第13話

 自然の要塞とも呼べる集落の中には、雨風を凌ぐ住居の他にも様々な建造物が多々見受けられた。


 東屋のような木造建築物は主に食料や武器を保管し、集落の端にちらりと見えた開けた場所は弓や剣を鍛錬する連兵場のような場所なのだという。


 そして集落の奥にはグラナドロッジと呼ばれる岩山がそびえ、ピピカ族はそんな岩山をも独自の知恵を発揮して活用していた。


 牢屋である。


 ピピカ族はグラナドロッジに手頃な洞窟を掘り、鋳造した金属の棒を埋め込んで頑丈な牢屋を作り上げていた。


 何でも不貞な行為をした輩や、愚かにも村を襲撃しようとした盗賊などを厳重に閉じ込めておくためらしい。


 まあ、牢屋とは本来そのようなものだ。


 神田小伝馬町にあった牢屋敷も人々からは牢獄と恐れられ、牢屋奉行であった石出帯刀が代々世襲して徹底的に管理していた。


 さすがに入ったことはないが、実父であり普請奉行であった鮎原能登守から牢屋敷の様子を聞かされたことがある。


 何でも牢屋敷は幕府の中でも最大の広さを誇り、身分によって待遇がまったく違っているという話だ。


 無宿者を入れる牢は二十四畳の広さがあった二間牢、また庶民を入れる大牢は三十畳の広さの中に雪隠(トイレ)と土間があったという。


「せめてここにも雪隠ぐらいあってもよかろうに」


 ごつごつとした岩壁に背中を預けていた宗鉄は、両指を絡めた手で後頭部を支えながら虚空に向かって囁いた。


 それは今から数刻前の出来事だった。


 エリファスと名乗る異国の物ノ怪と会話を終えたあと、宗鉄は褐色の肌をした人間たちに弓矢で狙われた。


 咄嗟に宗鉄はどうやって逃げるか考えたが、弓矢から身を守るための遮蔽物が近くになかったせいで逃げるのは困難だと判断した。


 それに弓を構えていた人間たちは素人ではなかった。


 宗鉄も幼少の頃から幾つもの武術を習得しているせいか、一目見ただけで相手の力量を見抜ける眼力が養われている。


 逃げるのは無理だな。


 あっさりと遁走することを諦めた宗鉄は、相手を刺激しないように降伏の証を身体で見せつけた。


 持っていた鉄砲を地面に置き、両腕を組みながらその場に座り込んだのである。


 すると弓を構えていた人間たちは何やらひそひそと小言で話し込み、やがて奇怪な態度を見せた宗鉄に対して矢継ぎ早に質問を浴びせてきた。


「お前は何者だ?」、「一体どこから来た?」、「俺たちの言葉がわかるか?」などである。


 宗鉄はなぜ言葉が通じるのかと言う疑問も忘れ、男たちの質問に誠実に答えた。


 何者だと聞かれたから「俺の名前は鮎原宗鉄。神田小川町に居を構える普請奉行、鮎原能登守の三男だ」と宗鉄は答えたのだが、男たちは顔を見合わせて「よくわからん」と素っ気なく一蹴した。


 その後、宗鉄は褐色肌の男たちの集落に連行された。


 理由は至極当然。「身なりからして何か怪しい」からだという。


「理不尽な話だ」


 心の底から本当にそう思う。


 男たちは集落に来るまで「一体どこから来た」と何度も訪ねられたが、その度に宗鉄は「江戸」と答えた。


 実際そうなのだから仕方ないのだが、男たちの話では「エド」などという地名は聞いたことがないらしく、もしかしたら宗鉄は集落を狙う盗賊の斥候なのではと男たちに心底怪しまれた。


 盗賊などと間違うなんて屈辱だ。宗鉄は奥歯をぎりぎりと軋ませる。


 どちらかというと自分は盗賊を捕まえる側の人間だ。


 以前にも神田鍛冶町や塗師町近辺に出没していた盗賊の一味を捕まえたことがあり、その他にも不貞を働く浪人者を見つけては懲らしめたことが幾度もある。


 まあ、これは日頃の鍛錬の成果を試すためという裏の目的があったのだが、それでもまったくの善意がなかったわけではない。


 むしろ市井の人間からは感謝されていたほうだ。


 しかしあまりにも突拍子のない行動も多く目立ち、いつの間にか『異国狂いの鉄砲小僧』などという異名を付けられたのもまた事実であるが……。


 それはさておき――。


「ねえ、さっきから何をぶつぶつと一人で喋ってんの? はっきり言って気持ち悪い」


「大きなお世話だ。この物ノ怪が」


 悪態をつく宗鉄の目の前には、空中に静止している小人がいた。


 背中から生えた透明な羽根を動かし、人間以上に整った顔立ちをした物ノ怪――異国ではアルファルという種族らしいエリファスは、抵抗もせずに大人しく牢屋に入れられた宗鉄にいたくご立腹であった。


