第11話

 夕方、茜がギルドに帰ってきた。たいそう疲れた様子で、柊は何があったのか聞きたいが休ませたいという葛藤を抱えてカウンターをうろちょろしていた。


「はぁ、疲れたぞちくしょーめ―」

「茜パイセン、ナニ吠えてるし。ヤベーことでもあった? はい珈琲と里奈さんクッキー」

「お、里奈がクッキー焼くなんて久しぶりだな。相変わらずウメェクッキーだぜ」


 茜は渡されたクッキーをぼりぼりむさぼっている。余程疲れて甘いものを欲しているのかと、柊は心配になる。茜は口にため込んだクッキーを珈琲で流し込むと「ふひゅー」と大きく息を吐いた。


「あー、うまかった。で、明日からだが、師匠がここに来る。ギルド職員の応援としてだ」

「は? なに? 安口ママが来るの?」

「師匠に押し切られた」

「ま? やっべ、部屋の掃除しないとあーし簀巻きじゃん!」

「あたしもこれから掃除だ」


 茜と里奈が絶望の空気に沈んでいるのを、柊は不思議そうに見ている。


「あの、安口さんって方は、そんなにキレイ好きなんですか?」


 茜と里奈は同時に柊に視線をやる。


「割と潔癖症てのはあるけど、師匠は部屋を漁って弱みを握るんだ」

「男関係の証拠品を見つけると大喜び。薄い本とか大好物だもんね」

「歌舞伎町のホストクラブから出禁くらってるしな」

「ホストから搾り取るって聞いたし」


 ふたりの話を聞いていくうちに、柊の顔色が悪くなっていく。


「そ、そんなにおかしな人がくるんですか?」

「あたしは普通だと思ってるんだけどねぇ」


 封鎖してあるはずの入り口から妙齢の女性が歩いてくる。紺色のパンツスーツ姿と肩あたりで切りそろえられた髪型でバリキャリのように見える。


「師匠!?」

「ママ!?」


 茜と里奈が揃って叫んだ。


「どうせ汚部屋おべやにしてるんだろうから早めに来てやったよ」


 安口はカツカツとヒールを鳴らし、ギルド内を歩いてくる。いっけん小柄な女性だが、柊は胸が詰まるような迫力を感じた。


「そういえば、入り口は封鎖してあったはず」


 柊が疑問を口にすると安口は右手の親指を立て、入り口に佇んでいる桃太郎ズを指した。犬が持つノートには『長いものには巻かれます』と大きく書いてある。


「関東エリア長の安口あくち 月子つきこ43歳独身だ。伴侶は常に募集中。体には自信がある。どうだ少年?」


 柊の目の前に来た安口が葉巻を取り出し口に咥えた。


「師匠、それはさすがにキツイ」

「ママ、歳を考えようよ」


 茜と里奈に突っ込まれた安口は「うっさい」と一蹴した。


「えっと、初めまして柊衛といいます」


 この空気をなんとかしたい柊はまず挨拶をすることにした。自分の心は決まっているのだ。


「知っている。スライムイーターでいま世を騒がせているホットな少年だ」

「ここでしか通用しないステータスですけど」

「……それも含めて皆で話をしたいんだ」


 と安口は茜、里奈、桃太郎ずを見てから柊に視線を移す。自分のことなので、柊は考えることなく頷いた。


「あたしは部屋の掃除が」

「あーしも右に同じー」

「よし、早速だがここで打ち合わせをしようじゃないか」


 安口はパンと手をたたいた。茜と里奈の都合をサラッと流し、あっという間にギルドの主導権を握ってしまった安口はカウンター前のテーブルに皆を集める。足りない椅子はカウンター内から持ち出した。

 

「では改めて、本部関東エリア長の安口だ。今回は暫定処置としてここのに来た。あくまでギルド長は熊野だから、そこは気を付けてくれ」


 柊にとっては意外な発言だったが茜は想定内だったようで、顔色一つ変わらない。


「管理はあたしがしろと」

「ギルド運営は茜に任せる。私はあくまで柊少年に関することでここにいると思ってくれていい」

「柊に手を出したら追い出してもいいと」

「気が付かれなければ問題ないだろう?」

「どうでもいーけどギルドの壁は薄いんで、そこんとこよろしく!」


 3人の姦しいやり取りを、柊はどこか上の空で聞いている。話題の人物なのに会話に加われないのだ。


「あの、俺はもう少年という年齢じゃないんですけど」

「ここで無聊ぶりょうをかこつていた君に声をかけた時から柊はあたしの中じゃ永遠の少年だ」

「私から見たら少年で良いだろう?」

「柊っちは諦めるし」


 中々にひどい対応をされた柊だが、茜の言葉に昔を思い出した。


 柊がスライムイーダーであるがためにこの迷宮に潜るしか選択肢がなく、先の見えない未来に希望が持てなかった、まだ18歳の冬だ。ひたすら迷宮の1階をうろうろしているだけ。何をすればいいのかどうしたら環境が変わるのか、何もわからずに引きこもりのような生活をしいた。そんな時に茜が異動でこのギルドにやってきたのだ。


