第3話

 迷宮に降りた柊は突然高揚感に襲われた。妙に腹の底が疼く。

 そして強大な力の存在の感知した。迷宮の奥、そこに何かがいる。柊は湧き上がるアドレナリンに呑まれるようにそこへ向かった。


 道中でエンカウントしたスライムは踏みつぶした。まるで存在に気がつかなかったが如く、無造作に。

 柊はカンテラに浮かび上がる迷宮の床などには目もくれず、ただ明るさの先の闇を見つめて進んだ。

 勝手知ったる迷宮を右へ左へと角を曲がる。たどり着いたのは、本来であれば行き止まりの迷宮最深部。だが、そこには鉄の両扉が鎮座していた。彫刻などは一切なく取っ手以外はただの平面だが、扉上部には文字が掘られている。


【スライムキング 1/10】


 その文字を確認した柊はポカンと口を開けた。


「スライムキング? 確か、他の迷宮だと地下1階のフロアボスだと聞いたことはあるけど……それにしたってこんな扉、今まで見たことない。ここには何回も来てるんだぞ、俺」


 1分ほど文字を見つめていた柊だが不意に正気を取り戻した。腰の袋からスマホを取り出し扉と文字の写真を撮る。何かおかしなものを見つけたら写真を撮っておいてくれと茜に言われていた。

 迷宮内では一切の電波が通じない。スマホはあっても通話はできない。ただの記録機器だ。ゆえに探索者が危機に陥っても助けを求めることができず、死んでゆく。

 迷宮で死んだものはある程度時間がたつと迷宮に吸収される。そして探索者からされるのだ。


「スライムキングはまだしも1/10ってなんだ? 茜さんなら知ってるかもしれない」


 引き返して聞きに行こう。そう思っていた柊だが、腹の底から湧き上がる高揚感がそれを塗り替えていく。

 他の迷宮の地下1階層は踏破されていて、スライムキングのステータスは公表されている。

 突破したパーティは平均レベル10ほどだったと記録されていた。柊はレベル35相当。パーティーではなくソロだが、能力的には十分だ。


「今の俺なら、余裕で勝てる相手だ」


 謎の興奮状態に陥っている柊は冷静な判断がついていなかった。ここは一端撤退して情報を集約し装備を整えるべきだった。

 柊は持ってきたダガーを咥え、両手で扉を押し開けた。

 扉の先は高天井の石造りの大広間だった。しかも壁には多数の松明が燃えており、光量は十分だった。その明かりに照らされたのは広間中に散らばるブルースライムの群れ。


「ブルースライムが沢山いるだけ?」


 柊は持っていたカンテラを床に置き、ダガーを右手に持った。相手がスライムとはいえ、異様なプレッシャーを感じていた。ダガーを構え、油断なくスライムを観察する。


『ォォォォォ』


 スライムのどれかが囁くように吠えた。


『ォォォォォォ』

『ォォォォォォ』

『ォォォォォォ』

『ォォォォォォ』


 次々と呼応するスライム。そしてスライムたちが広間の中央に集まり始めた。2匹のスライムが溶け合い一回り大きなスライムになった。そのスライムも別なスライムと融合し、さらに大きくなる。


「やばい気がする!」


 柊は広間中央で合体しつつあるスライムに駆けた。だが、様子を見たがために一歩遅かった。柊の目の前でスライムはひとつになった。

 巨大な半球型のブルースライム。その表面に一筋の線が入り、それが開いた。ぎょろりと瞠目した血の色の瞳が露になる。


「な、目だと!? スライムに目!?」


 間髪入れずにその下部が横に裂け、体半分ほどの口が開いた。獰猛な牙が覗く。


「口まで!」


 柊があまりのことに足を止めてしまった。好機と見たのかスライムキングの口から呪文があふれる。


マハリト大炎


 スライムキングが唱えた大炎の呪文が柊を襲う。柊の足元から炎の柱が吹きだした。柊の皮膚を燃やしていく。


「ガァァァッ!」


 この迷宮で柊が初めて上げた悲鳴だ。その場に崩れ落ち、熱さで地面をのたうちまわる。パーカーにも火が移り、柊は転がることで本能的に消火した。

 入ってきた扉からだいぶ離れたところまで転がって、鎮火した柊はよろめきながら立ち上がった。パーカーは半分以上無くなっており、両袖は焼失している。肌は火傷で爛れ、顔は煤で真っ黒だ。


