第14話

 朝日が昇り始めたころ。奥多摩迷宮ギルドの休憩ブースで奥多摩迷宮ギルド長である田中啓介を正面に安口と柊は並んでテーブルについていた。田中は安口の先輩にあたるが、自宅がこの近くにあることから奥多摩迷宮後ルド勤務を希望し続けており、管理職への昇進を断り続けている男だ。やや髪が薄いことを気にしている。

 どうやら田中が夜間担当で宿直だったらしく、また探索者もいないことから仮眠をとっていたとのこと。仮眠は職員の権利として認められているもので、安口もそこには言及していない。


「早朝の訪問、すまなかったな」


 出された緑茶をずずっとすする安口。


「いえ、できれば事前に連絡頂ければありがたかったですね」

「事前通告アリでは臨検にならんだろう」

「臨検という制度を初めて耳にしましたが?」


 田中もずずっと茶をすすった。田中は着替えており、今はスラックスに白いシャツという会社員スタイルだ。

 基本的にギルド職員に服装は自由だ。常軌を逸した装いでなければ個人の意思を尊重している。これは探索者に対応するためではある。

 一時期いかがわしい風俗まがいの職員も複数いたのだが、探索者と度々問題を起こしすべて放逐された。

 探索者には稼ぎの者もおり、お近づきになりたいと思う職員もいるのだ。


「臨検はさっき思いついたばかりだからな」

「だろうと思いましたよ」


 安口と田中は同時に湯飲みをテーブルに置いた。なんとなく居心地が悪い柊は肩をすぼめてふたりの様子をうかがっている。


「で、エリア長がお見えになられたのは、その彼のことですかね」


 田中がちらっと柊を見た。


「田中も知っているだろうが」

「えぇ、最近とみに話題に上がりますので。調査ですかな」

「話が早くて助かる」

「今日は水曜日ですので、まぁ暇だと思います。職員にはかん口令を敷きましょう」

「重ね重ね助かる。ボーナスの査定に足しておくぞ」

「ありがとうございます。娘が進学なので助かります」


 田中は殊勝に頭を下げた。

 柊は一言も口にできず、成り行きを見守っている。というよりは会話に入れないのだ。

 柊は就職経験がない。隠し事をしながらの腹の探り合いがわからかった。


「ん」


 安口の肘が柊の脇腹をつつく。柊は慌てて姿勢を正した。


「あ、挨拶が遅れてすみません、えっとスラ――」

「存じてますので大丈夫です」


 柊を遮った田中が笑みを浮かべる。


「連絡なしで早朝に来たあたりで察せられますので、まぁ、そんなに緊張しないでいいですよ」

「本来なら田中は私の上司かその上になっているはずなんだ。信用してくれていい」


 柊にはくたびれた中年に見えるのだが安口からの信頼は厚いようだ。柊は小さく「よろしくお願いします」とだけ言った。

 他の職員が来ないうちに潜ろうと、柊と安口は奥多摩迷宮のマップを貰ってさっさと入口の階段を下りる。

 迷宮のつくりはどこも同じだ。

 洞窟のような壁床天井。幅は3人が並んでも支障がない程度。明かりはなく、カンテラか呪文を使用しなければならない。地下の割には湿気が少ないが、腐臭のような臭いが漂ってくる。時折聞こえてくる悲鳴にも似た咆哮が、否応なしに緊張を呼び起こす。

 その中に、パンツスーツの安口と黒いパーカーとジーンズの柊だ。柊は短刀を2本持ち込んだだけ。

 迷宮には不似合いな装束だった。


ロミルワ増光の巻物を使おう」


 安口は持ってきたショルダーバッグの中から巻き物を取り出し使用した。ふたりの間にぼんやりとした明かりが浮かび、周囲10メートルほどを照らした。

 ロミルワ増光は探索している間、ずっと明かりを灯し続ける呪文だ。ただし迷宮を出てしまうと効果がなくなる。またの光の下に来ても効果がなくなる。


「便利ですね。カンテラがなくてもいいなら片手が空きます」

「迷宮で産出するんだが、余るんだよ。初心者には高くて手が出ず、中級者だと自分で唱えるから不要だ」

「なんか、もったいないですね」


 柊も、ボス戦しかしない自分にも不要だなとは言えなかった。


「よし、まずはに行こう」


 柊は安口の言葉に、彼女を二度見した。


「4階じゃないんですか!?」

「スーパー柊君がいるんだ。問題なく散歩はできるだろ。通常の迷宮でれば最深階も踏破も可能と踏んでるぞ?」

「買いかぶりすぎじゃないですか?」


 皮算用も甚だしいと思いつつも柊は自分のカードを取り出し、ステータスを確認した。


ひいらぎまもる 20歳

職業 スライムイーター

レベル --

HP 870

ST 286

IQ 150

PI 150

VT 197

AG 450

LK 20


 スライム迷宮2階で無双した時よりもステータスが上がっている。オーク程度なら問題ないとは感じているものの確証はない。地下5階といえばオーガ種が出てくる階層で、日本ではここまでしか潜れていない。

