第18話

 武儀山が来た翌日早朝。柊はオークロードを倒すべく迷宮に潜っていた。


「無理しなくてもいいんだぞ」


 スライム迷宮の最深部のオークロードの扉の前で、茜がそう切り出した。不安からか瞳が揺れている。


「無理はしてないです。薬は持ったし毒消しも入れました」


 柊は腰のポーチからカードを取り出し、ステータスを確認する。


ひいらぎまもる 20歳

職業 スライムイーター

レベル --

HP 870

ST 286

IQ 150

PI 150

VT 197

AG 450

LK 20


マハリト大炎7/7

ディアル中回復7/7

ラテュマピック識別7/7

ダルト冷気5/5

ポーフィック障壁5/5

マニフォ麻痺5/5

マカニト致死 3/3

マダルト凍結3/3

ディアルマ大回復3/3



「ネットの掲示板では、俺のステータスはモンスター並みって言われてました。大丈夫です」

「大丈夫っつってもなぁ」


 茜は盛大にため息をつく。もはや言っても無駄なのだろうと。


「オーガロードを倒したとき、安口さんがご褒美にほっぺにちゅぅしてくれました。オークロードを倒したら茜さんからご褒美は貰えますか?」


 柊は茜を見つめた。その茜は、柊が語った内容を咀嚼中らしくぽけーっと口を半開けにしている。理解が進んだのか、顔が赤くなっていく。


「あの! 何てことしてやがんだぁ!」


 茜が大噴火した。

 柊は柊で、ここで茜さんが対抗意識で俺にもちゅうしてくれるはずだったんだけど、と計算がくるっていた。

 気まずい空気が流れる。


「……柊少年。奥多摩でなにがあったのか、後で聞かせろ」


 身も心も恋心も凍りそうな目で柊は睨まれた。

 やばいしくじった、と項垂れた柊の頬に軽く触れる感触。すぐそこに茜の顔があった。


「か、勝ったご褒美の前借りだ! ぜったいに、ぜったいに帰って来いよ!」


 顔をこれ以上なく赤く染めた茜が吼えた。柊は茜の唇が触れた個所を指でなぞる。

 夢ではない、幻覚でもないらしい。

 柊は無意識に両手を挙げた。感無量の万歳だ。


「あの、帰ってからもご褒美はもらえますか?」

「あ、あまったれんじゃねぇぇぇ!!」


 茜に尻をけられ、柊はつんのめるようにして扉を開けた。

 広間は今までと変わらない大きさで、中央にいるブルースライムも同じだ。

 扉が閉まると同時にスライムが盛り上がり、二足歩行の人型に変わっていく。

 オークとは、筋肉を脂肪で包んだ、いわば相撲取りのような体格の、二足歩行の猪だ。

 怪力を誇り、社会性を持つ、人間に近いモンスターだ。


「オークロードは2種類。騎士型と魔法使い型。こいつはどっちだ」


 柊はスライムの変形を見つめている。

 迷宮4階のフラボスであるオークロードは2種類存在する。巨大な盾を持ち防御に優れる騎士型と呪文中心の攻撃をしてくる魔法使い型だ。

 柊はどちらが来てもいいように調べはしてきたが、3戦の経験から通常種を逸脱するものと確信している。だが参考にはなるはずだと考えてもいた。

 目の前の形成中のオークロードは明らかに盾を持っていない。魔法使い型だ。柊は両手に短刀を握る。


「騎士型でないならいつも通りヒットアンドアウェイだ」


 だが油断はできない。魔法使い型だからこそ使ってくる呪文が怖い。形成されたオークロードが灰色に染まる。鎧を着こみ、杖を持ったオークロードが不敵な笑みを浮かべた。


『貴様が敵か』


 呪うような声だがオークロードが明瞭な言葉を口にした。柊の背筋が凍る。世界中の迷宮でも、言葉を操るモンスターの報告はない。世界初が目の前にいる。とびっきり危険なモンスターが。


ラテュマピック識別


オークロード変異種

HP 900

ST 200

IQ 350

PI 300

VT 300

AG 200

LK 20


 柊はオークロードのステータスに驚愕した。IQが自分の倍以上だったことにだ。

 魔法使い型相手でIQが大幅に負けていることは危機的な状況だ。こちらからの呪文の効果は半減することは覚悟せねばならない。半減で済めばよいかもしれない。最悪は抵抗レジストされる。


モンティノ沈黙

※※※※なんだと!」


 杖を振りかざしたオークロードが唱えたのは呪文を封じるモンティノ沈黙だった。柊の口からでる言葉が封じられた。オークロードの顔が愉悦に歪む。


『ククク、愚カナ人族ダ』


 杖が自分に向けられた瞬間、柊は右に横っ飛びした。床に手をつき、素早く肘を伸ばし体を持ち上げ、駆け出す。オークロードの杖から逃げるように。


ラダルト氷嵐

※※※※※※クッソォォォ!」


 逃げる柊をあざ笑うようにラダルト氷嵐が襲う。ダルト冷気の上級呪文だ。吹雪で全身が音を立てて凍っていくのを感じつつも柊は駆ける。軋む関節をSTで強引に曲げていく。凍結した服は崩れて粉になっていった。

 広間は円形で隠れる場所などない。

 弧を描くようにオークロードの側面に回り込んだ柊は短刀を煌めかせた。オークロードとすれ違いざまに両手で2回斬った。分厚い脂肪を斬った感触が伝わる。

 AGで上回ってる分、こちらの攻撃は通りやすい。HPも互角だ。あとはあいつの呪文の回数だけだ。

 ラダルト氷嵐で失ったHPを回復する手立てがない以上攻撃するしかない。


『小癪ナァ!』


 オークロードが激痛に吠える。が柊も手は緩めない。呪文で回復もできないなら倒される前に倒すだけだ。

 茜が待っている。さっさと帰りたい。

 柊はオークロードに吶喊とっかんする。顔のしわがわかる距離まで肉薄し短刀を突き刺せばオークロードの体から血が噴き出す。柊も返り血に染まるが覚悟が決まった漢は止まれない。


『グ、下賤ナ人族メ。ラダルト氷嵐


 オークロードが柊を蹴り距離をとると呪文を唱えた。再び柊が吹雪に包まれるがその視界不良を逆手にとってオークロードに襲い掛かる。

 だが左手が凍り付き動かない。顔の左半分も筋肉が凍ったのか瞬きもできない。だが柊は止まらない。

 右手の早業の短刀を逆手に持ち、渾身の力でオークロードの首筋に突き立てた。


『グオォォォォォ!』


 短刀を抜き、胸に深く刺し込み捩じる。噴き出す血が柊の顔を赤く染める。

 モンスターでも血は赤いんだな、と柊はいたく冷静だった。身体は沸騰するように熱いが頭はよく冷えている。ラダルト氷嵐のおかげか、などとくだらないことも考える余裕があった。


『マ、マイ……ク様……』


 意識も絶え絶えのオークロードが縋るように空中に手を伸ばす。柊はその隙を逃さない。


「悪いが、負けるわけにはいかないんだ!」


 柊が渾身の力で横にないだ短刀はオークロードの首を刎ねる。

 モンティノ沈黙の効果も切れた柊が叫ぶと、オークロードは力なく崩れ落ちた。

 言葉を操るモンスターだが、断末魔はなかった。スライム状に戻ったオークロードは赤い核を残して迷宮の床に消えた。


「……ディアルマ《大回復》」


 柊に鬨の声はなく、ただ自らの傷をいやした。左腕の凍結もすぐに消え動くようになる。残された核を拾い、柊は茜のもとに戻った。


「ま、また血だらけじゃねえか! 顔まで真っ赤だぞ! だから無理するなって言ったんだ!」


 茜がプリン頭を振り乱してあたふたする様子を柊はちょっと楽し気に眺めている。今回は切り傷はなく凍傷だけだ。痛みはあるが今までで一番楽ではあった。血だらけなのはオークロードの返り血であることはまだ伝えていない。