「スライムキングが呪文なんて、聞いてない!」


 スライムキングはただデカいだけのスライムだと記録されていた。それは柊も知っていたことだ。

 マハリト大炎は火炎系の呪文であるハリト小炎の中級呪文で初心者探索者のパーティなら一発で全滅もありうる威力だ。キングとはいえ雑魚モンスターであるスライムが唱えてよいものではない。

 なぜスライムキングが呪文を、しかも中級呪文を。

 柊の額には熱さだけでない球の汗が噴き出している。


「落ち着け、俺は、ステータスだけはレベル35相当だ」


 柊は手に持ったダガーを震わせながら自分の身体を確認した。呪文で燃やされたとはいえ、ダメージはそれほど致命的ではない。それよりも呪文を食らったという精神的なダメージの方が大きい。柊は冷静さを失っていた。


「デカくなってもスライムだ!」


 柊はスライムキングの正面に駆けていく。


マハリト大炎

「クソッ!」


 柊は地面から吹き上がる炎に突っ込んでいった。そしてスライムキングの目の前に飛び込み力の限りダガーを振りぬいた。

 ダガーに伝わる、粘着質を斬り裂く感触。手ごたえはあった。

 バックステップでスライムキングから距離を取る。


「攻撃は、通用する。いける」

ディアル中回復

ディアル中回復!? そんな馬鹿な!」


 スライムキングは呪文で斬られた箇所の修復した。が、完全には回復しきれていないようで、斬り裂かれたままの個所もあるのを見つけた。


「攻撃しても回復されたら……クソ、入り口が閉まってる。やるしかないか!」


 退却が頭によぎったが、入ってきた鉄の扉は閉じられていた。柊は閉じていないが、おそらく迷宮が閉じたのだろう。迷宮は全てが謎だ。これくらいはやってのけるのだろう。

 茜から持たされたディオス小回復の薬を一気に飲み干す。

 体力はまだある。体も腕もまだ動く。茜さんが待っている。絶対に帰る。

 覚悟を決めた柊は腰を落としダガーを構えた。


――柊はAGの上りが大きいな。素早さを生かしたヒットアンドアウェーが良さげだぜ。


 茜の言葉を反芻し、柊は地面を蹴った。


マハリト大炎


 スライムキングが呪文を唱えた瞬間、右90度ターンを決めた。左半身が炎に焦がされるも、直撃は免れた。

 スライムキングの背後に回り込むように弧を描き走る。スライムキングの動きは緩慢で、赤い瞳は彼の動きを捉えきれない。

 柊はダガーをスライムキングに刺し、そして斬り上げ即座にバックステップで左に回り込む。あくまでスライムキングの死角に入り続ける。


マハリト大炎


 スライムキングのあてずっぽうの呪文は柊から離れた場所に火柱を立てた。


「どこ見てんだこの木偶でくのスライム!」


 柊は斬っては離れ死角に回りこみを繰り返した。スライムキングはディアル中回復を唱えるが斬られるダメージを回復しきれず、身体が徐々に崩れていく。


マハリト大炎も飛んでこない。回数を使い切ったな!」


 柊は勝ち筋を掴み取った。

 呪文は回数に限度がある。いかな魔術の達人でもひとつの呪文は9回までしか唱えられない。

 スライムキングは回数を使い切り、マハリト大炎を唱えられないでいる。あとは柊に斬られていくだけだ。

 走り回りスライムキングを翻弄しつつダガーで斬る。地味な攻撃だが今の柊にはこれしかない。

 斬り続けること十数回、スライムキングが断末魔をあげた。


『オオオオオオオ』


 もはや囁きではなく絶叫。ぼろぼろと崩れていく青の塊。肩で息をする柊は、それを静かに見続けた。

 残ったのは見慣れた赤い核。それは柊の右手でギリギリ掴めるほど大きかった。

