【スライムイーター】 ~俺専用のボス戦を攻略して姉御を助けます~

凍った鍋敷き

第1話

 ひいらぎまもるは闇を照らすカンテラを持ち、スライム迷宮ダンジョンを歩いていた。

 冬も終わりの3月中旬。まだ夜は寒く、柊の吐く息も白い。


「いた」


 闇との境界に、スイカを半分に切って伏せた形の青い物体を見つけた。単細胞のように羊水で満たされた個体の中には赤い果実めいた核が浮かんでる。スライム迷宮での唯一のモンスターであり最弱のモンスター、ブルースライムだ。

 それは迷宮の地面の砂を吸収しながらのそりのそりと柊に近づいてくる。

 柊はカンテラを床に置いてかがみ、ブルースライムに片手を差し込んだ。わずかな抵抗と刺激を感じつつブルースライムの核を掴み、一息に抜き取った。


『ォォォォォ』


 核を奪われたブルースライムはささやきともとれる断末魔を最後に迷宮の床に崩れ、消えていった。

 柊は右手に持ったブルースライムの核を無造作に齧った。3口で食べきり、静かに目を閉じる。身体がわずかに赤く光り、内臓が熱を持つ。

 柊は腰袋に入れてあったカードを取り出した。


ひいらぎまもる 20歳

職業 スライムイーター

レベル --

HP 150(+1)

ST 47 

IQ 40

PI 40

VT 37 

AG 60

LK 20

※1


 アルファベットと数字に組み合わせが並ぶ。


「よかった、ステータスが上がった」


 柊はほっとした表情を浮かべた。


「今日は10匹を食べてステータスが上がったのは2回。2割を超したから運が良かったかな。もう22時を過ぎたし、今日はギルドに戻ろう」


 柊は床に置いたカンテラを拾い、夜よりも濃い闇に向かい歩き始める。

 響くのは柊の足音だけ。耳なりの音がうるさいほどの静寂の中、明かりが漏れる階段を目指した。


 階段の先は石畳の広間になっていた。高い天井からオレンジの光が降り注いでいる。高原は謎だがこれも迷宮の一部だ。

 柊は急な明るさに目を細める。

 木の根の様な壁に囲まれた100畳ほどの大空間に下へ降りる階段がひとつ。あとは木でできた粗末なベンチや傷だらけのテーブルがそこかしこに不規則に散らばっているだけだ。人影はない。すでに日付をまたごうとしている時間に迷宮に挑もうという愚かな探索者はいないようだった。

 そのことに柊は安堵の息を吐いた。


「わざわざ人がいない時間まで潜ってよかった」


 柊はゆっくりと広間の出口に向かって歩き始めた。広間の出口は石造りのアーチになっていて西洋建築のようだが、ここは日本だ。アーチをくぐると、そこは木造の空間に続いていた。

 部屋は20畳ほどの空間で、左手に木製のカウンターがあり、申し訳程度の数のテーブルとイスと、外に出るドアしか見えない。カウンター内は見えない位置に上へ行く階段と書棚があり、バインダー類が並んでいる。

 木製のカウンターには右目に眼帯をした掠れた金髪の女性、熊野くまのあかねが頬杖をついてぼんやりしていた。

 金髪女性の年の頃は20代半ば。顔つきは日本人で、明らかに髪を染めているがケアがおろそかなのか頭頂が黒いプリン頭になっている。右頬には眼帯から続く傷跡が痛々しい。

 茜は柊の姿を認めると、ニカっと笑顔を向けた。


「お、無事に帰ってきたな少年」


 その言葉に柊はにっこり笑みを浮かべた。


「茜さんは俺より4つ上なだけでしょ。俺はもう20歳で酒も飲めるんですけどって何回目ですかこのやり取り」

「まぁ毎日の挨拶と思ってくれ」

「そんな挨拶はありませんって」


 柊は軽口を叩きながらカウンター前に進んだ。腰につけたポーチの中から金属製のカードを取り出しカウンターに乗せた。茜は恭しくカードをつまんだ。


「さぁて柊衛君の今日の成長具合はっと。お、上がってるねぇ」

「ちょっぴりですけど」

「少しだって立派な成長さ。ステタ―スだけ見ればレベル35相当で中堅探索者だぞ?」


 茜は嬉しそうにカードに浮かび上がった文字を見ている。

 ステータスだけ見ればですけどね、と柊は冷ややかだ。


「柊はAGの上りが大きいから素早さを生かしたヒットアンドアウェーが良さげだぜ」

「スライムを食べることしかできない上ににしかいられない俺には戦い方とか無用ですよ」

「わかってねーな―柊少年。いまでこそ職業スライムイーターの影響でスライムしか食えないわここでしかステータスが反映されないわだけど、そんな特殊職業がある以上、何らかのことが起きるのは必然だぞ? その時に役立つだろ?」


 茜は諭すように優しくは柊に語るが彼の顔はすぐれない。そうあってほしいが、もうかれこれ2年は何も起きていない。特殊な職業だからと国に召し上げられたはいいがそこから進歩はない。かつて持っていた希望はそろそろ賞味期限が切れそうだった。