「ふむ、君が柊少年か。あたしは熊野茜という元探索者だ。ま、これで引退したわけだが」


 茜は右目の眼帯を親指で示し、朗らかに笑った。眼帯で隠し切れない傷が頬まで走っているが、その笑顔がとても素敵だと柊は見とれた。

 顔の傷を揶揄されたこともあるだろうに、屈託のない笑みを作れるその心意気に惚れた。その強さを羨ましくも思えた。

 いわゆるひとめぼれである。

 歪まされた性癖は元に戻ることはない。18の冬の出会いは柊に他者では癒せない傷を与えたのだ。


「……少年なんだな」


 茜にとって自分はまだ守られるべき子供であり、対象ではないということだ。

 ではどうすればいいか。

 簡単だ。

 強くなれ。

 茜の助けなどいらないくらいに。茜を助けるだけの強さを。一人前の男なのだと。

 柊はこぶしを握り締めた。


「俺、強くなりたいです」


 柊の呟きを安口は聞き逃さない。不敵な笑みを浮かべ柊に問う。


「それは自分のためかな、少年」

「いえ、違います」

「ふふふ、そうかそうか。よし、私に任せたまえ。御庭番衆、出番だ」


 安口が桃太郎ずを見て親指を立てる。犬雉猿の3人は頷き、犬はノートに『 ( ̄ー ̄ゞ』と書いて見せた。


「御庭番衆?」

「うん、柊君も聞いたことはあるだろ? 江戸時代の密偵さ」

「……3人がお庭番だと?」

「御庭番というのは、そもそもが幕府ではなく朝廷側にいた2重スパイだったのさ。明治維新後は元鞘に戻って今に至る、と」


 桃太郎ずはこくこくと頷く。顔を隠したりしゃべらなかったりするのはこれだからか、と柊は理解しかけたがではなぜ迷宮ギルドにいるのかという疑問がわく。


「面白いことに、お庭番は全員職業忍者なんだよ。迷宮の中でも外でも忍者だ」


 犬がノートに『(〃▽〃)』と書いた。照れているらしい。


「えっと、それがいったい、俺が強くなることとどう関係が?」

「柊くんは腕力と素早さが長所だろう? それは忍者も同じでね。簡単にいえば、彼らに鍛えてもらえばいいのさ」


 犬がノートに『(*`・ω・)ゞ』と書いた。やる気十分なようだ。


「別に柊君が忍者になる必要はない。ただ体裁きなどの指導を受ければボスモンスターと戦うときにも生きてくるだろうってことさ」


 安口が可愛らしくウィンクをした。

 善は急げと里奈を除く全員でスライムキングと戦った広間に向かう。里奈はギルドで待機だ。


「柊君には犬と手合わせをしてもらう」


 安口は軽い口調でそう告げた。桃太郎ずの犬は黒装束に着替え、短刀を持っている。柊はパーカーにジーンズと普段着にスモールシールドをふたつ抱えていた。


「犬が仕掛けるから柊君は盾で攻撃を凌ぐんだ。犬の動きをよく見ることだ」


 広間の中央で柊と犬は向かい合う。犬はマスクは外したがサングラスはつけたままだ。


「よし、はじめ!」


 安口の合図と同時に犬が動いた。体を前傾したまま脚を見せないで柊に駆けていく。柊は両腕それぞれに盾を持ち、腰を落としてボクシングスタイルになる。

 お互いの間合いに入る直前、犬の体が右にスライドする。柊がは押っ付けるように左手の盾を回すがそれよりも速く犬の短刀が柊の首に迫る。


「くっ!」


 柊は右の盾で殴るように短刀に合わせるが弾いた感触がない。背後に気配を感じ、とっさに前方に飛び込んだ。後頭部を何かが掠めていく。そのまま床を転がり、素早く起き上がる。犬は間合いを取って佇んでいた。


「速すぎ!」


 柊は叫んだ。

 手合わせ前に犬のステータスを見せてもらったが、AGは柊のほうが倍近く上だった。だが、今の攻防で柊は犬についていけていない。ステータスで無理やり体を動かしついていけているが目が間に合っていない。


「目で見るのは基本だが、それだけでは犬に勝てないぞ!」


 安口の檄が飛ぶ。気配を感じろということだ。

 ど素人に無茶を言うなと柊は苦情をぶつけたかった。


「短刀だけを見てると全体を見失う。全てを見ろ!」


 茜からも激が飛んでくる。

 全体か、とこちらは素直に受け取った。


「わかりました!」

「熊野には素直かよ!」


 安口がぶーたれた。

 柊はまた構えたが焦点を合わせず、ややぼやけた視界の中に犬を捉えた。

 予測できない動きに視線は間に合わないが、ステータスの暴力で気が付いてからの反応で攻撃には間に合う。

 犬がノーモーショーンで短刀を投げてくる。柊はそれを視界に捉えつつ、床を這うように近づく犬を認識していた。短刀と同時に何らかの攻撃が来るはずだ。柊は迫る短刀に向かう。短刀が刺さったくらいで柊は倒れるステータスではない。

 短刀が肩に刺さると同時に犬の手刀が首に伸びてきた。柊は盾を使わず犬の手首を掴んだ。


「もう逃がしません」


 柊が犬の手首を握る手に力を込めたとき。


「柊、油断しすぎだ!」


 茜の声が広間に響く。柊の左肩が熱くなり、視界がゆがみ始めた。


「あれ、なんで……」


 柊は膝をつき、そのまま顔面を床にぶつけた。茜が柊に駆け寄る。


「……獲物がなわけはないだろう」


 安口のため息が、気を失いつつある柊の耳に入った。

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