第11話
昨日、無事に二十歳の誕生日を迎えたチェロキーは上機嫌だった。
ピピカ族では男が二十歳になると正式に部族の戦士として認められる。
そして集落の中で教え込まれた狩りの仕方を実践するため、経験豊富な戦士たちにつき添いながら獲物を捜し歩かねばならない。
「どうした、チェロキー。随分と嬉しそうだな」
そう言って話しかけてきたのは、隣で歩いていた十歳年上のボンゴだった。
「当然ですよ。ようやく俺も今日から戦士の仲間入りなんですから」
左手には手製の長弓、右手には白銀色のナイフを握っていたチェロキーは、若干興奮しているのか鼻息を荒げながら返事をした。
「おいおい、いくら何でも興奮しすぎだ。まだ獲物も見つけてないのにナイフを抜いている奴がどこにいる」
「そうは言いますがね、ボンゴさん。いつ、どこで獲物を発見するかわからないじゃないですか。それに場合によってはこちらが襲われる危険性もあるんですよ」
ボンゴは伸ばしていた顎髭を擦りながら頷く。
「うむ、確かにお前の言うことも一理ある。獲物を狩るということは、逆にこちらが狩られる可能性もあるということだからな」
「そうでしょう。だからこそこうして常に戦いに備えているんです」
五歳の頃から狩りの仕方を教えてくれた父親は、日頃からこのコンディグランドに生きる動物に優劣はないと漏らしていた。
その通りだとチェロキーも思う。
コンディグランドは神と精霊が作り出した偉大な大地であり、実に多くの恩恵を自分たちに与えてくれる。
慣れない者が住まうにはやや厳しい環境だったが、それでも一生懸命に大地を耕せば実りある作物も収穫できた。
獲物もそうである。
父親の話ではこのコンディグランドには数十種類の動物が生息しているらしく、そのうちの数種類をピピカ族は獲物として狩猟している。
なぜ数種類だけかというと、集落の位置が大いに関係していた。
常に住居を移動させるマシリー族とは違い、ピピカ族は滅多に集落を移動させることはない。
だからこそピピカ族は集落の近辺に生息している獲物だけを狩るという手法を取ってきた。
だが、それだとコンディグランドの生態系を狂わす恐れが出てくる。
当然であった。
数種類だけを集中的に狩り続けていれば、その狩っていた獲物を捕食していた動物の数も少なくなるのは自明の理だ。
それはピピカ族も十分理解していた。
しかし――。
「ねえ、ボンゴさん。最近、妙に獲物の数が減ってきていますよね?」
「そうだな。十年前に比べると格段に減ったかな。昔なら一日にムルガが何頭も狩れたときもあったんだが」
「え? あのムルガがですか?」
「ああ。今でこそ祭事のときぐらいにしか食えないムルガだが、昔は本当によく見かけたもんだ。懐かしいな」
感慨に耽るボンゴを横目に、チェロキーは「へえ~、凄いな」と感動した。
たった一頭だけで数十人分の胃袋を満たしてくれるムルガは最上級の獲物だ。
赤身が豊富な肉を焦げ目がつくほどに焼けば食欲をそそる香りを放ち、一口食すれば堅すぎず柔らかすぎない歯応えが食欲を増進させる。
しかも香辛料などと一緒に燻製にすれば保存食としても活用でき、また岩石のように堅い骨を加工すれば装飾品としても売れるという素晴らしい獲物だった。
そんなムルガも今では滅多に狩れなくなった。
いや、ムルガだけではない。他の動物の数も絶対的に少なくなってきた。
だからこそチェロキーたちは集落から大分離れたこの場所まで足を運んできたのだ。
チェロキーは頬を伝う汗を手の甲で無造作に拭い、前方と後方を交互に見やる。はるか前方の岩陰に四人、そして後方の岩山の上に四人の仲間の姿があった。
前方にいるのは先発隊、後方にいるのが後発隊だ。
ピピカ族は狩りの際に十人一組で行動し、どんな不測の事態に陥っても素早く対処できるように努めている。
たとえばムルガなどの獰猛な動物と遭遇した場合、大人数で真っ向から挑んでも危険が高すぎる。
そのため十人一組をさらに複数の組に分け、負傷者がでないような効率のよい狩りを行うのだ。
先発隊は白兵戦用のナイフ技術に長けた人間たちが務め、後方隊では上手く援護射撃が務められるよう弓の扱いに長けた人間が務める、という風にである。
だが今日は初参加のチェロキーがいたため、前方四人、真ん中二人、後方四人といった特別な隊形に編成された。
これは何もチェロキーだから特別ではなく、狩りに初めて参加する若者がいるときには必ずこの隊形で狩りに出発するのが慣わしだったからだ。
チェロキーは先発隊と後発隊に異常がないことを確認すると、腰に吊るしていた革の水筒を手に取り、残りわずかだった水を一気に飲み干す。
大量の水分が汗として流れ出ていたせいか、革の匂いが移った水でも最高に美味かった。
乾ききっていた喉を潤したチェロキーは、大きく深呼吸をして息を整える。
もう、どのぐらい歩いてきたのだろう。
確か集落を出発したときには太陽は真上に位置していたが、今ではどんどん傾いて西の彼方に沈みかけている。
お陰でとめどなく流れていた汗は引いてきたが、この分だとあと数刻で完全に日が沈んでしまう。
そうなると今日は狩りを中断して野宿を強いられる。
そう思ったとき、先発隊から猛然と駆けてくる人影があった。
チェロキーよりも五つ年上のミンバである。
「お疲れ、お二人さん。ムースさんからの伝言だ。そろそろ日が暮れるからここら辺で野宿にしようだとさ」
やはりそうなったか。
チェロキーは安堵の息を漏らすと、棒のように堅くなった足を擦り始めた。
小まめに休憩を挟んでいたとはいえ、炎天下での長時間の歩きは心身に負担がかかる。
ビュートたちのようにマクゥを連れてくれば楽だったのに。
「相当疲れたようだな、チェロキー。まあ、仕方ないさ。何せ初めての狩りでこの長距離の歩きだ。緊張や不安も俺たちとは桁違いだっただろう」
その通りだった。
しかも、いつ獲物と遭遇するか考えていたせいで頭も痛い。
ミンバは腰に両手を当てたまま、健康的な白い歯を見せつけるように高笑する。
「とにかく今日の狩りはこれで終いだ。今夜は向こうの岩陰で休むらしいから、ゆっくりと寝て英気を養え。これはムースさんの忠告でもある」
ちなみにムースとはこの隊の長を務める熟練した戦士だ。
岩のような屈強な体躯には危険な狩りを幾度も乗り越えてきた証である大小無数の傷が彫られ、五十歳を超えた今でも現役の戦士として活躍している。
ナイフ技術に優れ、一族の中でも一、二を争う腕前だと評判だった。
「そうだな。日が暮れれば迂闊に歩き回るのも危険だ。ムースさんの言うとおり今日は休むとしよう」
隣にいたボンゴはチェロキーの肩に手を置くと、「今日はよく頑張ったな」と労いの言葉をかけた。
その優しさにチェロキーは少しだけ目頭が熱くなったが、ピピカ族の戦士が人前で涙を見せるわけにはいかない。
チェロキーはわざとらしく欠伸をしてから、目元に溜まっていた水気を手の甲で素早く拭った。
「そうですね。俺はまだまだ大丈夫ですが日が暮れるのなら狩りはできませんよね」
本当は体力、精神力ともに限界を迎えていたが、チェロキーは弱音を吐くまいと精一杯に強がって見せた。
「それだけ強がりが言えれば上出来だ。ではボンゴさん、あとはよろしくお願いします。俺は後発隊にも休憩場所を伝えてきますから」
けれどもミンバにはお見通しだったらしい。
チェロキーの護衛役を任されていたボンゴに頭を下げたミンバは、チェロキーの背中を思いっきり叩いて走り出した。
さすがムースに伝言役を頼まれただけあって、ミンバの脚力は移動速度に長けたジャグルーを想起させるほど速かった。
しかもこの辺りは遠くまで見通せる平地ではなく、小さなグラナドロッジが幾重にも連なる岩盤地帯である。
地面には細かな岩粒が敷き詰められ、相当に足場が悪い。にも関わらず猛然と走ることができるミンバは脚力だけでなく度胸も相当だった。
もしも派手に転んでしまえば負傷は免れないだろうに。
青紫と緋色が入り混じる広大な空を眺めつつ、チェロキーはぼそりと呟く。
「俺もいつかは皆の足を引っ張らない戦士になりたいぜ」
と、密かに意気込んだ直後であった。
不意にチェロキーは凄まじい悪寒に襲われた。
うなじ辺りの毛が粟立ち、額から浮き出てきた汗が止まらない。心なしか周囲の気温も涼しすぎるような……。
次の瞬間、ボンゴは喉が張り裂けんばかりの大声を上げた。
携えていた長弓を構え、背中に吊るしていた矢筒から素早く一本の矢を取り出す。
チェロキーもボンゴの驚声に触発され、咄嗟に長弓を構えた。
右手に持っていたナイフを投げ捨て、矢筒から取り出した矢を番える。鏃を向けた先は上空の岩山だった。
(う、嘘だろ!)
弦を最大限にまで引き絞ったチェロキーは、気配を感じさせないままグラナドロッジの一角から飛び出てきた黒い物体を見て激しく驚愕した。
それと同時に、ボンゴの悲痛な叫び声が何度も頭の中で反芻される。
ガマラが出た、と――。
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