第18話

 長さは違うが金色の髪に特徴的な痩せこけた頬。


 何よりもいつも見慣れた白衣姿だったせいですぐにわかった。印象が全然変わっていない。


 ――シモン先生だ。


「やはりあの患者を診察して回っているという医者のことか?」


 その瞬間、イエラはハッとなり、慌てて首を振った。


「い、いや、多分この写真に写っている人はシモン先生じゃないよ。たしかに顔つきとかは似ているけど、やっぱり違う人だと思う」


 イエラは咄嗟に嘘をついてしまった。


 何故、軍人がシモンを探しているのかは知らないが、シモンはいつも母親を診察してくれている医者である。どんな理由があるとしても、そんな恩人を売るわけにはいかない。


 ワードは唸りながら頭を掻いた。


「……そうか。今まで他の人間にも見せたんだが、誰も知らないか似ているだけしか言わなくてな。他人の空似かな」


 イエラは思いっきり首を縦に振る。


「そ、そうだよ。きっと他人の空似だよ。ただでさえワードさんはそそっかしいんだから気をつけないと結婚できないよ」


 皮肉を言われたワードは「うるさい」とイエラを一喝すると、イエラが手にしていた写真をすかさず奪い取った。


「とにかくだ。この写真の男を見つけたら連絡してくれ。本人だったら軍から報奨金くらいでるぞ」


 ワードは写真をポケットに戻すと、イエラに背を向けた。


「うん。見つけたらね」


 イエラが手を振ると、ワードも手を振りながら人波の中に紛れ込んでいった。


「シモン先生、大丈夫かな」


 イエラは家に戻ったらすぐにシモンの自宅を訪れようと決心した。幸い他の人間たちもシモンを庇うために適当に誤魔化していたが、それでも軍が本気で探せば見つかってしまうだろう。


 イエラは力を入れて荷物を肩に担いだ。ずっしりとした殺人的重さが右肩に圧し掛かってくる。しかし呑気に休んでいる暇はない。早く帰らなければ。


「さあ、とっとと帰ろう」


 肩にしっかりと荷物を固定したイエラは、なるべく通りの端を歩いていこうと周囲の状況を確認した。


 そのときである。


「あれ?」


 イエラの目線がある一点で止まった。


 視線の先には大通りを歩いている男と少女がいた。


 お互い手を握り合い、背丈の違いや雰囲気から見ると父親と娘にしか見えない。


 そしてその父親のほうにイエラは見覚えがあった。一瞬、見間違えかとも思ったがやはり見間違えではない。


 シモンである。


 トレードマークである白衣は着ておらず、くたびれた黒のポロシャツに茶色のズボンを着用していたが、間違いなくシモンであった。


 イエラはシモンの隣にいる少女に視線を移した。


 年の頃だと十二か十三歳あたり。肩に少しかかるくらいに伸びていた髪は雪のように青白く、それでいて神々しく輝いて見えた。


 だが着ていた服は大人物のシャツであり、袖などは折り畳まないと手が見えないほどサイズは大きい。それに穿いている赤のスカートも少々汚れが目立ち、年頃の少女が穿くにはみすぼらしい感じさえする。


「シモン先生!」


 イエラは思わずシモンの名前を口に出した。


 その声に気がついたのか、シモンはイエラのほうに振り向くと、手を取っている少女を連れて通りの端にまでやってきた。


「おお、イエラ。君に会いたかったよ」


 イエラの前にやってくるなり、シモンはイエラの手を強く握った。


 普段は決して見せないような笑顔を浮かべながらイエラに謝辞を述べているのだが、イエラは何故自分がシモンに感謝されているのかわからなかった。ただ、シモンのその行為がひどく不気味なものに見えた。


 そしてそれとは別に、イエラには気になることがあった。


「シモン先生。その目はどうしたの?」


 シモンの右目には医療用の眼帯がかけられていた。昼間に母親の診察をしてくれたときにはかけられていなかった。


「ああ、これかい。こんなものはたいしたことない。ただの物貰いだよ」


 シモンは笑いながら眼帯を触ると、「それよりも」と隣にいた少女をイエラに紹介した。


「紹介するよ。私の娘のカサンドラだ」


「シモン先生の娘さん……」


 イエラは自分よりも頭一つ分ほど小さいカサンドラを見下ろした。カサンドラは一言も喋らず、ただ虚空を見つめていた。


「こ、こんばんは」


 イエラはカサンドラと目線が重なるように膝を曲げると、ニコリと笑いながら挨拶をした。すると、虚空を見つめていたカサンドラはイエラに顔を向けた。お互いの視線が直線上に綺麗に重なる。


 それでもカサンドラは一言も喋らない。じっとイエラを見つめ返している。


 イエラはそのとき、カサンドラの存在感が希薄だと感じた。


 目の前にいるのに目の前に存在しない。人間というよりも、物言わぬ人形に話しかけているような気がしてきた。


 しかし、そんなことは口に出せないし出したくもない。


 カサンドラの様子が少々おかしいのも、おそらく緊張しているからだろう。このくらいの年頃の子供にはよくあることだ。


「こんばんは、カサンドラ」

 イエラは一度目のときよりも優しい口調で挨拶をした。ついでに頭を撫でて、いかに自分が怖くない存在かカサンドラに理解してもらおうとした。


 そのときである。一文字に閉められていたカサンドラの口に変化があった。よく聞き取れないが、小声で何かを喋りだした。


「え、何?」


 イエラはカサンドラの口に自分の耳を近づけた。やがて、ボソボソと小声であったカサンドラの言葉が耳に入ってきた。


「ココハ……暗スギル……モウ……嫌ダ……」


 イエラはカサンドラのつぶやきを耳にするなり、背筋が凍りつく錯覚に襲われた。


 それはカサンドラが口にした言葉の内容以上に、カサンドラの声質が少女のそれではなかったからだ。老若男女すべての人間の声と、野生の獣の声を混ぜ合わせたような異様な声。それは不気味さを通り越して、もはや戦慄であった。


 イエラはカサンドラから距離を取った。それでも慌てて離れたせいで、尻餅をついてしまった。


「イエラ、どうしたんだ?」


 シモンは尻餅をついているイエラに奇異な眼差しを向けると、ふと目を離したカサンドラの身体に異変が起こった。


 カサンドラは信じられない速度で身体を痙攣させると、空気を震わせるほどの雄叫びを上げた。


「オオオオオオオオォォォォォォォォ――――――ッ!」


 イエラはその大声量に驚き、咄嗟に両耳を手で塞いだ。


 しかし、それでも振動が腹の底まで響き渡ってくる。それは獣の咆哮など足元にも及ばない強烈な雄叫び。否、もしかすると衝撃波に近かったかもしれない。


「カ、カサンドラッ!」


 シモンは必死に叫びながらカサンドラに近づいたが、カサンドラの雄叫びが音の壁となって何人の接近を許さなかった。


 シモンが両耳を塞いでその場にうずくまると、大通りを歩いていた人間たちからは悲鳴や喚き声が響き渡った。


 そのとき、カサンドラの雄叫びがピタリと止んだ。辺りはパニックに陥っている人間たちで騒然としていた。皆、この場から逃げようと必死であった。


 イエラは両耳を塞いでいた手をそっと離した。鈍っていた意識が徐々に晴れていくにつれ、目の前の現実に唖然となった。


 そして、ポツリとつぶやいた。


 これは夢だよね……と。

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