第31話

 嵐の前の静けさならぬ、嵐の後の静かさだった。


 オアシスでウィノラと別れてから半日。


 すでに日は落ちて夜の帳が完全に下りている。


 時刻は暮れ五つ(午後八時)をやや過ぎた辺りだろうか。


 宗鉄は盗賊団を狙撃した木造式の建物の屋根において、後頭部に回した両腕を枕代わりに夜空を見上げていた。


 黒の中に紫色が混じったようなコンディグランドの夜空には、煌々と淡い光を放射する月の他にも大小無数の星々が確認できる。


 それに今宵は暗色の雲もないのでより一層映えて見えた。


 一通り夜空の光景を堪能した宗鉄は、次に上半身だけをむくりと起こして集落全体を一望した。


 テルピと呼ばれる布製の住居からは焚き火の煙が夜空に向かって濛々と伸び、中に住んでいる人間たちが夕餉を楽しんでいる一面がありありと想像できた。


 また集落の至るところには篝火の炎が焚かれ、その篝火の傍には弓矢を携えた数人の人間たちの姿が見受けられた。


 これは間違いなく、盗賊団の夜襲を警戒しているからだろう。


 本来、他人の金品や命を狙う盗賊たちは宵闇に混じって行動する。


 だからこそ夜盗とも言い、長閑に暮らす農民や商人たちの天敵だった。


 これはあくまでも自分が暮らしていた世界の話だったが、どうやらこちらの世界もそんなに大差はないらしい。


 宗鉄は集落を見渡しながら一つだけため息をつく。


 すると――。


「どうしたの? こんなところで黄昏ちゃって」


 不意に真上から凛とした声が降り注いだ。


 宗鉄は慌てることなく顔を上に向けると、はにかんだ笑顔を浮かべているエリファスと視線が交錯した。


「やかましい。どこで何をしようと俺の勝手だろう」


「それはそうだけど……」


 泳ぐように眼前に飛んできたエリファスは、ここが自分の特等席とばかりに宗鉄の右肩にちょこんと腰を下ろした。


「だから肩に陣取るのは止めろ」


 宗鉄はエリファスの身体を優しく摑むと、右肩から屋根の上に強制的に移動させた。エリファスには悪いが、物ノ怪と触れ合っているとどうにも落ち着かない。


「ちょっと! 勝手に場所を移動させないでよ!」


 無論、そんな宗鉄の考えを知らないエリファスは頑として怒りを露にした。


 胡坐を掻いていた宗鉄の膝頭を何度も殴りつける。


「わかったわかった。俺が悪かった。元に戻すから止めてくれ」


 エリファスに延々と殴られては堪らないと思った宗鉄は、再びエリファスの身体を摑んで自分の右肩に移動させた。


 途端、エリファスの全身から発せられていた怒気が見る見るうちに沈静化していく。


「わかればいいのよ。あんたも男なら女を冷たい屋根に座らせるなんて野暮なことは止めなさい。これはすべての女性を口説く真理でもあるのよ」


「何度も言うがお前は物ノ怪だろうが」


 と口に出したかったが、宗鉄は慌てて口を塞いで言葉の流失を避けた。


 そんなことを面と向かって言ってしまえば、その言葉を皮切りにまた不毛な言い争いに発展すると思ったからだ。


 だからこそ宗鉄は素直にエリファスの要求を叶え、しばし呆然と夜空を眺めていた。


 やがて微妙な沈黙が二人の間に流れたとき、沈黙に耐えられなくなったのかエリファスは宗鉄の頬を指先で突きながら尋ねてきた。


「ねえ、ソーテツ。いつまでここに留まるつもり?」


「さあな」


 宗鉄は視線を夜空に向けたまま簡素に答えた。


 だが内心、宗鉄は明日か明後日にもこの集落から出て行こうと考えていた。


 よく考えれば族長やウィノラの懇願を律儀に適える必要もなく、それどころか一度は件の盗賊団を撃退したのだ。


 そして盗賊団たちが自分の鉄砲の威力に恐れ戦いてくれれば、再びこの集落を襲うなんて思わないかもしれない。


 ただ、もう一つのウィノラの願いには頭を抱えてしまう。


 一時は肉体的欲求に負けて仇討ちを手伝う約束を承諾してしまったが、ウィノラの部族を根絶やしにした盗賊が今も生きているかウィノラ本人でさえ知らないという。


 そんな相手を昨日今日こちらの世界に導かれた宗鉄が探すなど絶対に不可能である。


 となればウィノラには悪いが約束を反古にしても構わないのではないか。


 ウィノラは十五年も時間があるのならば仇討ちを手伝ってほしいと懇願してきたが、そのウィノラが集落から出ないのならば仇討ちなど出来るはずもない。


 そしてそれとは別に、もう一つ宗鉄には気になることがあった。


「なあ、エリファス」


 宗鉄は枝毛を弄っていたエリファスに顔を向ける。


「〈シレルタ〉という名前だったか? その道具はもう使い物にならないのか?」


 〈シレルタ〉という単語を聞いてエリファスは首を捻った。


「う~ん、どうも言えないわね。半分に割れていても魔力を注入すれば何とか起動すると思う。


 というか〈シレルタ〉には精霊を封印する力はあっても時空を超えるほどの作用は起こせない」


「しかし、実際に俺とお前はこうして別の世界に来ている」


「問題はそこなのよね」


 エリファスは両腕をがっしりと組むと、首を左右に振り子のように振り始めた。


