第12話
総勢百人近い人間が生活しているピピカ族の集落は、巨大な岩山――グラナドロッジの麓に作られていた。
本来、コンディグランドに住まう部族は一箇所に長く留まらないため、雨風を防ぐ住居は細長い若木を半月状に組み上げた小屋が主流だった。
精巧に組み上げられた小屋の上には幾重にも束ねた草が積まれ、出入り口には自由に開け閉めができるよう動物の毛で編まれた扉が吊るされている簡素なものだ。
だが、ピピカ族の集落に見られる小屋は違う。
ピピカ族は行商人から購入した丈夫な布を惜しげもなく使い、傍目からは円錐形になるような不思議な小屋を何十棟も建てる。
しかも外壁の役目をしていた布の裏にはもう一枚黒地の布が張られ、私生活の秘密が外に漏れないように工夫されていた。
そして集落の中には他の部族が建てるような木の小屋も何棟か存在するが、それらは主に大量の保存食や武器を保管するための宝物庫として利用されている。
その他にも盗賊対策として築かれた集落をぐるりと囲む土壁や、集落の一角に設けられた戦闘訓練所の建築にも余念がなかった。
これらは一年の間に何度も集落移動を繰り返す他の部族とは違い、気に入った土地に長く移住するピピカ族の特色とも言えただろう。
だからこそ、ピピカ族は日頃から戦闘訓練を欠かさない。
当然であった。
その土地に長く移住するということは、マクゥや食料目的の盗賊に襲われる危険性が含まれている。
しかも日頃から住居を頻繁に移動させる他の部族とは違い、一箇所に長く住まうピピカ族の集落は有事の際には迅速に逃げられない。
それ故にピピカ族は日頃から戦闘訓練を欠かさず、外敵から集落を守るための防壁造りにも努力を惜しまなかった。
しかし、集落を移動させなかったことで様々な物資を届けてくれる行商人たちと友好が深まり、一族の経済状況が他の部族よりも潤沢になったこともまた事実である。
集落の一角に設けられた戦闘訓練を行う場所にもその資金力が存分に発揮されており、人型に削られた丸太が何本も地面に打ち込まれていた。
急所である頭部と胴体部分には白と黒の塗料で塗られた的が正確に描かれている。
次の瞬間、人体に見立てた丸太に深々と矢が突き刺さった。
場所は眉間だ。
もしもこれが丸太ではなく本物の人間であったならば即死だっただろう。
しなやかな筋肉を最大限に使って弦を引き絞り、狙った場所に向けて矢を放つ弓手の腕前は素晴らしく絵になった。
それもそのはず。
弓手は筋骨逞しい男ではなく優美な曲線を描いている少女であった。
黒髪に褐色の肌はピピカ族の人間と変わらないが、へその左横に彫られていた鳥の刺青は彼女の部族特有のシンボルマーク。
女がてらに戦闘訓練を行うのも彼女の部族は男女関係なく狩りを行う特殊な部族だったからだ。
抜群の弓の腕前を誇る女性――ウィノラは一呼吸置いたあと、地面に突き立てていた矢を摑んで番えた。
弦を最大限にまで引き絞って標的を見据える。
その直後であった。
「ウィノラね~ちゃ~ん」
戦闘訓練所に間延びした声が響き渡った。
ウィノラは番えていた弓を下ろすと、声が聞こえてきた方向を見やる。
声の持ち主は今年で八歳になるリーナだ。
好奇心旺盛で人懐っこく、ウィノラが妹のように思っている細身の少女であった。
ちなみにリーナは若頭であるビュートの本当の妹でもある。
「リーナ、何度も言っているだろう。ここは子供が来るところじゃない。もしも流れ矢にでも当たったらどうする」
元気よく駆け寄ってきたリーナに、ウィノラは静かな口調で叱りつけた。
「大丈夫だよ。リーナはウィノラ姉ちゃんの腕前をよく知っているもん。それに今はウィノラ姉ちゃんしかいないじゃん」
「そういう問題ではない」
ウィノラは後頭部を掻きながらため息を吐く。
確かに今の戦闘訓練所には黙々と弓の訓練を行うウィノラの姿しかなかった。
無理もない。
ピピカ族が戦闘訓練を行う際は早朝と決まっており、今はあと数刻で太陽が西の彼方に沈もうとしている夕方であった。
そしてこんな時間に戦闘訓練を行うのはウィノラ一人だけと集落の人間ならば誰でも知っている。
「いいか、リーナ。たとえ目に見える危険がないとわかっていても、ここは子供が入ることが禁じられているんだ。これはピピカ族が取り決めた大切な掟。そんな掟をピピカ族の人間であるリーナが破ってどうする?」
「ご、ごめんなさい。でも、どうしてもウィノラ姉ちゃんに言っておきたかったから」
ウィノラは思わず首を傾げた。
よく考えればリーナは聡明な子である。
他のわんぱく坊主たちとは違いピピカ族の掟は十二分に理解しているはずだ。
それでも戦闘訓練所に訪れたということは、掟を一時的に破ってでも自分に伝えたい事柄があったということだろうか。
「何はともあれ話してみろ。一体どうしたんだ?」
「うん……あのね……」
話を切り出した途端、リーナは両指を絡めておろおろし始めた。
同年代の男子と会話をすることが極端に苦手なリーナは、子供同士で遊ぶときはよくこのように挙動不審になることが多いと聞く。
だが、まさか自分に対してもそんな態度を取ることはないだろうに。
そう思ったウィノラは、リーナを落ち着かせるために軽く頭を撫でた。
この集落の近くには乾いた大地から湧き出たオアシスがあったが、そのオアシスで毎日沐浴を欠かさないリーナの髪の毛は上質な絹を想起させる。
姉と慕っているウィノラに頭を撫でられたリーナは、やがて普段の落ち着きを取り戻していった。
胸に手を当てて深く深呼吸をする。
「ふうー……ごめんね、取り乱しちゃって。何せ久しぶりの大事件だったから」
「大事件? まさか、狩りに向かった連中に何かあったのか?」
「うん。実はさっきビュート兄ちゃんたちが狩りから帰ってきたんだけど、久しぶりにムルガを狩れたって喜んでいたよ」
「ムルガというとあのムルガか?」
「うん。こーんな大きな麻袋に一杯の肉塊が詰まっていたよ」
両手を左右に伸ばしてリーナは獲物の大きさを身体で表現する。
その大きさはウィノラの胸元ほどの背丈だったリーナの半分ほど。
それが一部分の大きさだったとして、相当な量の肉が手に入ったことを如実に示していた。
最近では滅多に狩れなくなったムルガはそれほど大型の獲物なのである。
そんなムルガを狩って帰るとは、やはりビュートたちの狩猟技術は他の組よりも頭一つ分は抜きんでているということか。
だが――。
「リーナが言いたい大事件とはムルガのことか? まあ、ムルガが狩れたのならば皆も盛大に喜ぶだろうが、わざわざわたしに伝えに来るほどの大事件では……」
「違うんだよ、ウィノラ姉ちゃん。ムルガのことも大事件だけど、それよりももっと大きな事件があったんだよ」
ムルガが狩れたことよりも大きな事件?
本当にそんなことがあるのだろうかと思ったウィノラだったが、取り敢えずここは大人しく話を聞くことにした。
一拍の間を置いた後、リーナは唾を飛ばさん勢いで話を切り出す。
「余所者だよ! ビュート兄ちゃんたち、ムルガだけじゃなくて余所者も捕まえてきたんだよ!」
ウィノラは瞠目した。
「余所者だと? 他の部族の人間か? それとも行商人か?」
リーナは首をぶんぶんと横に振った。
「それがね、今まで見たことのない格好をした余所者なんだよ。肌の色は白いし髪の毛は黒いんだけど変な形をしているの」
両腕を組んだウィノラは傾げていた首をさらに傾げた。
変な格好をした肌の色が白い余所者と言われても要領を得ない。
しかも髪の毛が変な形をしているとはどういうことだろう。
「まあ、この目で見れば何者かわかるだろ」
ウィノラは訓練に使用していた長弓を地面に置き、後ろ腰に差していた護身用のナイフを確認した。
余所者をわざわざ集落に連れ帰ってきたということは、ビュートたちは今頃その余所者を牢屋の中に入れているはず。
一体何をしたかは知らないが、この集落に害を成す人間ならば厳しい態度で接しなければならない。
「リーナ。余所者のことを知らせてくれたことには感謝するが、そろそろ日が暮れるから家に帰れ。あとはわたしに任せろ」
「ええ~、わたしは連れて行ってくれないの?」
「当たり前だ。牢屋も戦闘訓練所と同じく子供は立ち入り禁止だ。いいから大人しく家に帰っていろ。いいな?」
しばらく顔をうつむかせていたリーナだったが、ウィノラが誰よりも自分のことを心配していたことを理解したのだろう。
やがて顔を上げてこくりと頷いた。
「わかった。今日はもう帰るね」
「うむ、いい子だ」
とぼとぼと肩を落としながら家路に向かうリーナを見送ったあと、ウィノラは誰もいなくなった戦闘訓練所の一角に視線を移す。
ウィノラが視線を向けた先には、深緑色の葉をつけた立派な大木が生えていた。
無論、近くには人間はおろか家畜の姿もない。
「話は聞いていたな、クアトラ。今からその余所者とやらの顔を見に行くぞ」
何の変哲もない大木に向かってそう呟いたウィノラは、颯爽と踵を返して牢屋として改築された場所に向かって歩き出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます