第27話 秘密

 アグレウスはアロケルの他に五名の祐筆を、ヨトゥンヘイムに遣わすために選んだ。

 ヨトゥンヘイム側は彼らの受入を一旦、承諾していたが、その中にアグレウスの公子が含まれている事を知って、オリアスが難色を示した。

「アロケルは皇位継承権を与えられてはいないが、それでも私の血の繋がった甥だ。それを祐筆にとは……」

「お前の甥がユウヒツとやらになると、何か問題あるのか?」

 兄の真意を測りかねて眉を顰めたオリアスに、ベルゲルミルが問うた。

「ヘルヘイムでの祐筆とは、公文書や皇族の私的な文書の代筆や清書を行うのが仕事で、主に下級貴族が勤める地位の低い文官だ。いくら親王の宣下が無かった公子とは言え、兄上はなぜ、自分の子をそんな地位に就けようとするのか……」

「いかにもあいつらしいやり口だ」

 吐き棄てるように言ったのはギリングだ。

「ついこの間も王子を一人、宮殿から追放したと聞くぞ」

「伯爵家に婿養子に出しただけだ」


 兄を庇うようにオリアスは言ったが、フォルカスの結婚に続いてアロケルがヨトゥンヘイムに派遣されるとなると、二人とも追放された印象になるのは否めないと、内心では思っていた。

 それに、フォルカスの妹グレモリーが商人と結婚する事も決まっている。

 皇族同士の婚姻でない限り、女性皇族が結婚と共に皇宮を離れるのは特に珍しいことでは無くむしろ普通だと言えるが、兄フォルカスに続いて妹も皇宮を離れる上に、嫁ぎ先が平民となれば異例の措置といえる。


「……あいつが自分の子供たちに対して冷淡なのは今に始まった事じゃないが、ヨトゥンヘイムに送り込んでくるのは気に入らんな」

 そう言ったのはスリュムだ。

「祐筆の事はフレイヤが言い出した事だから承知したが、アグレウスが首を突っ込むと碌な事にならん」

「その通りじゃ。ヘルヘイムからの文官なんぞ、断るべきだ」

 ギリングの言葉に、スリュムは眉を顰めた。

「……気に入らんのは確かじゃが、一旦、承知した事を軽々しく覆す訳にも行かん」

 スリュムが言うと、ギリングは黙って大袈裟に肩を竦める。

「……取りあえず、何故アロケルを祐筆に選んだのか、兄上に文で訊いてみる。祐筆の受け入れに関しては、そう急いで決める必要もあるまい」

 オリアスの言葉に、その場の話し合いはそれで終わった。

 そして例のごとく、ゲイルロズはその場にいても、一言も言葉を発しなかった。



 その後、オリアスとアグレウスは何度か文をやり取りし、祐筆の受け入れについて話を詰めた。

 オリアスは公子を祐筆とする事に疑問を呈したが、アグレウスは、アロケルを派遣するのは他の祐筆達を監察させる為であり、祐筆達の不行跡によってヘルヘイムとヨトゥンヘイムの関係を悪化させぬよう差配する重要な役目であるからだと説明した。

