第30話
「ここは……」
はっと目が覚めると、ドゥルガーは左肩に走った激痛に呻き声を上げた。
まるで焼き鏝を押しつけられたような凄まじい熱も感じる。
「気がつきましたか? お頭」
真っ先に視界に飛び込んできたのは幻想的な蝋燭の炎と見慣れたゴンズの横顔だった。
ゴンズはようやく意識を取り戻したドゥルガーを見て安堵の息を漏らす。
「安心してください。ここは集落から大分離れた密林の中です。近くに湧き水も見つけましたから傷を癒すには絶好の場所ですよ」
「何だと?」
ドゥルガーは激痛が走る左肩を押さえつけながら、寝そべっていた簡素なベッドからゆっくりと上半身を起こした。
そこでドゥルガーは自分の身に起こった出来事の全貌を思い出した。
ピピカ族の集落に二度目の襲撃をかけたこと。
敵と交戦している最中、快晴にもかかわらず雷鳴音を聞いたこと。
そして、不思議な衣装に身を包んだ人間と対峙したこと。
おそらく連中が雇った傭兵には違いないが、あんな不可解な武器は見たことがない。
まさか、雷鳴を轟かせながら見えない矢を飛ばすとは。
「まだ横になっていた方がいいですよ。取り敢えず傷口は縫っておきましたが、出血が多かったため鎮痛剤を通常の倍ほども飲んでもらいました。
しばらくは頭痛や眩暈が酷いと思いますが勘弁してください」
ゴンズの言う通り、ドゥルガーは軽い頭痛と眩暈に襲われていた。
気力を振り絞れば何とかやり過ごせるが、それ以上に心臓が体内から飛び出さんばかりに暴れている。
それに額からとめどなく溢れてくる脂汗も気になった。
だが耐えられぬほどではない。ドゥルガーは包帯の上からそっと傷口に触れた。
するとわずかではあるが指先に血が付着した。
呻き声を上げたときに傷口が開いたのだろうか。
指先に付着した血を軽く拭ったドゥルガーは、歯を食い縛りつつ視線を動かして周囲を見渡す。
「お頭が畏怖するのも仕方ありません」
指先に付着した血を拭ったドゥルガーに、ゴンズは神妙な面持ちで木の皿に入った小さな金属の欠片を見せた。
「何だそれは……鉛?」
木の皿に入っていた金属の欠片は歪に変形した鉛であった。
手に取らなくとも見ただけで看破したドゥルガーだったが、なぜゴンズがこんなものを自分に見せたのかまでは看破できなかった。
するとゴンズはため息混じりに話し始めた。
「お頭、ピピカの集落に襲撃したときの記憶はありますか?」
「ああ、覚えているとも。忘れられるものか」
今思い出しても腹の虫が収まらない。
ぎりりと奥歯を軋ませたドゥルガーは、左肩から全身に浸透する激痛にも構わず拳を固く握り締めた。
「でしたら話は早い。お頭、よく聞いてください。この鉛はお頭の左肩から取り出したものです」
ゴンズは話を続ける。
「それだけではありません。この鉛はお頭だけでなく、他の連中の身体からも取り出せました。そうです、あの雷鳴が轟いた直後に倒れた仲間の身体からです。そしてこれは推測ですが、お頭に手傷を負わせたあの人間は特殊な武器を使って鉛を飛ばしたのでは……」
鉛を飛ばす武器だと? 一瞬、ドゥルガーは我が耳を疑った。
金属を矢の代わりに打つ武器などこの世にあるはずはない。
いや、もし存在していたとしても確実にこの大陸にはないはずだ。
そんな大層な武器があるのならば、とっくにどこかの国が戦に投入しているはずである。
(いや待て。もしかするとあの人間は……)
ドゥルガーは咄嗟に自分の顔を太い手で覆い隠した。
まさかあいつは人間ではなく、〈アスラ・マスタリスク〉によってこちらの世界に導かれたアスラなのではないか。
以前にどこかで聞いたことがある。
コンディグランドに住む原住民の中には、異世界から強大な力を持つ精霊を召喚できる部族がいると。
〈アスラ・マスタリスク〉。そう、確かそのような名前の儀式だったはずだ。
「しら……おかしら……お頭ッ!」
突如、ドゥルガーの意識は現実に引き戻された。
引き戻したのは忠臣であるゴンズの野太い声である。
「大丈夫ですか? お頭。やはりもう少し安静にしていてはどうです」
ドゥルガーは指の隙間からゴンズを見る。
「ああ、そうだな。お前の言う通り今は傷を治すのに専念したい。
だが傷が癒え次第、もう一度ピピカの集落に襲撃をかける。今度はよく作戦を練ってからな」
「その意気です。わたしたちもまだ暴れたりないですからね。なあに、相手がたとえ未知の武器を持っていようと所詮は一人。今度は闇に乗じて襲撃をかけましょう」
頼りになる忠臣の言葉を聞いてドゥルガーは安堵した。
そのときである。ふとドゥルガーは脇に置かれていた木机に目が止まった。
「ゴンズ、あれは何だ?」
酒瓶が置かれていた木机には、見たことがない鈍色の半月盤が置かれていた。
ゴンズはドゥルガーが気に止めた物体を見て「ああ、あれですか」と言葉を吐く。
「この密林に駆け込んできた直後、部下の一人が見つけてきたものです。半分に割れてはいますが中々の細工物には違いありません。情けない話ですが、今日の戦果はこれ一つですね」
「細工物か」
ドゥルガーはその細工物を近くで見たいからと言い、ゴンズに手元まで持ってくるように命令した。
ゴンズはすぐさま木机の上に置かれていた半月盤をドゥルガーに手渡す。
「ふ……なるほど、中々の逸品には違いない。だが、それ以上でもない代物だ」
全体的に銀色とも鈍色にも見えるその半月盤は、元の形は一変の淀みない円形だったのだろう。
半分に綺麗に割れているせいで半月形になっているが、品質自体は少しも損なわれてはいない。
これでも行商人に売り渡せば幾ばくかの値がつくだろう。
扉を破戒するために殺したユニコーンの元手が取れるかもしれない。
「よし、これは後に売り払うとして今は作戦の練り直しだ」
ドゥルガーは半月盤を握り締めながらテントの布を通して外の様子を窺った。
あれから何刻経ったのかはわからないが、すでに日が暮れて夜の帳が下りていることはわかる。
明かりを保つために蝋燭に炎が灯されているのがその証であった。
「ゴンズ、夜が明けたら早速作戦を立てるぞ。奴らめ、次こそは目に物を見せてくれる」
そうだ、こんなことで〈フワンダの赤蠍〉は止まらない。
自分たちは幾度も修羅場を潜り抜けた戦いの猛者である。
今度こそ格の違いというものを見せてやる。
とドゥルガーが意気込んだ直後、唐突にそれは起こった。
「な、何だ!」
ドゥルガーは喉が張り裂けんばかりに驚愕の声を上げた。
当然である。
握っていた半月盤の割れ目から、朝霧よりも濃密な黒い霧が滝の如く溢れ出したからだ。
そしてその黒い霧は瞬く間にドゥルガーを飲み込むと、そのまま勢いを殺さすに傍にいたゴンズさえも飲み込んでいく。
やがて密林の一角に陣を張っていた盗賊たちが、闇夜と同じく漆黒の霧に飲み込まれたのは言葉を話さない原生林と夜空に浮かぶ月だけが知っていた。
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