第19話

 それは兵士からの報告であった。


 情報室は最初こそデマだと思っていたが、ミゼオンを巡回させているすべての兵士たちから同一の報告が入ったせいで、ようやくそれが真実だとわかった。


 駐留軍基地の中は途轍もない緊迫感に包まれていた。


 通路を慌しく往復していく兵士たちは防弾ベストを装着し、手には最新式の軽機関銃が持たれていた。そして通路の壁に取り付けてあった赤ランプは煌々に点滅し、基地内には緊急の警戒音が止むことなく鳴り続けている。


 その中で一人の兵士が血相を変えてカーネルソンの私室にやってきた。かなり慌てているようで、ノックをすることも忘れて唐突に部屋の扉を開けた。


「ふざけるな! さっさと対処しろ!」


 カーネルソンは怒声を発すると、受話器を思いっきり本機に叩きつけた。


 電話を切ったカーネルソンは、部屋の中に入ってきた兵士をギロリと睨みつけた。


「部隊の編成は整ったか!」


 兵士が敬礼をしながら直立する。


「はいッ! いつでも出撃できます!」


「では部隊を二つの小隊に分けて出撃しろ。だがいいか、くれぐれも気を抜くなよ」


 カーネルソンが葉巻を口に咥えると、兵士は足早に退室した。


「まったく、どうなっているんだ」


 カーネルソンは葉巻に火を付けようとジッポライターを取り出すが、手が震えて火を点けられない。やがてカーネルソンは咥えたばかりの葉巻を吐き捨てた。


「落ち着いてください、大佐」


 ソファーに足を組みながら座っていたロジャーは、眼鏡のレンズをハンカチで拭いていた。苛立ちを見せるカーネルソンとは違い、ロジャーは落ち着いていた。


「これが落ち着いていられますか!」


 カーネルソンは力強く机を叩いた。


 ミゼオンを巡回していた兵士から最後の報告が入ってもう三十分が経過していた。


 最初の報告はミゼオンの街中に天使が現れたという信じられない内容であった。


 その報告を受けた情報室の人間は兵士が何かと見間違えたのだと判断し、まともに取り扱わなかった。しかしその数分後、一斉に突拍子もない報告が舞い込んできた。


 ――た、頼む、増援を、はやく増援部隊をよこしてくれ! 銃では歯が立たない!


 ――ば、化け物だ! 天使の化け物が現れた! 


 ――民間人の被害が予想以上に拡大している! 早く医療部隊をよこしてくれ!


