第10話

 人間にたとえれば十歳にも満たない子供であっただろうが、花魁に付き従う禿よりも十分な色香が感じられた。


 それに鼻腔の奥に香る匂いは春の予感を想起させる梅の香りだ。


 目を閉じれば岩肌のような幹からしなやかに伸びる白梅の花がありありと浮かんでくる。


 また元結ではない髪型も異国の人間ならば頷けた。いや、異国の物ノ怪ならば頷けた。


 宗鉄が思案に耽っていると、小人は大きく肩を竦めて首を左右に振った。


「あ~あ、馬鹿らしい。よく考えたらこいつがどこの国の人間だろうと関係ないわ。どうせわたしのことは見えてないんだろうし」


 いやいや、十二分に見えているが。


 と思わず突っ込みたくなった宗鉄だったが、そこをあえてぐっと堪えて小人の独白に耳を傾けてみる。


 やがて小人は縦横無尽に空を飛んで宗鉄の外見を見て回り始めた。


 時折、「何なのこの珍妙な髪型は?」や「ふ~ん、顔はそんなに悪くないわね」などの声が上空から聞こえてきたが、それでも宗鉄は身動き一つせずに我慢した。


 いくら人間に酷似しているとはいえ、相手は人語を巧みに話す異国の物ノ怪である。


 ここは慎重に気を窺うべきだった。


 ほどしばらくして小人は宗鉄の頭の上に舞い降りた。


 結ってある髷を椅子代わりにして堂々と腰を下ろす。


「う~ん、おかしいわね。魔力の欠片も感じられないこいつはどうやってわたしの封印を解いたのかしら? まさか〈シレルタ〉に施されていた封印が独りでに解けた……いや、そんなことがあるはずはないわ。あれほどの魔力が込められた魔導具だもの。独りでに封印が解けることなんてない。それに、もしも解呪の魔術を使わずに封印を解いたとしたらどんな反作用が起こるか……」

 再びぶつぶつと小言を言い始めた小人に、これまで我慢していた宗鉄の堪忍袋の尾が音を立てて切れた。


 無理もない。


 小人は武士の髷を飄々と椅子代わりにしているのだ。


 いくら物ノ怪に対して寛容だった宗鉄でも限界である。


 意を決した宗鉄の動きは迅速を極めた。


 宗鉄は抜き打ちを放つ速度で両手を動かすと、頭の上で寛いでいた小人を左右から鷲摑みにしたのだ。


「え? 嘘! な、何で!」


 一方、いきなり捕まった小人は見るからに大慌てだった。


 ぎゃあぎゃあと喚きながら自分を拘束している手を解こうと羽根を動かすが、宗鉄の手は小人の羽根ごとしっかりと捕まえていたので抜け出すのは事実上不可能であった。


(このままでは埒が明かないな)


