第28話 従兄弟

 アロケル以下、五名の祐筆はヨトゥンヘイム到着後、ヴィトルの指示で担当を割り振られた。

 アロケルには新任の文官であり、従兄弟でもあるエーギルを補佐する役目が与えられた。

「アロケルと申します。以後、よろしくお願いいたします」

 初対面の挨拶をしたアロケルに、エーギルはすぐには答えなかった。

 不審に思ってアロケルが下げていた頭を上げて相手を見ると、唖然とした表情をしている。

「あの……何か……」

「あ……いや、済まない。女にしか見えなかったんで、声を聞いて驚いたというか……」


 エーギルの言葉に、アロケルは視線を落とした。

 ヨトゥンヘイムに来て初めてスリュムに謁見した時にも同じ事を言われたのだ。

 母親似の優男だという自覚はあるが、こうもあからさまに言われるのは、ヘルヘイムでは経験の無い事だった。

 スリュムとベルゲルミルは露骨に驚き、ギリングは軽蔑するように「軟弱そうな奴だ」と吐き棄てた。

 オリアスが取り成してくれたから良かったようなものの、この先、ヨトゥンヘイムでやっていけるのかと酷く不安になった。

 エーギルがそのギリングの息子だと思うと、一層、不安が募る。


「失礼な事を言って、悪かった」

 ギリングに罵られたようにこき下ろされるのかとアロケルが覚悟した時、屈託無い笑顔と共にエーギルは言った。

「聞いているとは思うが、俺は文官になったばかりだし、利き手が使えない。判らない事ばかりで迷惑をかけるかも知れないが、よろしく頼む」

「あ……いえ、迷惑だなどと。エーギル殿の補佐をするのが私の役目ですから、何なりとお申し付け下さい」

 言って、アロケルは再び一礼した。

 その姿に、エーギルはがしがしと頭を掻く。

「だったらまず、その大仰な態度を止めてくれないか」

「……何かお気に障りましたか?」

 幾分、不安に思いながら訊いたアロケルに、エーギルは苦笑する。

「あんたには俺の補佐をしてもらう事になってるが、従兄弟同士じゃないか。もっと気楽にしてくれ」


 エーギルの言葉を、アロケルは意外に思った。

 それまで異母兄の近習を勤め、兄の臣下のように扱われてきたのだから、従兄弟である事を理由に親しく振舞うなど、考えもしなかったのだ。

 だがエーギルの口調も表情も気さくで親しげで、ヨトゥンヘイムに来てからずっと抱いていた緊張感がほぐされてゆくようだ。


「……判りました。気をつけます」

 エーギルとならばどうにかうまくやって行けそうだと安堵の微笑を浮かべ、アロケルは言った。



 同じ頃、ヘルヘイムの郊外では、病死した第三王子マルバスの母ミリアムが、故国の廷臣を居城に呼び寄せていた。

 フォルカスに聞かされたマルバスの死の原因について、話す為である。

「このような事が明らかになった以上、何もせずにいる訳には参りませぬ」

「お気持ちは判りますが……そのお話は、確かな証拠があるのでしょうか?」

 廷臣の言葉に、ミリアムは僅かに眉を顰めた。

「時も過ぎてしまった事ですし、証拠など残ってはいますまい」

「確かな証拠も無しに、あのお方に嫌疑を掛けるのはいかがなものかと……。何よりあのお方のお立場からして、マルバス様を害する理由がありませぬ」

「ではそなたはフォルカス殿が嘘を吐いたと申すのか? それこそ理由の無い事じゃ」


 幾分か強い口調で、ミリアムは言った。

 廷臣は渋面を作り、口を噤む。


「あの方はご自分の為した事の報いを受けるべきです。さもなければ、マルバスが浮かばれぬ」

「お言葉ではございますが、迂闊な行いに出れば、どのような罰を受けるか判りませぬ」

「そのような事は判っておる。だからこそ、手に入れて欲しいものがあるのじゃ」


 確固たる口調で言うミリアムの姿に、反対しても無駄だと廷臣は思った。

 ミリアムは母としてマルバスを愛していただけでなく、祖国王家の血を遺す唯一の希望と考えていた。

 その唯一の希望を奪った相手を憎むのは、余りに当然な事だ。


「……して、何を手に入れれば宜しいのでしょうか」

