第6話

 2階への階段は地上に出る階段のすぐそばにあった。だからこそ、新人探索者は逃げおおせたのだろう。柊はごくりとつばを飲み込み、階段を下りていく。

 2階は、1階と変わらず床が岩で洞窟のようだった。


「1階と同じなのはほっとする」


 柊は腰のポーチからカードを取り出し、浮かび上がる文字を確認した。


「よかった、ステータスが変わってない」


 スライム迷宮1階だけだと思われていた柊のステータスが階下でも反映されていることも確認できた。安堵した柊は階段からまっすぐ伸びている通路を歩き始めた。

 闇の向こうからじゃり、じゃりと砂を踏む音が聞こえる。コボルトは夜目が利く上に鼻も利く。明かりは不要なコボルトからしたらカンテラを持つ柊はいい的だった。


「ギャルッ!」


 突如闇から躍り出たコボルトが、ぼろぼろの剣を振りかざして襲い掛かってきた。だが柊の目にはコボルトの動きがしっかりと見えていた。右手のショートソ-ドを振り下ろされる剣に横から叩きつける。軽い音を立ててコボルトの剣が闇に転がっていった。柊は返す刀でコボルトを袈裟懸けに斬った。


「ギャッ!」


 短い悲鳴とともにコボルトは床に崩れ落ち、あっけなく勝負はついた。ステータスがあがった柊にとってコボルトは相手にならなかった。

 残念ながらコボルトから金貨も核も落ちなかった。それは柊にとってフロア自体に価値がないと同義だ。しかし収穫は大きかった。


「コボルトの動きがよく見えた。油断はできないけど、これなら調査に支障はなさそうだ」


 コボルトを難なく倒したことは柊の自信につながった。この迷宮のスライムを食うことでしか成長できず、また他の迷宮に行くこともできなかった彼にとって大きな自信となったのだ。

 柊は2階の隅から隅まで歩き回り、同時にマッピングもした。自分は潜らないだろうが新人探索者が潜る際にマップがあったほうが生還率は上がるだろうとの思いからだ。

 探索者に犠牲が出たら茜が悲しむ。例え探索者の落ち度であったとしてもだ。

 怪我がもとで探索者を引退した茜にとって、後輩の探索者の怪我を見るのはつらいだろうと、先ほどの出来事でそれが分かった。できれば茜を悲しませたくない。


 コボルトが現れても敵ではなく、3体で襲われた時もなで斬りで圧勝だった。

 柊がマッピングを終え、ギルドに戻ってきたのはすでに日付が変わった後だった。カウンターでは茜がうつらうつらと舟をこいでいる。

 昼間にあんなことがあって疲れているはずなのに、こんな時間まで待っていてくれている。申し訳なく思うが嬉しさのほうが強かった。

 待っていてくれる人がいる。

 今までもだったが、今日ほど強く感じたことはなかった。柊は静かにカウンターに歩み寄り、帰りましたと声をかけた。


「お、おお」


 茜はぱっと目覚めたもののまだ半分寝ているようだ。おとなしい茜が珍しかったのか、柊は彼女の頭を撫でた。撫でられて気持ちがいいのか、茜はうにゃうにゃとほほ笑んだ。


「リア充爆ぜろォォ!」


 どこからか響く呪詛のような叫びで目が覚めたのか、柊に撫でられている現状を把握した茜の顔が赤くなっていく。


「い、いつから、無事に帰ってきてってあたしを子ども扱いするんにゃにゃい」


 盛大に噛んだ。

 可愛い、と柊は心のメモリーに録画した。家宝だ。


「2階のマッピングをしてたから遅くなりました。明日朝から資料をまとめることにしてもう寝ましょう」


 柊がにこっと微笑むと、茜はぐぬぬと悔しがった。いつもと立場が逆だ。


「まあいい、柊少年、ゆっくり休むんにゃ」

「ぷぷ」

「わ、笑うな!」


 耳まで真っ赤にした茜は、どすどすと逃げるように階段を昇って行った。


 翌朝、日の出直後。2階会議室。柊が提案したように、突如出現した2階の資料作りのために打ち合わせが朝食と同時に始まった。朝早いのは、昨日の情報が既にインターネットで拡散されていたからだ。


「野次馬は来ますよね、絶対」


 柊はそうぼやき朝食のトーストを齧った。今日は見事な卵焼きである。里奈の機嫌もいい。


「あたしは本部の人間がこそっと来るだろうと睨んでる」

「あーね、童顔の職員を新人探索者に見立ててきやがるね」

「里奈もそう思うか」

「こっちからちょっと待ってって言ってるところに正面から押し掛けると情報がもらえないかもって狡い考えしてそうだし」

「柊の職業を馬鹿にしてたやつらばかりだったからな」


 茜は牛乳が入ったカップを落とすようにテーブルに置いた。柊のことになると血圧が上がってしまう。


「今日は事務員として撮った映像の編集でもしてますよ。俺の姿がないほうがいいですよね?」

「念のためだな」

「デタラメディアは受付でシャットアウトするし」

「相手が強引ならこちららも力づくでいく。ここはだからな」


 茜はニヤリと嗤った。

 基本的に迷宮ギルドは、迷宮の範囲内にある。迷宮と外界との入り口はギルドの出入り口を兼ねている。ここに限らずだが、ギルド職員は元探索者が多い。ギルドないし迷宮内で探索者同士のトラブルが発生した場合、ギルド職員が鎮圧する権限を持っている。

 権限だけある職員に対して、迷宮内でステータスが上がる探索者が指示に従わないことを鑑みての処置だ。場合によるが殺人も認可されうる。

 探索者未経験者バージンの里奈がいられるのはここが新人ばかり来るスライム迷宮だからだ。新人の対処は茜単独で可能な上に柊もいる。しかもスライムキングを倒してレベル60程度のステータスになっている。

 実力行使には実力行使で返答する。それが迷宮の作法だ。


 茜と里奈がカウンターに行った後、柊はカメラからメモリーカードを抜き、ノートPCで編集作業をしていた。だらだら流すのではなく3倍速にして編集する。自分の音声が聞かれると恥ずかしいという理由もあった。


「スライムキングの横の1/10、コボルトキングの横の2/10って分母はやっぱりだよなぁ」


 自分で撮った映像を見ながら柊は呟いた。

 現在、世界で確認されている迷宮の中で最深階はインドの地下7階だった。竜種が出る難易度の高い階でいまだフロアボスは倒されていない。各国政府が秘匿していなければ迷宮は7階で構成されてるはずだ。


「これ、結構やばい情報なんじゃ?」


 柊が頭をかいたその時、階下のカウンターから里奈の怒号が響いた。


「オイコラ、そこまで強引に入ろうってんならこっちもそれなりの対応させてもらうよ!」

「いえいえ、ちょっとでも見せてもらえたらなって言っただけですよー」

「新たに出現した2階部に関しては昨日全調査とマッピングも終えてる。資料は現在まとめてる段階で、それは本部に提出する予定だ。詳細は本部からの発表を待ってくれ」

「そこをなんとかなりませんかねー。新しい迷宮は10年ぶりなんですよー?」

「あ、少年たち、こっちで受付してから入るし」


 里奈と茜が対応しているが、だいぶ強引なメディアもいるようで、柊も聞き耳を立ててしまう。


「イーターが回復呪文を使ったって情報もあるのですが、その彼は?」

「柊をと呼ぶ輩に会わせる予定はない」

「秘匿はいけないと思いますよー?」

「本部の発表を待ってくれ。以上だ」


 茜が強気に対応している。本部に責任を丸投げではあるが、支部の特権だろう。

 しつこいな、と柊はうんざりした。どうせ発表された内容も面白おかしく脚色してまともに伝えない癖に、と毒づく。


「いっそボスモンスターを倒しまくってやろうか」


 柊の頭には、スライムキングの核を食べた後のステータスの極端な上りが過っている。自分がもっと強くなれば、たかってくるメディアも追い返せるかも。などと考えていた。

 諦めの悪いメディアに辟易していると、やおらギルド入り口が騒がしくなる。複数のスーツの男たちが入ってきた。


「あーれ、本部の人間じゃん」

「まさか正々堂々正面から来るとは。しかもあいつか」


 スーツ姿の本部職員は4人。手にはビジネス鞄とロングソード。迷宮のビジネススタイルだ。


「本部から派遣された城内と申します」


 職員のリーダーと思われる眼鏡の男が名刺を出してきた。茜は恭しく受け取り、カウンターの中にしまった。彼女の知っている男で元パーティーメンバーの男だった。


「随分お早いおつきで。おかげで歓待の用意ができてないぞ、城内」

「こちらにも色々ありましてね。熊野茜ギルド支部長、少しお話がしたいのですが」

「……2階の会議室に入ってくれ」


 茜が親指で階段を指し示すとメディアの男は持参したカメラに向かい「ギルド本部の職員がいま、入っていきます」と大袈裟に捲し立てている。


「里奈、頼んだぞ」

「かしこまりー、里奈にお任せ!」


 里奈はセーラー服の袖をまくり力こぶを作った。

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