第17話
すでに日は西の山間に落ちて、時刻は夜の七時を過ぎていた。
普段ならばミゼオンの街並みは宵闇に包まれ、街灯が灯り始める時間帯であった。
だが、オークション市が開催されている期間のミゼオンは昼夜を問わず光と活気がなくなることはない。
特に夜は凄いの一言で片付けられる。大通りは昼間の倍の人間で溢れかえり、道を歩くだけでも一苦労なほどの混雑ぶりであった。
地元の人間を始め、他国から訪れた人間たちで埋め尽くされている大通り。
その中でイエラはぜいぜいと荒い息を吐き出しながら、肩に担いでいる荷物を落とさないよう注意しながら歩いていた。その足取りは傍から見ても非常に重い。
「まったく、何でこんなことに」
イエラはぶつぶつと不満を口にしながら、ミゼオンの大通りを必死に歩いていた。
すべては父親の一言が原因であった。
家の設計図を作成する仕事をしていた父親のカールは、設計図の作成だけではなく土地の測量や土木工事の仕事を請けることもあった。
ミゼオンの街は長年紛争に巻き込まれていたため、昔は家屋や建物が壊されるなど日常茶飯事であったらしい。そのせいか、ミゼオンには建築関係の仕事をしている人間が非常に多い。カールもそのうちの一人であったのだが、そのカールが夕食を終えた後にイエラにお使いを頼んだ。
同じ建築仕事をしているアモールの自宅に設計図を届けてくれないか、と。
父親の頼みをイエラはあっさり承諾した。
特に断る理由もなかったし、設計図の一枚や二枚届けることなど何の苦にもならない。などとイエラが気楽に考えていたのが約二時間前である。
不意にイエラの足取りがピタリと止まった。限界であった。長時間歩き続けたせいで身体は鉛のように重く感じ、自慢の足などは棒のように堅くなっている。
どこかで休憩しなければとても家まで体力が続かない。イエラはキョロキョロと辺りを見回して身近な休憩場所を探した。
数秒が経過すると、やがてイエラの視線がある一点で止まった。
そこは露店と露店の中間にあった小道の入り口であった。見ればちょうど右の建物には腰を下ろせる段差があり、休憩するには絶好の場所であった。
イエラはなけなしの力を振り絞ってその場所まで近づくと、そこでようやく担いでいた荷物を地面に下ろした。ドズン、という重い音が響く。
イエラが肩に担いでいたのは、ズタ袋に詰められていた何十本もの設計図、そして測量の機械であった。
その重さはイエラの小さな身体には負担がかかりすぎるほどの重さであった。いったい何キロあるのかと、家に帰ったら量ってみたいと思ったほどだ。
文字通り肩の荷を降ろしたイエラは、こりにこった肩を回してよくほぐしていく。
一時間以上も担ぎっぱなしだったので、相当に血の巡りが悪くなっていた。
とりあえず消費した体力を回復させよう。イエラは建物の段差に腰掛けた。建物の壁に背中を預けて長い息を吐く。
「私って流されやすいタイプなのかな」
イエラは足元に置いたズタ袋を軽く足で小突いた。
アモールの自宅に設計図を届けた折、ついでにと渡された重量のある荷物。
今度の仕事でカールが使う大事な作業品らしいが、それを律儀にも担いで帰っている自分に少し嫌気を感じていると、大通りの中から一人の人間が近づいてきた。
「こんな時間に何をしている?」
イエラに声をかけた人物はちりちりに焼けたような黒髪に日焼けとは違う赤褐色の肌をしており、ピシッとした深緑色の長袖長ズボンを着用していた。
軍人である。
「見ればわかるでしょ」
イエラは目の前に現れた軍人に軽く手を振った。
軍人の名前はワードという。父親の飲み仲間であり、このミゼオンに派遣されて五年が経つ駐留軍の軍人であった。
ワードはイエラの足元に置かれているズタ袋を見た。袋の口から出ている何本もの丸められた紙筒を見て、それが何かすぐに気がついたらしい。
「何だ、お使いだったのか」
「その帰りだよ。丘の上の住宅街からこれを担いでね」
イエラはズタ袋を足で小突いた。ガンッ、という重い衝撃音が響くと、ワードの表情が途端に曇った。
「うっ、それも測量器つきか」
ワードは気の毒そうにイエラの肩をポンポンと叩いた。どうやらイエラの苦労と苦悩が理解できたらしい。
「これでわかったでしょ。職質するなら他を当たってちょうだい」
イエラは立ち上がると、足元に置いていた荷物を肩に担ごうと手を伸ばした。すると、ワードは「ちょっと待て」と右手を前に突き出した。
「何、まだ何かあるの?」
イエラは不機嫌そうにワードを睨み付けた。
「そう怒るな。実は今、上からの命令で人を探しているんだ」
ワードはズボンのポケットから一枚の写真を取り出した。
「この人物なんだが見たことはあるか?」
ワードが差し出した写真をイエラは受け取った。写っていた被写体を確認する。
「ん?」
写真を見るなり、イエラの目が点になった。
「シモン先生?」
幾分若かったが、写真に写っていた人物は間違いなくシモンであった。
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