 廷臣の問いに、ミリアムは声を潜め、相手の耳元で囁いた。

 廷臣の顔に一瞬、当惑の色が浮かんだが、それはミリアムに気づかれる前に消えた。

「御意のままに」

 慇懃に一礼し、そう廷臣は言った。



 国に戻った廷臣は、すぐにその事を同僚に伝えた。

「何と大胆なお考えを……」

 困惑に満ちた顔で、同僚の一人が言った。

「それで貴兄は、ミリアム様のご命令に従うおつもりか? このようなはかりごとがアグレウス様の知るところとなれば、せっかく認められている僅かばかりの自治権を奪われてしまうやも知れぬというのに」

「自治権を奪われるだけで済めば良いがな」

 別の同僚の言葉に、眉を顰めて廷臣は言った。

「事が露見し謀反と看做されれば、最悪、国が滅ぼされる可能性も否定できぬ……」


 その言葉に、その場にいた全員が困惑気に眉を顰めた。

 暫くの間、重い沈黙が場を支配する。


「……では、思いとどまって頂けるよう、ミリアム様を説得せねばなるまい」

「説得は試みるが、恐らく難しかろう。マルバス様を亡くされたお悲しみが余りに強く、報復を求めておられるのだから」

 同僚の言葉に、廷臣は言った。

「ではご命令に従うと?」

「……国を危うくし兼ねぬようなご命令には従えぬ」

「しかし貴兄は今、説得は難しいと……」

 同僚の言葉に、廷臣は深く溜息を吐いた。

「……今しばらく時を稼ごう。時と共に御子を喪われた悲しみも癒えようし、そうなれば報復などというお考えがいかに危険であるか、ご自身で気づいて下さるであろうから」

 重々しく言って、廷臣は再び深く溜息を吐いた。



 負傷の為、戦士でいられなくなったエーギルが新たに任命されたのは、弾正台だんじょうだいの官吏だった。

 弾正台は平民の犯罪を糾弾し治安維持を担当する司法・警察組織で、ヘルヘイムの制度をオリアスがヨトゥンヘイムに導入したものである。

 豪族領の寄せ集めであるヨトゥンヘイムでは、平民に対する司法・警察権は領主である豪族が保持していたが、国としての統一を図り、領地間の不平等を是正するため、王が制定した法の下に摘発と裁判が行われる事となった。

 無論それは豪族領主たちの既得権を奪い、王権を強化するものである為、新制度導入は豪族たちの反発を招いたが、オリアスは豪族たちの親族を弾正台の官吏に登用したり、豪族領内の治水工事を国家予算をもって行うなどの融和策で彼らの反対を鎮めた。


「文官なんてやっていけるか心配だったが、これは俺向きの仕事だと思う」

 その日、警邏から戻ったエーギルは朗らかに笑ってアロケルにそう言った。

 エーギルが提出すべき報告書を作成するのが、アロケルの役目だ。

「警邏や捕り物の仕事は戦士の経験が活かせるし、戦では無いので片腕でも何とかなる。こんな役目を与えて下さるとは、さすがアルヴァルディ様だ」

「……アルヴァルディ様?」

 鸚鵡返しに、アロケルは訊いた。

「アルヴァルディ様とは、オリアス叔父上のヨトゥンヘイムでの呼称ではありませぬか?」

「そうだが?」と、エーギル。

「エーギル殿もあの方の甥に当たるのに、叔父上とはお呼びにならないのですか?」

 アロケルの素朴な疑問に、エーギルはがしがしと頭を掻く。

「……確かにアルヴァルディ様は俺の叔父に当たるが、俺の方がずっと年上だし、うちの親父殿はアルヴァルディ様の兄とは言っても、側室腹だしな」


 アロケルは口を噤み、何度かまばたいた。

 ヘルヘイムでは王族出身ではない母から生まれた為に親王の宣下が受けられず、異母兄の近習として仕えていたので、母親の出自によって身分や扱いに隔たりの出る事には慣れている。

 が、従兄弟なのだから気楽にして良いと言ってくれたエーギルが、親族間での生まれの違いに拘るのは意外に思えた。


「いや、親父殿の生まれがどうのと言うより、アルヴァルディ様はいずれヨトゥンヘイムの王になる方だし、何より俺はあの方を尊敬している。だから俺にとっては、この呼び方が自然なんだが……おかしいか?」

