷宮、例えば奥多摩迷宮は過疎といわれているが常連そして新規の探索者はいる。当然モンスターにやられて戻ってこない探索者もいる。産業別の死亡災害数で言えば探索者の死亡数は全業種でもダントツで高かった。
スライム迷宮は探索者の犠牲を減らすための選別の場所になっているともいえた。
「迷宮からの産出はないだろうが、死者もいない。そんな迷宮があってもいいだろ?」
「あってもいい、とは思うけど、それでペイできるの?」
高校中退とはいえ里奈は働いており、金を稼ぐという実感と厳しさは理解している。稼ぎのない迷宮ギルドがやっていけるはずがないと、わかっているのだ。
「里奈はどうして迷宮から金貨や武具などが出てくると思う?」
「へ? 突然なにって……うーん、きまぐれ?」
「まぁ気まぐれだったらいいんだがな」
「じゃーなにー?」
「国家機密だ」
「ぶーーー話をふっといてこれはないじゃーん!」
里奈は口を尖らせた。安口はハハハと笑うだけ。
「ということで、スライム迷宮の深層解明は柊に任せるとして、迷宮省としても行き過ぎた配信者問題には頭を痛めていてな、ちょっと見せしめを出そうかと思っていてな」
安口の言葉に里奈の顔が強張る。里奈の頭によぎるのはあの男だろう。
「ママ、それって」
安口は片目を瞑って人差し指を口に当てた。
柊は飲んだくれて潰れた茜をお姫様抱っこで部屋に運び湯呑みなどを片付けていた。もう23時を回っていた。
安口と里奈が帰ってくるまでは起きていなきゃと考えていた時、ギルド裏口から声が聞こえてきた。
「里奈さんが帰ってきたよー」
「ほら里奈、まっすぐ歩け」
「はーいママー」
ふらふらおぼつかない足取りの里奈が歩いてくる。顔も真っ赤で明らかに酔っていた。
「安口さん、里奈さんを飲ませたんですか?」
里奈はまだ19でお酒は飲んではいけない歳なのは柊も知っている。
「最後の最後でビールを一口だけ飲んでみたいって言うから一口だけ飲ませたらこうなんだ」
「えへへー、大人の味ってやつー」
里奈が自慢げに胸を反らせた。かなりな下戸のようだ。
「悪いが里奈を部屋まで連れてってくれ」
「えー、ままー、あーしひとりでいけるよー」
まっすぐ立っていられない里奈が傾きながらへらへら笑っている。こりゃ階段を踏み外すなと感じた柊は二度目のお姫様抱っこをした。
迷宮内であるギルドでは柊の力はST依存となり超人もかくやになる。お姫様抱っこなど朝飯前だ。
すごーいかっこいいすてきー、など嬉々と囃し立てる里奈を部屋に連れて行く。部屋は茜の隣だ。
部屋に着くなら里奈が服を脱ぎ出したので柊は退散するが、部屋を出る時に中を向き、声をかけた。
「俺が茜さんも里奈さんも守ります。おやすみなさい」
キョトンとした里奈だからにへっとした。
「柊少年、それは茜パイセンにだけ言いなねー」
里奈はそれだけ言うとズボンに手をかけた。柊は慌ててドアを閉め、そそくさと逃げ出す。
下着姿になった里奈はベットにダイブし、天井を見た。
「ママも柊っちも、ありがとん」
ゆっくり目を閉じた里奈は、すぐに寝息を立て始めた。
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