第15話

「な、何のことですか、私にはあなたの言っている意味がよくわかりません」


 カーネルソンは何とか誤魔化そうとしたが、明らかに動揺しているのは明白であった。そしてその態度は、軍務違反を犯していると告白しているようなものである。


「何かやらかしたのか? その大佐さまは」


「だ、黙れッ!」


 シュミテッドの一言で頭に血が上ったカーネルソンは、その鈍重な身体からは想像もつかない速さでホルスターからリボルバーを抜き取った。


「大佐」


 しかしそれ以上の速さでロジャーがカーネルソンの腕を摑んだ。


 そのあまりの早業に、カーネルソンは舌を巻いた。ひ弱なエリート軍人と思っていたが、切れるのは頭だけではないようであった。


「私は彼と話をしているのです。少し控えてください」


 冷たく、険をこめた声で上の階級の人間に命令されれば、カーネルソンとてそれ以上口を挟めない。大人しくリボルバーをホルスターに仕舞った。


 ロジャーは仕切り直しとばかりに、胸のポケットから一枚の写真を取り出した。その写真をシュミテッドの目の前に差し出す。


「これが何だかご存知ですか?」


 写真に写っていたのは一個の石であった。だがその石は両端の先端が鋭く尖っており、大きさというと十歳前後の子供の身体と同じくらいあったかもしれない。


「これは〈マナの欠片〉という途方もない力を秘めた石です。いや、便宜上〝石〟と分類しているだけで、これがいったい何なのかは一切不明です」


 シュミテッドはロジャーの言葉をただ黙って聞いていた。


「この石がどこにあるかご存知ですか? ミスター」


 しばらく沈黙していたシュミテッドが重い口を開いた。


「お宅の言いたいことがよくわからない。それに、そんな石の消息も俺たちはまったく知らない。わかったらここから俺たちを出してくれ。たかが酔っ払った軍人たちを教育したぐらいで殺されるのはまっぴらごめんだ」


 ロジャーはシュミテッドを直視した後、写真を再びポケットに仕舞い込んだ。


「そうですか、それは残念です」


 ロジャーはため息混じりにそう言うと、鉄格子から踵を返した。


 そして押し黙っているカーネルソンに「次に行きましょうか」と促すと、もうここには用はないとばかりに歩き出した。それを見たカーネルソンや護衛の兵士二人は、慌ててロジャーの後を追う。


 四人の姿が見えなくなると、シュミテッドは先ほどから終始無言であったリンゼを横目で見た。


 リンゼは両目を閉じながら口を一文字に閉めている。


「どうだ、何か感じたか?」


 シュミテッドは鉄格子から離れると、リンゼの手前で腰を下ろした。同時に、リンゼの両目がゆっくりと開く。


「魔法力を感じました」


「今のインテリからか?」


 リンゼは首を左右に振った。


「この街からです」


「そうか」


 イエラの家で感じた〝何か〟が、早速訪れてきたことをシュミテッドは察した。


 それにロジャーと名乗ったインテリ眼鏡男が見せた〈マナの欠片〉の写真といい、事態は思いのほか切迫しているようである。


 その証拠にと、シュミテッドはリンゼの両目を注視した。


 瞬き一つしないリンゼの両眼は、血のように真っ赤に輝いていた。




〈エリアⅡ〉の査察を終えたロジャーたちは、これでほぼすべての主要施設を見回ったこともあり、一旦カーネルソンの私室へと戻っていた。


 私室の中央にはガラス製のテーブルが置かれ、そのテーブルを挟むように高級そうな赤のソファーが二つあった。


 そのソファーにロジャーとカーネルソンはお互い向き合いながら座っていた。護衛の兵士二人は部屋の外で立ち番をさせている。


 カーネルソンはテーブルの上に置かれていた葉巻に手を伸ばした。その際にロジャーにも薦めたが、ロジャーは煙草を吸わないらしい。「どうