第2話

 翌朝、階下からの声で目を覚ました柊は、食事を求めて階下に降りた。時刻は朝の7時過ぎ。新人探索者が来るにはまだ早い時間だ。


 スライムイーターという特殊な職業である柊は高校卒業記念として迷宮に入った2年前から国に管理され、その能力を唯一発揮可能なスライム迷宮のギルドの3階で寝泊まりしている。幼いころに親を亡くしていた柊にとっては、不服だったがある意味渡りに船ではあった。

 ギルドとは迷宮管理を目的とした探索者統治機構で、ファンタジーで使われることが多いギルドは通称だ。迷宮に潜る探索者の登録やを行い、迷宮に誰がもぶっているのかを管理する。また迷宮からする品々をに買い上げ、製品として形を整え再販するのだ。

 もっともギルド職員も買収されるなどすればご禁制品目は外に漏れる。特にポーション類は闇市に流れていると言われている。


 柊が階段を降りていくと、茶髪サイドテールのセーラー服少女がカウンターに立っているのが見えた。


里奈りなさん、おはようございます」

「おはっす柊っち! うーん、今日もアンニュイな顔しちゃってるねぇー」


 里奈と呼ばれた高校生くらいの女の子が右手で敬礼しながらニタニタ笑っている。

 佐々木里奈。

 高校中退で茜にスカウトされた訳あり女子だ。肩までのサイドテールがトレードマークで偽ギャル。服装はコスプレ用セーラー服で、職業は盗賊。ただし、迷宮未経験バージン

 夜にいた熊野茜とふたりでこのスライム迷宮ギルドを切り盛りしている。茜がギルド支部長で里奈が副支部長だ。柊も事務員としてカウントはされている。ほとんど迷宮に潜ってはいるが、休みの日はスライムイーターの能力研究と称した雑務をこなしていた。


「スライムイーターなんて職業を貰っちゃえば誰でもこうなりますよ。あ、朝食ってなんですか?」

「里奈ちゃん特製スクランブルエェェッング!」

「卵焼きは失敗した感じですか?」

「うーん、そうともいうね! 少年、感じ悪いぞ!」

「茜さんのマネはやめてください。それに、里奈さんはまだ19歳でしょ」


 柊はスルー気味にカウンターを出て、向かいにある丸テーブルに座った。


「茜パイセンへの思慕は心に秘めておくもんじゃん。はい、朝ごはーん」


 里奈がトースト、スクランブルエッグ失敗卵焼き、インスタントコーンスープを載せたトレイをテーブルに置いた。バターが溶けた甘い香りが漂う。柊のお腹がクゥとかわいく吠えた。


「……そんなんじゃありませんよ」

「またまたーバレバレじゃん?」


 里奈がニヤつくので柊はスッと視線そらすとちょうどギルドの出入り口から入ってくる少年らを見つけた。


「おっとお客さんじゃん」


 里奈はミニスカートを揺らしながらトテテとカウンターに戻り、すまし顔で少年たちを出迎える。


 探索者になるには法律で義務教育の卒業が求められた。国の重要産業となったが必ずしも学力が必要ではない。そして迷宮での職業は現実での身体能力に関係なく振られていく。小さいときから剣道を続けていた高校生が職業僧侶となることもよくあることだった。

 国としては、一度は迷宮に入って職業を確認することを求めた。職業には上位職である司祭、侍、君主、忍者があり、それは迷宮探索においてかなりのアドバンテージだった。その上位職を見つけることが、迷宮を制することと直結したからだ。

 カウンターに取り付く少年らのうちひとりが柊を見てつぶやいた。


「あれがスライムイーター?」

「おい、指さすなって」

「アイツ、ここにしかいられないんでしょ」

「だからやめとけって」


 ギルド中に無遠慮な声がこだまする。これが嫌だから柊は遅くまで潜っていたのだ。

 スライム迷宮はワンフロアで構成された単純な迷宮だ。しかもスライムしか出ない。すでに探索しつくされ安全なために探索者になりたての者は必ずここに来る。むしろここで職業を得ることが一般的だ。


 このスライム迷宮にはボスモンスターがいない。世界各地の迷宮には必ず各フロアのフロアボスモンスターと迷宮最奥のボスモンスターがおり、探索者が到達するのを待ち焦がれている。

 このボスモンスターを倒すと迷宮は踏破されたと判断され、迷宮としての活動を停止する。その代わりとして、現実世界では得られない【希望】を得るとされていた。

 実際に踏破された迷宮は報告されていないが、政府によって機密にされている可能性もある。

 

 新人探索者はここで迷宮というものを知って、他の迷宮に行ってしまうのだ。新人探索者がここにいるのは長くても1週間。1年以上いて、しかも住み込みの柊は目立ち、そして強くなってもこのスライム迷宮から出られない特殊職業は嘲りの対象でもあった。

 ここのスライムはなぜか金貨を落とさない。アイテムも何も落とさない。

 よって訪れるのはほぼ新人だけ。

 だからこそ、ギルドはふたりで回せているのだが。

 

「はいはい君たち、あーしの注意事項をよーく聞く様に! さもないとスライムに食べられちゃうぞ!」

「スライムって簡単に倒せるんでしょ?」

「ネットじゃ小学生でも倒せるってあったよ?」

「そこの少年、現実とネットはちがうんだからね。スライムは強酸性の液体を内包してるから、不用意につくと体液が飛び散って肌が焼けるからね! 君たちの綺麗な肌がただれちゃったらお姉さんは悲しいよ」


 里奈がオヨヨと大袈裟に泣きまねをする。コミカルな仕草だが里奈は真剣だった。

 たかがスライムと油断すると暗がりで転んだりする。闇に包まれた迷宮では頼れる明かりはカンテラだけだ。明かりの魔法はあるが、ここにくる新人ニューカマーはそんなものを覚えてはいない。

 油断が最大の敵なのだ。

 柊はそんな里奈の説明を毎日聞いている。新人が来ない日はない。柊はそのたびに指をさされる。


「いただきます」


 そんな頑張っている里奈に感謝しつつ、きつね色に焼けたトーストに手を伸ばした。


 朝食を終えた柊は迷宮に潜る準備をしていた。もちろんギルド3階の自室でだ。スライムしかいない迷宮に準備するものは特になく、装備品も念のためのダガーくらいだ。鎧どころか黒のパーカーにジーンズという迷宮を舐め切った出で立ちだ。

 茜によって綺麗に整えられた髪と合わせて、そこらにいる地味目な大学生にも見える。


「今日はいくつ上がるかな」


 腰のポーチにはカードとこれまた念のためと茜に持たされているディオス小回復の薬だ。

 茜は元探索者で、右目を失う大怪我で引退した経験から過剰なまでに「念のため」を求める。スライムしか出ないのにと柊が異議を申し立てても腰のポーチにねじ込んでくるのだ。

 おせっかいと感じるがそれでも自分の身を真剣に案じてくれているのは、侮られがちな柊にとっては嬉しく内心では感謝している。

 そしてそれはいつしか特別な感情に変わっていくのは当然だった。

 柊がここ我慢できているのは茜という存在がいるからだ。

 ダガーと回復薬の確認をした柊は部屋を出てギルドのカウンターへ向かった。


「あれ、茜さんがいる」

「おっす少年、よく寝られたか?」


 階段を降りたところに茜の姿を見つけた。夜勤の後は昼過ぎ頃でないと階下にやってこないはずだった。


「おかげさまで良く寝られてますけど。今日はずいぶん早いんですね」

「あー、右目が疼いてるんだ。こいつが疼くと大概ろくなことが起きない。柊も気をつけろよ? 武器はあるか? 薬は持ったか? カンテラは持ったか? 痛いところはないか? 歯は磨いたか?」


 オカンのように体をペタペタ触れてくる茜の手を避けながら、柊はカウンターを出た。


「柊の健康チェックもあたしの仕事なんだからおとなしく触らせろ」

「問題ないですってば」

「お、なんだ、まだ疲れてるんじゃないか? 茜さんのオッパイでも揉むか?」


 茜は腕を組み胸を持ち上げる。着やせするらしく、予想以上のブツが強調される。柊は思わず茜の胸を見た。そして気まずくなって目を逸らせた。


「ちょっと茜パイセン、それセクハラー」

「円滑なコミュニケーションと言ってくれ。慎ましいオッパイの里奈もどうだ?」

「ちょー、それ関係ないしー。それにあーしは彼ピがいるしー」

「チッ、裏切り者め」

「茜パイセンに言われたくなーい」


 茜と里奈の漫才じみた会話の隙に柊は忍び足で迷宮入り口に向かおうとした。が、目ざとい茜に見つけられ、迷宮に降りる階段まで同伴出勤となった。


「あたしの右目は迷宮に置き去りでな、何か起きるときにはひどく痛むんだ。今日みたいにな」

 

 茜の顔は迷宮に入るベテラン探索者そのものだ。羨ましく、そして自分の手では届かない、そんな顔をしていた。

 自分の知らないかつての茜はこんな顔をしていたんだろう。ずいぶんと遠いな、と柊は感じずにはいられない。


「今日も無事に帰ってきてくれよ? お前が帰ってくるまでは起きてるからさ」


 茜のそんな言葉に押されて、柊は地下迷宮への階段を降りて行った。

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