「頭に傷はないか? 痛いところはないか? 呪文で回復はしたのか? 毒は大丈夫か?」


 涙目の茜が柊の身体を触って確認していく。姉御と呼ばれる威勢のいい茜はここにはいない。柊の身を案じて取り乱す茜がいるのだ。それも自分しか知らない茜だ。

 柊は、得も言われぬ優越感に浸っていた。このままふたりでいられたら。

 そんな考えに魔が差したのか、柊は茜のほほに手を添えると、その唇を奪った。触れるだけのキスだったが、離れていく茜の顔がみるみる赤く茹で上がっていくさまが楽しく、柊は笑みを浮かべた。

 そして口から言葉がまろび出る。


「俺、茜さんが好きです」

「へ?……いあ、や、あたしも、いやその」


 言葉を継げずあわあわする茜だったがキッと柊を睨みつけた。


「順番が逆だし、もっとその、ムードとか、ねえのか馬鹿野郎ぉぉぉ!」


 茜の絶叫が迷宮に木霊した。




ひいらぎまもる 20歳

職業 スライムイーター

レベル --

HP 1320(+450)

ST 396(+110)

IQ 550(+400)

PI 500(+350)

VT 347(+150)

AG 670(+220)

LK 20


マハリト大炎 9/9

ディアル中回復9/9

ラテュマピック識別9/9

ダルト冷気7/7

ポーフィック障壁7/7

マニフォ麻痺7/7

マカニト致死5/5

マダルト凍結5/5

ディアルマ大回復5/5

ラダルト氷嵐3/3

ラテュモフィス解毒3/3

モンティノ沈黙3/3



 柊と茜が迷宮でイチャコラしている頃、ギルドにいる里奈に尋ね人があった。長身でアラフォーほどの男性がカウンターに向かって歩いていく。スラックスにジャケットだが着崩していて上品には見えない。先の尖った革靴で床を鳴らしながらカウンター前に立った。


「はーいらっしゃー……」


 営業スマイルの里奈が固まった。


「久しぶり、里奈ちゃん」


 男はねばつく笑みを浮かべ、カウンターに肘をついた。


「てめぇ、どの面下げてあーしの前にきやがったぁ!」


 里奈が憤怒の表情で吼えた。フリースペースで寛いでいた新人探索者たちが一斉に里奈に顔を向ける。


「いやぁー、そんなに怒ることないでしょー」

「茜パイセンとの約束を忘れたのかこのボケはぁ!」

「はっはっは、忘れていないともさ」


 男は胸元から名刺を取り出しカウンターに載せた。


「ちょぉっとイーターについて話が聞きたいんだけどねぇ」

「……なんだと」

「やー怖い怖い。いろいろ手を尽くしてるんだけど邪魔が入っちゃってさー。じゃあ直接聞けばいいやってね」

「ンなこと聞いてねぇ!」


 ドスの効いた里奈の怒声もどこ吹く風で、男は動じない。まるで普段から聞いているような慣れさえも感じる。


「お休みの日がわかったら教えて。さもないと、またおしゃべりしちゃうかも?」


 男がウインクすると、里奈の顔が青ざめる。


「てめえ、まだ」

「あはは、じゃあ僕はこれで」


 男は手をヒラヒラ振りながら、ギルドの出口に向かい歩いていく。騒ぎに気がついた犬がノート片手に男を見やり何かをメモしている。

 カウンターに残された名刺には配信者カーズと書かれていた。


「なんで、あいつがここに……」


 里奈は残された名刺を、親の仇の如く睨みつけた。

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