「本来起こるはずのないことが起こったということは、やっぱりわたしの封印を強引に解いたときに何かが起こったのよ。時空を越えるほどの何かがね」


 その何かがわからなければ意味がないだろうに。


 なぜか自信満々に発言したエリファスを見て、宗鉄はどっと肩を竦めた。


 ともあれ、これで元の世界に戻れる手段がなくなったことには違いない。


 だとすると、やはりウィノラの何とかという踊りが舞える十五年後まで待たなくてはならないのだろうか。


「十五年か」


 それでも十五年はただ待つには余りにも長すぎる時間である。


 武家に生まれた男子が元服するまでに相当する年月をこの集落で居座り続けるなど考えられない。


「やはり早めにこの集落から出て行くか」


 ぽつりと漏らした言葉にエリファスが食いついた。


「出て行くの? ここから」


 こくりと宗鉄は頷く。


「思い起こせば、俺は元々家を出るつもりだったんだ。異国にいたお前は知る由もないだろうが、俺の国では家督を継ぐのは嫡男と決まっていた。無論、その嫡男が何らかの理由で死ねば次男、または三男が家督を継ぐことになる。だが大抵は嫡男が家督を継ぎ、次男や三男は他の家に養子にいくしか生きる手立てはなかった。もしも養子に行かなければその後の人生など押して知るべし。博徒の用心棒か食い詰め浪人になって惨めな人生を送るしかない」


 そうである。元服を迎えた頃からずっと感じていた。


 武士の嗜みとして武術を習い、いずれ他の家から養子として迎えられるように世間体を大事にする毎日は退屈を通り越してもはや苦痛だった。


 それに養子として迎えられたとしても、泰平の世の中では武士の職など滅多にありつけない。


 それは普請奉行の息子といえども変わらない。


 ましてや宗鉄は冷や飯ぐらいの三男坊なのだ。


 しかも物ノ怪を視認できる〈見鬼〉の力を天から授かったことで、すでに武家の間では鬼の子として忌み嫌われていた。


 だからこそ源内と出会ったとき、ようやく自分の生きる道が見つかったと思った。


 日ノ本では考えられない畏まった身分に囚われず、自由な人生を謳歌できるという異国に恋焦がれたのだ。


 それが今では異国どころか全く別の世界で満天の星空を見上げている。


「本当に人生とはままならないものだな」


 思わず宗鉄は自分が置かれている境遇に苦笑してしまった。


 不思議なことに不安や恐怖などは微塵も感じない。


 そればかりか、初めて玩具を買い与えてもらった童子のように心が高揚している。


 ふと宗鉄は隣に置いていた鉄砲を摑んだ。


 適度な重さを感じる関流の火縄鉄砲。


 造形的にも機能的にも申し分なく、戦国の世の常識を大きく変えた武具の一つ。


 けれども時代はまたしても大きく変わった。


 戦国の世で極限まで発展し、一芸にまで発展したものの、すでに時代は鉄砲を必要としない泰平の世の中になっていた。


 何せ元いた江戸では武士の身分ですら金銭で買える世の中になっていたのだ。


 そうなると戦国の世に栄華を極めていた武士が廃れていくのも必然。


 主人のために修めるはずの武術も形式ばかりになってしまうのも仕方なかった。


 その最たるものが鉄砲を扱う武術――炮術であった。


 無闇やたらに町中で修練も行えず、ましてや炮術師にとって一世一代の名誉とも呼べる町打の修錬は江戸初期と比べると数十年に一度行われるかどうかという始末。


 これでは時代に取り残されるのも無理はない。


 宗鉄はおもむろに鉄砲を構え、四十間前方に佇む正面入り口の扉に照準を合わせる。


「なあ、エリファス」


「ん? 何?」


 鉄砲を構えながら宗鉄はエリファスに言う。


「夜が明けたら俺はこの集落を出て行こうと思う。ウィノラには悪いが、やはり十五年はただ待つには長すぎる。俺はもっと色々なものをこの目で見てみたいんだ」


 エリファスは水平に構えている鉄砲にふわりと立った。


「なるほどね。まあ、ソーテツの気持ちもわからなくはないわ。わたしも外の世界を見たいと思ったからアルファルの住処から抜け出したんだしね。でも、それなら覚悟しておいたほうがいいよ。すでに決まっている道から足を踏み外すのは相当に辛い人生が待っているからね」


「ある日突然、見知らぬ世界で目を覚ましたりするとか?」


「そればかりか可愛い妖精に主人と敬われるかもよ……心からは思ってないけど」


「おいおい」


 宗鉄は真っ白い歯を覗かせて笑った。エリファスもつられて微笑を浮かべる。


「それか大勢の人間たちから「救世主様」と神の如く崇められたりしてね」


 一斉に吹き出した宗鉄とエリファスは、しばし自分たちの身の上に起こった境遇を忘れるほど笑い続けた。


 だが、そんな心地よい笑いも長くは続かなかった。


 高笑いに興じていた宗鉄とエリファスは面食らった。


 突如、正面入り口の扉が大筒の玉を喰らったように木っ端微塵に砕け散ったのである。


 そしてこのとき、異変を知った集落の人間たちは再び盗賊団が夜襲を仕掛けてきたと信じて疑わなかった。


 しかし、夜襲を仕掛けてきたのは盗賊〝団〟ではなかった。


 それは――。

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