 宗鉄はゆっくりと小人を捕まえた両手を眼前に移動させると、慌てふためく小人に静かな口調で問いかけた。


「お前、名はなんと言う?」


 小人はびくっと身体を硬直させた。


 そして顔全体から汗をだらだらと垂れ流し、おそるおそる訊き返してくる。


「もしかして、わたしの姿が見えてる?」


 こくりと宗鉄は頷いた。


「わたしが言っている言葉もわかる?」


 こくこくと二回続けて宗鉄は頷く。


「えええええええ――ッ!」


 直後、小人は梅干みたいなおちょぼ口から衝撃波のような悲鳴を上げた。


 これにはさすがの宗鉄も度肝を抜かれた。


 小人を拘束していた手を素早く離し、自分の両耳の保護に使用する。


「何て馬鹿でかい声を出すんだ! 首が吹き飛ぶかと思ったぞ!」


 宗鉄は両耳を押さえながら、空中に静止している小人に向かって吼える。


「嘘……本当にわたしの姿がはっきりと見えるの?」


「髪の毛先から足の爪先まで」


「声も? わたしの言葉もはっきりと理解できる?」


「言っている意味はよくわからんが、それでもお前が俺に理解できる言葉を喋っていることはわかる」


 小人はゆっくりと空中で後退った。


「うわ~、本当だ。こいつ、本当にわたしが認識できてる。一体どうして? 魔術師でもない普通の人間なのに……」


 さっきから何を言っているんだ、こいつは。


 宗鉄は空中に静止したままゆっくりと離れていく小人を目で追いながらそう思った。


 大体、もう少しこっちがわかる言葉を喋ってほしい。


 魔術師がどうたらこうたら言われても理解できない。


 そもそも、なぜ異国の物ノ怪が流暢に日ノ本の言葉を喋れるのだろう。


「なあ、もう少し俺にもわかるように喋ってくれないか?」


 宗鉄は腕を伸ばして小人を摑む。


「ちょっと、気安く身体を摑まないでよ。痛いじゃない」


 見れば見るほど不思議な物ノ怪である。


 実体がない幽霊とは違って人間のような温もりが感じられ、唐突に襲い掛かってくる危険な物ノ怪とは違って脅威は感じない。


「きちんと俺の問いに答えてくれたら離す。だから教えてくれ。お前は一体何なんだ?」


 小人はきっと宗鉄を睨みつけ、両頬を河豚のように膨らませた。


「こんな可愛い妖精を捉まえて何だとは失礼ね。それにわたしの名前はお前じゃない。わたしにはエリファスっていう真名があるの。呼ぶのなら愛情を込めてエリファスって呼んでちょうだい」


 エリファスと名乗った小人を見て、宗鉄は得心がいったように首を縦に振った。


 やはりこの小人は異国の物ノ怪に相違なかった。


 名前の響きが長崎屋に滞在していた阿蘭陀人の名前と酷似していたからだ。


 だとすると、この小人は阿蘭陀などの異国からやってきたのだろうか。


 宗鉄はエリファスを摑んでいた手をそっと開いた。


「エリファスか……やはり異国の名前は響きからして違うな。何かこう気品というものが感じられる」


 独り納得した宗鉄は、続いて一本だけ立てた親指を自分に突きつけた。


「俺の名前は鮎原宗鉄。これでも神田では異国狂いの鉄砲小僧で名が通っている」


「はあ? カンダってどこの国?」


「国ではない。知らないのか? 山王祭や根津祭と並ぶ江戸三大祭が行われる神田を」


「ごめん。全然知らない」


「何てことだ」


 宗鉄は自分の額を右手でぺしんと叩くなり、袴が汚れるのも構わず座り込んだ。


 そして空中に浮かんでいるエリファスに地面に降りろと指示する。


 最初こそエリファスは宗鉄の意図が読めずに眉根を寄せつけて訝しんでいたが、無言のまま人差し指をずっと地面に突きつけている宗鉄に恐怖を感じたのか、やがてすううと地面に舞い降りてきた。


 なぜか宗鉄を真似て地面に胡坐を掻く。


「よし、ではお前に神田の素晴らしさを一から教えてやろう」


 そう切り出した直後、宗鉄の口からは神田の町並みから四季折々の行事にまで及ぶ膨大な事柄が紡ぎ出された。


 先ほど言った江戸三代祭りに数えられた神田祭を始め、神田橋門内の芝崎町にあった神田明神など。神田っ子ならではの自慢話を延々とである。


 その後、宗鉄の話を聞き終えたエリファスは感嘆の声を上げた。


「はあ~、凄いのね。つまり神田は日ノ本っていう国の代表的な町なのね」


「そういうことだ」


 地元神田の特色を存分に話し尽くした宗鉄は、地面に置いていた鉄砲を摑むと袴に付着した砂を払い落として立ち上がった。


 その顔には十分満たされた笑顔と大量の汗が浮かんでいる。


「では、話を終えたところで俺はそろそろ行くとしよう。じゃあな、エリ何とか」


 そう言ってエリファスの横を通り過ぎた宗鉄だったが、不意にエリファスの凛然とした声に呼び止められた。宗鉄は身体ごと振り向く。


「何だ? もう話すことは全部……」


 振り返った瞬間、宗鉄は瞳孔を拡大させて言葉を失った。


「大人しくしろ! 一歩でもその場から動けば容赦なく射抜く!」


 いつの間にか、宗鉄とエリファスは三人の屈強な体躯をした男たちに囲まれていた。


 先端に鋭い鏃がついた矢を向けられながら――。

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