 この他にも民間人からの報告もあり、情報室は対応に追われていた。


 カーネルソンの耳にもすぐにこの報告は入ってきたが、現実主義者のカーネルソンにはまったく信じられない内容であった。


 だが、事実であった。


 それは、カーネルソンの私室から見えたミゼオンの光景が如実に物語っていた。


 双眼鏡を使ってミゼオンの街並みを覗き見たカーネルソンは、望遠レンズ越しに見えた怪異な物体に目が釘付けになった。


 双眼鏡から目を離したカーネルソンはすぐさま内線電話の受話器を取り、基地内にいる全兵士に部隊の召集を開始したのである。


「査察官殿。本部にも事情を説明して増援を要請しては……」


 ロジャーは眼鏡をかけ直した。人差し指で体裁を整え、虚空を見上げる。


「無理ですね。本部から増援がくることはないでしょう。街中に化け物が出現したからと通達しても本部に信じる者はいませんよ」


 カーネルソンはそれでも食い下がった。


「しかし、このままでは!」


 このままではミゼオンの街の被害が増大するだけである。


 報告によれば巡回中の兵士が携帯していた拳銃で応戦したらしいが、まったく効果がないらしい。つまり、生半可な銃火器では対処ができない。


 現在、完全武装させた部隊をミゼオンに向かわせているが、戦力的には戦車が必要ではないかとカーネルソンは思っている。


 基地内にも何両かの戦車が配備されていたが、使用するには本部から許可を取らなければならない。そうしなければ、二国間で結んだ平和協定の規約に引っかかってしまう。


「事態は急を要します。本部から戦車使用の許可と増援を――」


「必要ありません」


 ロジャーは言い切った。しかし、この街を管轄している以上、カーネルソンも黙っているわけにはいかない。


「一応、報告だけでも」


 カーネルソンはデスクの上に置かれている電話に手を伸ばした。信じられない内容ではあるが、事情を詳しく説明すれば本部から許可が下りるかもしれない。


 カーネルソンが受話器を取ると、ロジャーはソファーから立ち上がった。そのままカーネルソンに近づき、冷たい微笑を向けた。


「何でありますか」


 ロジャーはカーネルソンの肩にそっと手を置いた。


「大佐。私たちもミゼオンに行きましょうか。やはり指揮する者が前線にいるほうが兵士たちの士気も向上するでしょう」


 何を言っているんだこの男は。ロジャーの言葉にカーネルソンの表情が曇った。


 軍隊の中で指揮官が前線に出ることなどまずありえない。指揮する者が後方にいるからこそ、前線の兵士たちが何の支障もなく行動ができるのだ。しかしそれ以上に、あんな化け物の近くに行くことだけは避けたかった。


「い、いえ、私はここで作戦を立案しなければ」


 とカーネルソンがロジャーから顔を逸らすと、


「……それは残念です。出来れば〝贄〟が減るのだけは避けたかったのですが」


 ロジャーは懐に手を突っ込んだ。


「は?」


 聞き慣れない単語にカーネルソンが顔を向き直した瞬間、部屋の中に一発の乾いた音が鳴り響いた。絨毯の上に硝煙をまとった薬莢が転がる。


 カーネルソンは何が起こったかわからなかった。


 一瞬、視界が激しくぶれたと思ったら、何故か天井を見上げていた。高価だったシャンデリアが目に付き、やがて視界が真っ黒に染まった。


 そして――思考が停止した。


 ロジャーは絶命したカーネルソンを見下ろしつつ、顎に手を当てて思案していた。 


「そうですね。裏帳簿を発見されたことに恐れを抱き、上司の口を塞ごうと銃を抜いた。だが、逆に反撃にあって殉職した……というところですか、私の正当防衛の理由としては」


 ロジャーは手に持っている自前の拳銃を懐に収めると、ポケットから黒革の手袋と一枚の書類を取り出した。


「さて、仕上げといきますか」


 ロジャーは書類を脇に挟みながら手袋を装着すると、カーネルソンの腰にあったホルスターから大口径のリボルバーを引き抜き、カーネルソンの右手に握らせた。


 次にロジャーはデスクの引き出しを開けて、書類をそっと入れた。書類にはカーネルソンが今まで犯してきた軍務違反のデータが克明に書き記されている。


 もちろん偽装だ。


 ロジャーはカーネルソンについて最低限の経歴しか知らなかった。


 その気になればカーネルソンが犯してきた本当の軍務違反についても調べられるのだが、あえてそれは実行しなかった。する必要がなかったのである。


 ロジャーは引き出しを閉めると、息絶えたカーネルソンをちらりと見た。


「念のためにこんな偽造書まで用意したのですが、あの様子からして何かしらの軍務違反を犯していたのでしょうね。ま、それはそれでいいのですが」


 デスクの上に置かれていた電話の受話器を取った。男とは思えない細長い指で番号を打ち込むと、二、三度の通信音の後にすぐに相手は電話を取った。


「私は本部から派遣されてきたロジャー・ヴァンヘルムです……そうです、準備は整っていますか? ……よろしい、ではこれからカーネルソン大佐に代わって私が陣頭指揮を取ります。兵は正面玄関の前に集合させておいてください」


 ロジャーは受話器を本機に置くと、宵闇に包まれている窓の外を見た。


 漆黒の中に浮かぶ一点の光。ミゼオンの街から漏れ出ている光である。


「まさか、こんなに早くお目にかかれるとはね」


 ロジャーは人差し指で眼鏡の体裁を整えると、毒々しい笑みを浮かべた。

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