 柊はその核に近づき、おもむろに拾う。


「これがスライムキングの核……大きい」


 普通のスライムの核はゴルフボールほど。比較できない大きさだ。


「これを食べれば……」


 柊は躊躇なくかぶりついた。味はやや甘みを感じる程度で、可も不可もない。飲み込むたびに内臓が熱くなるのを感じる。体の痛みがすべて消え、幸福感で満たされていく。

 全てを食べ切ったとき、柊の頭にいくつかの呪文が浮かび上がった。


 マハリト大炎 5/5

 ディアル中回復 5/5

 ラテュマピック識別 5/5


「まさか、俺が呪文を使える……?」


 柊は試したくなる心を抑えきれない。右手を前に掲げ、呪文を唱えた。


マハリト大炎


 柊の口が呪文を紡いだ瞬間、5歩ほど前方に炎の柱が立ち上がる。伝わる熱に柊は思わず後ずさった。


「すごい!」


 呪文の威力に驚きつつも、興奮が抑えきれない。

 職業スライムイーターとして、自分の可能性を潰されてきた。指をさされながらスライムの核を食べる日々は、報われた。


「ぁぁぁぁ、ぁああああああ!!」


 柊は両手を突き上げ、咆哮した。腹の底から、馬鹿にされた日々を燃やし尽くさんほどに叫んだ。


「茜さん、やりました!」


 脳裏に浮かぶのは、右目に眼帯をした女性の姿。自分を信じ続けて、腐りそうな自分の背中を押し続けてくれ人だ。


「……茜さんに報告しないと」


 我に返った柊は、入ってきた扉のちょうど反対側に、さらなる鉄の扉を見つけた。入ってきた扉同様意匠はなく、ただ鉄で作られたものだが、その上にある文字は違った。


「コボルトキング、2/10……」


 コボルトキングとは、複数階層の迷宮における2階層のフロアボスモンスターとして知られている。

 コボルトは、簡単に説明すると小柄な犬人間だが、コボルトキングはそれを束ねる族長の位置づけだ。同じ【王】がつくスライムキングも立場は近い。


「この先にコボルトキングがいる……あっ」


 柊は腰の袋からカードを取出した。スライムの核を食べればステータスが上がる。これがスライムイーターの成長方法だ。スライムキングを食べたいま、どれほど成長したのか。

 柊は期待と不安がない交ぜの感情でカードーに浮かび上がる文字を見た。


職業 スライムイーター

レベル --

HP 270(+120)

ST 66(+20) 

IQ 70(+30)

PI 70(+30)

VT 67(+30)

AG 100(+40)

LK 20

マハリト大炎 5/5

ディアル中回復 5/5

ラテュマピック識別 5/5


「なななんだこれぇぇ!!」


 大幅に上がったステータスを見た柊は思わず悲鳴を上げた。おまけに使用可能な呪文まで記載されている。

 魔術師と僧侶の呪文の両方をだ。


司祭ビショップでしかなしえないのに……」


 これが職業スライムイーターなのか。カードを持つ手が震える。


「……茜さんに相談しなくちゃ。それに、コボルトキングに挑むには装備も整えないと俺が死ぬな」


 自分が戦ったのが本当にスライムキングだったのかは別として、知っていた情報とは全く違った。それを考えれば、コボルトキングもより強力なモンスターになっているはずだ。

 パーカーにダガーでは勝てないだろう。探索者としてまっとうな装備は必須と思われた。


「写真だけでも撮っておこう」


 コボルトキングと2/10の文字を記録し、柊は大広間を後にした。

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