 その結果、アロケルを含む五名が予定通りヨトゥンヘイムに派遣される事になったのだが、それはフレイヤが祐筆派遣を提案した数ヵ月後の事となった。



 アロケル以下、五名の祐筆がヨトゥンヘイムに向かった頃、ヘルヘイムではグレモリーとスロールの婚儀が執り行われていた。

 グレモリーの為に新築された別邸で行われたその婚礼は、招待客の多さ、祝宴の豪華さにおいて、王家同士の輿入れの儀にも劣らぬ絢爛さであった。

 食卓には国内外から金に糸目をつけずに集められた美味珍味がふんだんに並び、それ一本で平民の家が買えるほど高価な酒が、惜しげもなく振舞われた。

 そして当代一と謳われる舞姫や歌姫、芸人たちが数百名も呼び寄せられ、連日、華やかな芸を披露した。

 祝宴は七日七晩にわたって続けられ、招待客たちに豪華な引き出物が配られただけでなく、近隣に住む招待客ではない平民たちにまで、祝い酒が振舞われた。


 だがフォルカスの婚礼の時同様、皇家から臨席する者は無く、ただ使者が遣わされたのみだった。



 フォルカスが妹を新居におとななったのは、一週間におよぶ婚礼の儀が全て済んだ、十日後の事だった。

「遅くなって済まなかったね。でも、落ち着いてからの方が良いかと思って」

 相変わらず整った顔に温和な微笑を浮かべ、フォルカスは言った。

 それから、一通り客間を見渡す。

「それにしても豪勢な造りだね。大きな声で言うのははばかられるけれど、皇宮の謁見の間なみじゃないかい?」

「それは言い過ぎよ」


 素っ気無く、グレモリーは言った。

 だがその素っ気無さは上辺だけのもので、自分の為に建てられた別邸の豪華さを、本心では誇っていた。

 単に金がかかっているだけでなく、壮麗で優美で上品で、とても商人の館には見えない。

 館に仕える侍女たちは下級とは言え貴族の出身者ばかりが揃えられ、グレモリーの事は「奥様」ではなく「姫様」と呼ぶように、スロールから言い渡されていた。


「屋敷も立派だし、君も見違えるくらいに綺麗になったね」

 グレモリーが身につけている豪奢な衣装と宝石類を見遣りながら、フォルカスは言った。

「元々、美しいのだから、『見違える』は失礼か」

「妹にお世辞を言って、どうするのよ」

 にべもない言葉と裏腹に満更でも無い表情で言いながら、グレモリーは壁に嵌め込まれた鏡に映る己の姿を眺めた。


 皇宮にいた頃は兄の侍女という立場だったので、母の形見の宝石ですら、身につける事は許されなかった。

 それに後ろ盾を持たず手元不如意であった為、屈辱に感じながらも他の侍女と同じ衣装を身にまとっていた。

 宮中で催される園遊会や公式な儀式の時のみ、特例として母の遺品のドレスを着る事が認められたが、夜会服を新調する余裕の無いグレモリーを、内親王たちは無論、他の公女たちですら嘲笑していた。

 それが今や、即位の儀に臨む女帝のような絢爛たる衣装と、それに劣らぬ豪勢な宝石を、日常的に身につける事が出来るのだ。


「普段からこんな大仰な服を着るのは成金趣味だとは思うけれど、スロールが何百着も作らせてしまったから……」

「そんな事はないよ。とても良く似合っている」

 穏やかに微笑したまま、フォルカスは言った。

 そこで漸く、グレモリーの口元にも笑みが浮かぶ。

「それで? 今日は何の御用かしら。妹にお世辞を使うために来た訳じゃないでしょう?」

「約束を果たしに来たんだよ。贈り物を用意しておくから、楽しみにしていてくれって、言ったよね?」

「そうね。確か……結婚式に、伯爵として出席するとも言っていたわね」

 グレモリーの言葉に、フォルカスは苦笑した。

「とんでもない数の招待客が招かれていると噂で聞いてね。結婚式に出席しても話もできそうにないと思ったから」

 それに、と、フォルカスは続ける。

「正確に言えば、伯爵でも無いんだ。テレンティウス伯爵の死後に爵位を継ぐのは伯爵の娘が産む男子であって、私はその後見人になるに過ぎないんだよ」

 兄の言葉にグレモリーは少し考えてから口を開いた。

「お兄様はテレンティウス伯爵の血筋ではないのだから、継承順位がそうなるのは当然ね」

「唯一、私が爵位を継げるとしたら、これから生まれるであろう息子が爵位を継いだ後に、息子も妻も亡くなった場合だけらしい」

 そう、と、興味なさそうに短く、グレモリーは言った。

「それで贈り物って? 見たところ、手ぶらに見えるけど?」

「秘密さ」

「何よそれ」と、グレモリーは微かに眉を顰める。

「私への贈り物なのに、それが何なのか私に秘密にするって、訳が判らないわ」

「そうじゃない。が、贈り物なんだよ」

 フォルカスの言葉に、グレモリーは更に眉を顰める。

「秘密そのもの……って――」


 フォルカスは片手を挙げ、相手の言葉を遮った。

 それから、扉の方を見遣る。


「これだけ広い部屋ならば、万が一にも立ち聞きされる心配は無いだろうけれど」

 言いながら、フォルカスはゆっくりと席を立った。

 その整った顔から、微笑は消えていた。

 そのまま妹の傍らに歩み寄り、耳元に口を寄せる。

「そ……っ!」

 フォルカスに何事かを囁かれたグレモリーの顔色が、さっと蒼褪めた。

 両目を大きく見開き、驚愕に唇が戦慄わななく。

「そ……んな、嘘よ、そんな事……!」

「嘘や冗談で言える事じゃないよ」

 間近に妹を見据えたまま、低くフォルカスは言った。

「それに、まだ続きがあるのだから冷静に聞いてほしい」


 兄の言葉に、何も言えずグレモリーは口を噤んだ。

 フォルカスは再び妹の耳元に唇を寄せ、何事かを囁く。

 フォルカスの告白を聞く内に、グレモリーの顔はますます蒼褪め、きつく握り締めた拳が小刻みに震える。

 全てを語り終えた後、フォルカスは静かに席に戻った。

 それから、改めて相手を見据える。

 グレモリーは両手を組んできつく握り締め、僅かに俯いていた。


「君は何も心配する事は無いよ。ほんの少しだけ、協力してくれればそれで良い」

 宥めるように言って、フォルカスは微笑した。

 グレモリーはゆっくりと顔を上げ、相手を見る。

「ただ……これだけは覚えていて欲しい」

 フォルカスの琥珀色の瞳に、猛禽のような金色の光が浮かぶ。

「私たちは、共犯者なのだと」

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