 安口はあっさり述べたが、挑めということだった。


「私のことは大丈夫だ。このスーツは迷宮産のローブを解体した生地で縫われている。レザーアマー程度の防御力はある」

「……おいくらか聞いてもいいですか?」


 そんなものがあれば柊も欲しい。


「国家機密だ」


 安口は取り付く島もない。

 ここまでばらしておいて最後は秘密だなんてひどい。柊は安口をジト目で見て無言の抗議をした。


「そんなに見つめられたら今度は唇を奪うぞ?」


 柊がとっさに後ずさると安口はアハハと笑った。


「熊野は愛されてるな。さて柊君、エスコートを頼むよ」


 そう言うと安口は探索者の顔になった。

 ふたりはマップに従い階段までの最短ルートを行く。モンスターとエンカウントすれば柊が呪文を使うまでもなく蹂躙した。地下2階、3階と危なげなく進んでいく。


「想像以上だぞ少年」


 安口が興奮気味に言った。すでに地下5階も半ばまで来た。これ以降はマップがないが、空白の場所にフロアボスモンスターの部屋があるのは間違いない。ちなみに、ボスモンスターは一度戦うと二度と出現しない。ゆえにここまでくる間にボスモンスターはいなかった。


「この先の大空間が怪しいですね」


 柊がマップの大きな空白部を指さした。今の通路の先に当たる。


「5階はオーガロードでしたっけ」

「今の君にとっては雑魚だがな」

「……気を抜くと危ないですよ」


 柊は短刀を確認した。こんなところで死ぬつもりなどなく、茜が待つスライム迷宮に帰らなければならない。今までは呪文なしで済んだが、ボス戦は全力で行くつもりだった。


「勝って兜の緒を締めよ、だな。いい心がけだ」

「一緒に部屋に入りますか?」

「ひとりで部屋の外にいるよりは安全かもしれないな」


 柊は頷くと、ボスがいるであろう空間に進んだ。

 フロアボスの部屋には木でできた粗末な扉がある。柊は安口に目で確認だけして、開けた。

 ロミルワ増光がボス部屋を照らす。柊が戦っている大広間の半分以下の広さだがパーティで戦うには十分だ。

 その部屋の中央に置かれた玉座に、それはいた。

 はちきれんばかりの筋肉に包まれた青い肌。額から延びる角。全身鎧を着こみ、傍らに大剣を侍らす。オーガロード。

 柊を認識したからか、剣を握り立ち上がった。柊も両手に短刀を持ち、安口を守るように前に立つ。

 睨み合う柊とオーガロード。


「こんな旦那が欲しいもんだ」


 ぼそりとつぶやいた安口の言葉がゴングとなった。

 柊が全力で床をける。一瞬でオーガロードの懐に入り込み、一閃。オーガロードの首が飛んだ。

 オーガロードの首と体が崩れ落ちる様を、柊は無言で見つめていた。オーガロードの体はすぐに迷宮に吸収され、彼がいた痕跡は1本の剣のみになった。


「フロアボスを一撃か……」


 背後から安口の呆れ声が聞こえる。通常ならば熟練の探索者パーティで戦うのであり、また日本ではオーガロード撃破の報告はない。柊は短刀をしまい、自分の手を見つめた。あまりにもあっけなく、本当に自分がやったのだろうかと、そんな顔で見つめている。


「こいつのドロップは剣か。片刃だな」


 安口はそんな柊とは違い、残されている剣を拾っていた。


「よーし柊、帰るぞ!」


 安口が声をかけるが、柊は手を見つめたままだ。ふっと息を吐いた安口は優しく柊の肩を叩く。


「幻じゃない、お前がやったんだ」


 柊はゆっくり顔を上げた。色々な感情がない交ぜになった、そんな顔で硬直していた。


「喜んでいいんだぞ」


 安口に言われ、ゆるゆるとこぶしを握り、そして突き上げた。


「ああああああああああぁぁぁあああ!!」


 柊の、魂の叫びだった。

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