「だからわたしは物ノ怪なんて変な種族じゃないって言ってんでしょう! これだから辺境に住んでいる田舎者はだめね」


 両手を広げながら首を左右に振るエリファス。一方、そんなエリファスを見て宗鉄は大きくため息を漏らす。


「そんなことよりも――」


 宗鉄はエリファスにびしっと人差し指を突きつけた。


「なぜ、未だにお前は俺につき纏う!」


 そうである。鉄砲の下敷きになっていたエリファスを助けた宗鉄は、男たちに捕まってからも延々とエリファスにつき纏われていた。


 一間(約一・八メートル)の間合いを常に保っていたエリファスは、悠々と空から宗鉄たちの後をつけてきたのである。


「いいじゃない別に。減るものでもないでしょ?」


「ふざけるな。物ノ怪につき纏われては俺が迷惑だ」


 宗鉄は鬱陶しい蚊でも払うように手を振って見せたが、エリファスは頬を膨らせるだけで立ち去る気配は微塵もなかった。


 エリファスほどの体躯ならば金属の隙間を通り抜けることなど造作もないだろうに。


「お前、何かよからぬことでも企んでないか? そのせいで俺の元を離れられないとか」


「うっ……」


 まさか、図星か。


 宗鉄は眉間に激しく皺を寄せた。


 適当にカマを掛けてみたのだが、どうやら事態は思わぬ展開に転んだようだ。


 それはエリファスの態度から十二分に見て取れた。


 顔を明後日の方向に向け、額から脂汗を垂れ流しながら動揺したのである。


「おい。顔をこちらに向けて俺の目を見ろ」


 ずいっと顔を近づけた宗鉄。だが、エリファスは頑として顔をこちらに向けない。


「こいつ……」


 エリファスの無粋な態度に苛立った宗鉄は、素早く腕を動かして空中に静止していたエリファスをむんずと摑む。


「ちょ、ちょっと! 身体を摑むのはやめてよ!」


 掌の中でじたばたとエリファスは暴れ回ったが、宗鉄は頑として要求を受けつけなかった。空いているほうの手を使ってエリファスの鼻先をぐりぐりとこねくり回す。


「うぎぎぎぎぎ……あんたは乙女の鼻を何だと思って」


 宗鉄は鼻先を弄り回す手に少しだけ力を込めた。


「やめてほしいか? だったら理由を話してもらおう。お、そうだ。ついでにここがどこなのかも教えてもらおうか? 物ノ怪のお前なら何かわかるだろう?」


 宗鉄はとどめとばかりにエリファスの鼻を指先で押した。


 鼻骨がないのか軽く押しただけでエリファスの鼻はぺたんと潰れる。


 するとエリファスは頭をぶんぶんと縦に振った。どうやらついに観念したらしい。


「わひゃっひゃ。わひゃっひゃから指をどげで~」


「本当だな。ここまで来て逃げるなよ」


 一言きつく念を押した宗鉄は、エリファスの鼻を押し潰していた指先を退けた。身体を摑んでいた手もゆっくりと離してやる。


「逃げるつもりなら最初から逃げてるわよ」


 少し赤くなった鼻を擦りながらエリファスは、腹を割って話すつもりなのか胡坐を掻いた状態で地面に舞い降りた。


 そして両腕をしっかりと組み、「さあ、言うわよ」とばかりに強烈な視線を浴びせてくる。


 普通の人間ならば思わず後退するほどの視線だったが、幼少の頃から幾多の物ノ怪と関わってきた宗鉄には毛ほども効かない。


 宗鉄は真っ向からエリファスの視線を受け止め、「さあ、話せ」とばかりに耳を傾けた。


 そして――。


「じゃあ、はっきり言うわよ。あんたは今日からわたしのご主人様なのよ」


 とエリファスはきっぱりと言った。


「…………は?」


 無意識のうちに宗鉄は首を傾げる。


「すまん。もう一度言ってくれないか。お前が俺につき纏う理由を」


「もう、耳が悪い人間ね。だから、今日からあんたはわたしのご主人様なのよ」


 聞けば聞くほどわけがわからない。ご主人様とは何のことだ?


 呆けている宗鉄を見てエリファスはどっと肩を竦めた。


「気持ちはわかるわ。いきなりご主人様とか言われても混乱するわよね。でも、これはわたしたちアルファルの掟なの。もしも何かの手違いで人間に捕まった場合、解放してくれた人間に忠誠を誓うこと……ってね」


「はあ……」


 としか宗鉄は答えられなかった。


 無理もない。


 面と向かって物ノ怪から主人と呼ばれても現実感が一向に湧いてこない。


 しかもエリファスは異国の物ノ怪だ。先だって出身地を訊いたところ、生まれた場所は天と地の狭間に存在するアルフハイムという国なのだが、諸事により人間が多く住まう欧羅巴という国に移住することになったらしい。


「つまり、お前が俺につき纏う理由は封印から解き放ってくれたからだと?」


 こくりとエリファスは頷く。


「だから俺の元から離れるつもりはないと?」


 こくこくとエリファスは頷く。


 どうやら本気のようである。宗鉄はエリファスのつぶらな瞳を真摯に見つめたが、黄金色に輝くエリファスの瞳には一点の曇りもない。長く見据えていると心身を魅了されるような不思議な力まで感じられた。


 だからといって素直にエリファスの言葉を鵜呑みにするわけにはいかない。


 何といっても相手は物ノ怪だ。


 いくら外見が人間に似ているとはいえ、気を許すにはあまりにも時間が足りなかった。


 よく考えれば遭ってからまだ半日と経っていない。


「わかった。ひとまずそれは置いておこう。何か深く考えるのも馬鹿らしいからな」


 エリファスは頭の上に疑問符を浮かべていたが、宗鉄は軽く無視した。


 つき纏う理由がわかった今、もう一つ不可解なことを尋ねなくてはならない。


「エリファスとか言ったな。お前はここがどこだかわかるか? 絶対に日ノ本ではないことはわかるのだが、いかんせん俺は日ノ本から出たことがない。しかし、お前は欧羅巴というはるか西方の国にいたのだろう? その国ではあのような褐色肌の人間たちが暮らしていたのか?」


「うんにゃ。あんな人間たちはわたしも初めて見た。もちろんこんな土地もね。少なくともわたしがいた欧羅巴にはなかったよ」


「ただ」とエリファスは付け加える。


「これだけは言える。ここはわたしたちが住んでいた世界じゃない。まるっきり別の世界だよ」


「な、何だと!」


 宗鉄は瞠目した。胡坐を掻いていた状態から一気に立ち上がる。


「それは一体どういうことだ?」


「どういうことも何もそのままの意味。ここはわたしたちが住んでいた世界とは異なる世界なの。それはあんた自身も目にしたはずよ」


 意味深な言葉を投げられた宗鉄は、虚空に視線を彷徨わせながら思案した。


 自分が一体何を見たというのだろう。


 一方、まったく回答を出せないでいる宗鉄にエリファスは助け舟を出した。


「もう、まだわからないの? 馬よ馬。あんた、この村に連れてこられたとき連中が操っていた馬を見たでしょ?」


「馬、だと? 馬など俺の国にもごろごろいたぞ」


「ふ~ん。じゃあ訊くけど、あんたの国の馬は額に角なんて生えていたの?」


 そのとき、宗鉄の脳裏には褐色肌の男たちが引き連れていた馬車が鮮明に浮かんだ。


 褐色肌の男たちが引き連れていた二頭の馬は、細長い四肢に長い頭部と首を持った毛並みが白い馬だった。


 確かに白い毛並みを持った馬は珍しかったが、それ以上に馬の額には先端が鋭く尖った角が雄々しく生えていたのである。


「いや……額に角を生やした馬は見たことがない。だが、異国にはそんな馬もいるんじゃないのか?」


 その言葉を聞いた瞬間、エリファスはこめかみの辺りを押さえて唸った。


 その態度からは「馬鹿かこいつ」という心の声が形として現れているようだった。


「何だ? 異国には角が生えた馬はいないのか?」


「当たり前でしょ! ユニコーンなんて神話の時代に絶滅した生物なの。それがあんなに堂々と人間に飼われているなんて異常よ」


「そ、そうなのか?」


「そうなのよ!」


 などと牢屋の中で騒いでいると、金属の格子を通して甲高い怒声が発せられた。


 そのよく通る声は岩山をくり抜いて造られた牢屋の隅々にまで響き渡る。


「な、何だ何だ!」


 宗鉄は両耳を塞ぎながら顔を牢屋の外に向けた。


 格子の前に佇んでいたのは、腰に手を当てた姿が似合う褐色肌の少女であった。


 艶やかな黒髪を腰元まで伸ばし、胸元と下半身だけを覆っている簡素な衣服の隙間からは無駄な贅肉など欠片も見られない。

 顔立ちも目眉が細く鼻筋がきりりと通った美貌の持ち主だ。


 華やかな花魁や太夫とは対照的に荒波で育った漁師の娘を彷彿させる。


 では、魚介類を捕えるモリを手にしていたかというとそうではない。


 褐色肌の少女が右手に携えていたものは、全体が黒々とした光沢を放っている鉄と木材を巧みな技術で組み合わせた強力な飛び道具――


「お、俺の鉄砲!」


 ――であった。

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