 エーギルの問いに、アロケルは即座に首を横に振った。

「おかしくなどありませぬが……エーギル殿がアルヴァルディ様とお呼びになるなら、エーギル殿の祐筆である私も、同じようにお呼びすべきでしょうか?」

「俺は俺、あんたはあんただ。好きに呼べば良いと思うぞ」

「そうですか……。ヨトゥンヘイムでは、それが許されるのですね」

 幾分か安堵して言ったアロケルに、エーギルは眉を上げた。

「ヨトゥンヘイムでは……って、ヘルヘイムじゃご法度なのか?」

「叔父上を叔父上とお呼びする事を禁じられていた訳ではありませぬが……」


 途中で口を噤み、アロケルは言い澱んだ。

 エーギルはまっすぐにアロケルを見、相手が続けるのを待った。

 アロケルは暫く躊躇ってから、口を開く。


「……ヘルヘイムで私は異母兄にあたる第一王子に近習として仕えていたのですが、近習になってからは、兄上ではなく殿下と呼ぶように申し付けられていましたので……」

「それがヘルヘイムのしきたりなのか?」

「ヘルヘイムのしきたりと言うより、私の母は元々第一王子の母君の侍女であったので、その関係で……」

 俯きがちに言ったアロケルに、エーギルは眉を顰める。

「それはつまり、アグレ――いや、スリヴァルディ殿は、側室の侍女を側室にしたって事なのか?」

「はい」と、アロケルは短く答えた。


 エーギルが『アグレウス』と言い掛けて『スリヴァルディ殿』と言い直したのは、ヨトゥンヘイムでアグレウスをヘルヘイム流に呼ぶのは一種の蔑称と看做されているからだが、アロケルはそれを知る由も無かった。

 そしてオリアスを尊敬するエーギルが年下の叔父を『アルヴァルディ様』と呼ぶ一方で、もう一人の叔父には敬意も親族としての親しみも持っていない事が呼び方にも現れているのだが、アロケルはそれにも気づかなかった。

 それよりも、エーギルの親しげな態度につられて余計な事を口にしてしまったと、それを内心で後悔し始めていたからだ。


「それがヘルヘイムのしきたりなのかも知れんが、ヨトゥンヘイムでは考えられんな。そもそも、同時に何人も側室を持つってのがありえない」

 ぼやくように言ったエーギルに、アロケルは俯けていた顔を上げて相手を見る。

「……そうなのですか?」

「王族でも豪族でも、複数の愛妾を同時に持つなんて話は聞いた事が無い。正室に子供ができなければ結婚したまま側室を持つ事はあるが、複数の側室なんて例が無い」

 エーギルの父方の祖母はスリュムの最初の側室だったが、スリュムが二人目の側室を迎えたのは彼女が病没したずっと後のことであり、フレイヤとの結婚前に二人目の側室は宿下がりさせたのだとエーギルは説明した。

「ついでに言うと、うちのお袋殿は元は親父殿の側室だったが、俺が生まれてから正室になった」

「……エーギル殿のお父君は、奥方とご子息をとても大切にしておられるのですね」


 自分を「軟弱そうな奴だ」と吐き棄てたギリングの姿を思い起こしながら、アロケルは言った。

 ヨトゥンヘイムに来る前に、ヨトゥンヘイムとヘルヘイムは習慣や価値観が大きく異なる為、互いに相手を見下す傾向があるのだと聞かされていた。

 そしてその通りにギリングには冷たくあしらわれ、いかつい外見のせいもあって非情な男なのだという印象を受けたが、妻子は大切にしているらしい。


「まあ、ぞんざいには扱われていないと思うが……。そもそもヨトゥンヘイムの女は気が強いからな。複数の側女を同時に持たないのは、持たないと言うより持てないんだろう」

 気さくに言って、エーギルは笑った。

 異母兄に臣下扱いされていたアロケルはエーギルの話を聞いて正直、羨ましいと思ったが、口には出さなかった。



 ヨトゥンヘイムで国を揺るがすような事件が起きるのは、それから三週間後の事である。

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