「今日はもう寝ます」


 柊は小さく頭を下げ、カウンタ―脇にある職員専用口を通り階段へ向かう。


「よく寝て明日も頑張るんだぞ!」


 すれ違いざま、茜に頭をぐしゃぐしゃと撫でられながら柊は階段を登っていく。3階の割り当てられた部屋に入り、着替え、ベッドに転がった。


「こんな毎日に何の意味があるんだか」


 柊はつぶやいた。

 スライムイーター。

 これが柊のだ。


 20年ほど前、突然世界各地に迷宮ダンジョンが出現した。そこにあった建物を無視して、いきなり地下へと続く階段が現れたのだ。それは当然、日本にも。

 原因は不明。階段の先は闇に包まれていた。好奇心溢れるものが階段を降りて行った先で見つけたのは、異形の襲撃だった。粘着状で床を這いずる液体のような生命体や犬の顔を持った人型の生物が襲ってきたのだ。

 好奇心のみをまとって侵入した人々はあっけなく死んだ。戻ってこない人らを心配し警察を呼ぶが、彼らも判断のしようもなかった。

 調査のために明かりをもって警察官が階段を降りた先で見たのは、惨殺された遺体だった。

 刃物で斬られたような傷跡や酸をかけられたかのような肌のただれ。警察官の背筋には冷たいものが下りてきたがそれだけではすまなかった。ライトの届かない闇の奥から唸り声が聞こえたのだ。慌てて向けたライトの先に異形の姿が浮かび上がる。

 警察官は腰の銃に手をかけるが、それが火を噴くことはなかった。銃を向け撃鉄を引くが発砲しない。困惑する警察官の肩に異形の剣が食い込み、物言わぬむくろの仲間となった。


 その後、自衛隊の投入により地下構造体内での火薬の無効化が確認された。つまり、銃火器が役に立たないのだ。自衛隊は銃剣で異形を倒しながら遺体を回収しつつ進んでいった。そしてさらに下へ続く階段を見つけた。

 そこで態勢を整えるために退却した自衛隊の部隊の面々の所持品に、謎のカードが入っていた。

 隊員の名前と、そしてアルファベットと数字の組み合わせだ。

 職業には戦士や魔術師僧侶、はては盗賊の記載まであった。盗賊と記載された隊員は顔をしかめつつ、そのカードを睨んでいたという。


 まるでゲームのステ-タスのような表記だった。

 倒した異形からは小さいが金貨を取得していた。世界の金貨と照らし合わせても一致するものがなく、また金としての純度が高くの高品質なものだった。異形もファンタジーを舞台にしたゲームや創作物に出てくる魔物とよく似ていたのでモンスターと呼称された。

 この情報はすぐに世に広まってしまった。世界各地の迷宮でも同じような現象が起きたからだ。


 判明したことは世界で共有された。

 迷宮の入り口は1カ所しかなく、それ以外からの侵入は不可である。

 迷宮は現存する地下構造物には影響せず、別次元である可能性が高いこと。

 火薬が燃焼せず銃火器が使用不可になり、モンスターを駆除するには刀剣などで対応する必要があること。

 迷宮内限定だが職業によって呪文が使える人間が現れたこと。

 職業には戦士、魔術師、僧侶、盗賊、司祭ビショップ、侍、君主ロード、忍者があること。

 呪文は魔術師、僧侶、司祭、侍、君主の職業が使用可能なこと。

 レベルが存在し、身体能力がカードに記載されてること。

 迷宮内限定ではあるがモンスターを倒すほどに身体能力が向上したこと。 

 モンスターがまれに宝箱を落とすこと。

 そこに入っていた武具のなかには特殊な効果を発揮するものがあったこと。

 宝箱から出てくる中に治物理法則を覆す治癒効果がある薬があったこと。


 このようなことが起こり、迷宮産の品々が世界の常識と趨勢を変えていった。

 迷宮を制するものが世界を制する。このようなことも公然と言われるようになった。日本でも迷宮は国の基幹産業にひとつになっており、職業として迷宮に潜る人たちのことを、探索者と呼ぶようになった。


 柊はその職業からあぶれた【スライムイーター】という特殊な職業だった。

 レベルはなく、モンスターを倒しても身体能力が上がらない。呪文も使えない。その代わり、スライムの核を食べることによってステータスを上げることができる、あまりにも特殊なものだった。

 しかもどこの迷宮でも上がるはずの身体能力も、モンスターの中で最も弱いとされるスライムしか出ないスライム迷宮でのみ発揮される、どうしようもないものだった。

 スライムは酸性の羊水で満たされている単細胞生物だが、攻撃方法が接触したうえでの酸性体液による溶解だけで、中にある核をつぶせば子供でも倒せてしまうほど弱いモンスターだった。


 柊がいるのは、探索者になったばかりの若者が集う初心者用と呼ばれるスライム迷宮だ。東京立川にある国営昭和公園の池のほとりにぽっかり空いた迷宮だ。正式名称は立川迷宮だが通称であるスライム迷宮の方で良く知られたいた。

 スライムイーターという職業は、柊にとって好ましくはない状況を生んでいた。

 ここ立川以外のどこにも行けず、戦うことで強くなれない。ここを訪れる新人探索者にも馬鹿にされる始末だった。


「考えても解決しないか……明日もがんばろう」


 柊は静かに瞼を閉じた。瞼の向こうに茜の笑顔の幻影を見ながら、意識を放した。

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