第14話

 あろうことか褐色肌の少女は、集落に着くなり男たちに没収された関流鉄砲を携えていたのだ。


 銃床の部分を無造作に摑みながら肩に添えるように持っている。


「た、頼む! その鉄砲を返してくれ!」


 血相を変えた宗鉄は金属の格子に走り寄ると、鉄砲を持っていた少女に懇願した。


 てっきりもう返ってこないと危惧していた鉄砲が、どこにも損傷が見られない五体満足な姿で目の前に存在していた。


 鉄砲こそ自分の魂と考えている宗鉄にしてみれば、何を置いても取り戻したかったのは言うまでもない。


「お前が例の余所者か? ふむ、想像以上に奇妙な格好と髪型をしている」


 だが褐色肌の少女は宗鉄の懇願を軽く聞き流し、自分の要求だけを淡々と述べていく。


「おい、余所者。お前の魂胆は一体何だ? 何の目的でコンディグランドに現れた?」


 またその質問か。


 宗鉄は自分と褐色肌の少女を分け隔てている格子を忌々しく摑む。


 もう幾度訊かれたかは忘れたが、目的も何も自分でもなぜこんな場所に来てしまったのか見当もつかない。


 心の師と仰ぐ平賀源内邸を訪ねたまでは覚えているが、その後の記憶がすっぽりと抜け落ちているのだ。


 それ故に何度同じことを訪ねられようとも答えることができない。


 宗鉄は格子を摑んでいる両手を力任せに揺さぶった。


「俺の話も少しは聞いてくれ。俺はあんたらが疑っているような賊の一味でもないし妙な魂胆もない。気づいたらなぜかこんな場所にいただけだ。だから頼む。その鉄砲だけでも返してくれ」


 宗鉄の必死な訴えを聞いた直後、褐色肌の少女は見るからに表情を一変させた。


「気づいたらこのコンディグランドにいただと?」


「そうだ。妙に思われるのも仕方ないがこれは紛うことない事実だ。だから――」


 格子の隙間から鉄砲に向かってそっと宗鉄が腕を伸ばす。


「なるほど。事情はよくわかった」


 褐色肌の少女は宗鉄に背中を向け、数歩分だけ牢屋から遠ざかる。


 そのせいであと一尺(三十センチ)足らずで鉄砲に届いたであろう宗鉄の腕は虚しく空を摑んだ。


 牢屋から少しだけ遠ざかった褐色肌の少女は、やがてぴたりと歩みを止めて身体ごと振り向いた。


 直後、褐色肌の少女はにっこりと微笑む。


「ようこそ、コンディグランドへ。〈アスラ・マスタリスク〉によってこの地に導かれた異世界のアスラよ。わたしはお前を歓迎する」


「は?」


 宗鉄は大きく面食らった。褐色肌の少女は宗鉄など眼中になく、大きな瞳を天井付近に向けていた。


 宗鉄は首を柔軟に動かして褐色肌の少女の視線を目で追うと、そこには空中に静止しているエリファスの姿があった。


「え? あ、あたし?」


 褐色肌の少女と視線が交錯したエリファスは、あまりの驚きに開いた口が塞がらないようであった。阿呆のように口を半開きにして目を点にしている。


「お初にお目にかかる。わたしの名前はウィノラという。以後、お見知りおきを」


 慇懃深くエリファスに対して頭を下げたウィノラ。口調はやや粗暴だが、それでも最低限の礼儀作法を学んでいる節が見られた。


「アスラって何? わたしはエリファスっていう名前のアルファルなんだけど」


「そうか、異世界では精霊をアルファルというのか。うむ、それは勉強になった」


 何度も頷いたウィノラは、「では、こちらもアルファルを紹介しよう」と言って顔だけを後方に振り向かせた。その何気ない仕草に引かれて宗鉄とエリファスはほぼ同時にウィノラが顔を向けた場所に意識を集中させる。


 すると何もなかったはずの地面に円形の影が出現し、その影の中から立派な体躯をした一匹の動物が浮かび上がってきた。


 四足歩行で昔から愛玩用として親しまれたその動物は、第五代将軍・徳川綱吉公が制定した悪法――生類憐みの令の中で目付職まで設置して重宝した犬であった。


 感情を表現するという尻尾を左右に箒を掃くが如き振っている。


 しかし、影の中から出てきた犬が普通の犬のはずがない。


 現にその犬の毛並みは宵闇のような明るい黒をしており、全身隅々にまで唐草模様のような白い文様が浮かんでいた。


 しかもよく見ると愛くるしいはずの双眸は燃えるような緋色である。これは絶対に普通の犬ではない。


「こ、こいつも物ノ怪か!」


 宗鉄は犬に向かって猛々しく叫んだ。


「モノノケ? 何を言っている。こいつはクアトラ。わたしの相棒だ」


 ウィノラに紹介されたクアトラは、よたよたと牢屋に近寄ってきて宗鉄たちに向かって小さく吼えた。


「わん」ではなく「にゃ~」と。


「なんだそれは! 犬か猫かはっきりしろ!」


 髪を激しく掻き毟る宗鉄をウィノラは無表情で眺める。


「理解が足りない異世界人だな。クアトラは歴とした精霊だ。わたしの部族ではアスラというのだが、そなたたちの世界ではアルファルというのだったな」


 ウィノラの疑問には宗鉄ではなくエリファスが答えた。


「いや、アルファルというのはわたしの種族のことでね。向こうの世界では精霊を一般的にアルファルって呼ぶんじゃないのよ」


 空中を泳ぐように飛んだエリファスは、格子の隙間を掻い潜ってウィノラの眼前で静止した。


「む、そうなのか? では、そなたたちの世界では精霊を何と呼ぶのだ?」


「さあ、そのまんまで精霊じゃない。わたしも詳しいことはよくわからないけど、人間たちは学んでいる魔術体系によって様々な呼び方をするのよ。自然を構成する四大元素を精霊に見立ててエレメンタルなんて呼ぶ人間もいるしね」


「ほうほう。では、向こうの世界にはそなたのように人間に近しい身体を持った精霊も多く存在するのか?」


 エリファスは細い指を顎先に乗せ、思案げな表情で虚空を見つめる。


「さあね。他の種族に遭う機会なんてあまりなかったからよくわからない。でも、結構な数がいるはずよ。まあ、黙っていても増殖する人間よりは遥かに少ないと思うけど」


「そうか……だが、そなただけでもこちらの世界に来てくれたのは重畳だ」


 一人納得しているウィノラを見て、エリファスは大きく首を捻る。


「それって一体どういうこと? そう言えばさっきもアスラ何とかによって導いたとか言ってたけど」

 ウィノラは「そうだ」と大仰に頷いた。


「そなたはわたしが行ったアンカラ族の秘舞――〈アスラ・マスタリスク〉によってこの地に導かれた救世主なのだ」


 エリファスは自分に指を差し向けながら激しく驚愕した。


「きゅ、救世主ですって! わ、わたしが!」


「うむ。本来、異世界からアスラを呼び寄せる〈アスラ・マスタリスク〉は数人の舞手で行う特別な踊りなのだが、故あって今回はわたし一人で行った。それで本当に成功したのかずっと気掛かりだったがそれは杞憂だったらしい。こうして異世界の精霊がピピカ族の集落に現れたのだから」


 そう言ったウィノラは、空中に浮かんでいたエリファスの身体を手厚く握った。再び人間に身体を拘束されたエリファスは苦しそうに顔を宗鉄に向ける。


「ちょっと待って。じゃあ、あいつはどうなの? この世界に来たのはわたしだけじゃないんだけど」


 と、エリファスは先ほどから蚊帳の外だった宗鉄に話題を振った。


「こいつはただの人間だろ? 悪いがわたしたちに必要なのは異世界に住まう強大な力を持つという精霊だけだ。たとえ異世界人とはいえ普通の人間には興味がない」


 あまりのひどい言われように宗鉄は言葉を失った。だが、それでも二つばかりわかったことがある。


 先ほどからじっくりと話を聞いていた限りでは、どうやら自分がこんな場所に来たのは彼女が舞った特殊な踊りが原因らしい。


 しかも必要だったのはエリファスだけで自分は用無しなのだという。


 ならば、自分が述べることはただ一つ。


「じゃあ、俺を今すぐここから解放してくれ! お前たちが用のあるのはエリファスだけで俺は無関係なんだろ!」


 宗鉄は断固としてウィノラに意見した。


 ウィノラたちが必要としているのはエリファスであって自分ではない。


 だったら今すぐこの牢屋から出して自分だけでも元の世界に帰してほしい。


「ふむ、そうしたいのは山々なのだが……」


 なぜかウィノラは宗鉄から目線をそっと外し、悪戯現場を目撃された子供のように罰が悪そうな表情を浮かべた。


 そして一拍の間を置いたあと、ウィノラの口からは思いもよらぬ事実が漏れた。


「すまんな、奇妙な格好と髪型をした異世界人。お前だけを今すぐ元の世界に帰すことは不可能なんだ。なぜなら、〈アスラ・マスタリスク〉を行えるのは十五年に一度の祭秋の日だけと決まっていてな」


「な……」


 開いた口が塞がらないとはまさにこのことだった。


 ということは、自分が江戸に戻れるのは必然的に十五年後ということに……。


 ウィノラは哀れな野良犬を見るような目で宗鉄を見つめた。


「そういうわけだ。こちらもなぜただの人間を呼び寄せてしまったのかは不明だが、これも運命だったと思って諦めて――」


 と、言い終わろうとした直後であった。


「何だ」


 ウィノラは颯爽と振り向き、夕餉の支度をしているはずの集落を一望した。


 緋色に染まる夕日を受けて赤茶けた大地がより一層赤く染まり、夕餉の時刻ということもあって家族や親類ごとに住んでいる住居からは香しい食事の匂いが漂っていた。


 ふと耳を澄ませば乾いた風に乗って一家団欒の楽しい会話が聞こえてくる。


 何の変哲もない日常の光景。だが、ウィノラの耳にははっきりと聞こえた。


 凶暴な猛気を抑えられない野獣の猛々しい咆哮を――。


 聞き間違えではない。


 ウィノラは相棒のクアトラに顔を向けると、大地の精霊の一種であるクアトラは集落の入り口に向かって唸り声を上げていた。


 クアトラの威嚇。それは何かよからぬモノが近づいてくる証であった。


「お前の話はまた後だ。この集落に何らかの危険が迫っている」


 そう言うとウィノラは大地を蹴って走り出した。


「おい、待て! まだ俺との話は終わってないぞ! 諦めろとは何のことだ!」


 宗鉄は腹の底から声を発したが、強靭な脚力を有していたウィノラを留めるには至らなかった。


 住居の合間を次々に通り抜けてウィノラの姿はあっという間に見えなくなる。


 呆然とウィノラを見送った宗鉄は、しばらくしてからはたと気づく。


「俺の鉄砲返せよ!」


 長閑に夕餉の支度を整えていたピピカ族の集落だったが、入り口付近に建てられた櫓から響き渡る太鼓の音により一変した。


 集落全体に響き渡る太鼓の音は異変を知らせる警鐘である。


 しかも盛大に鳴らされている太鼓の響き具合により、異変の強弱が測れるようになっていた。


 牢屋から集落の入り口に到着したウィノラは、見張り役が知らせた異変の正体を見て驚愕した。


「ま、まさか……なぜ、ガマラがこんなところに」


 広場の役割も果たしていた集落の入り口には、大型の獲物であったムルガよりも一回りも巨躯なガマラがいた。


 漆黒の体毛には白い渦巻き模様が入っており、推定体重は成人男性の何十人分に及ぶだろう。


 先端が鋭く尖っている爪や口内から覗き見える牙も人間の五体など糸も簡単に引き裂ける威力がひしひしと感じられた。

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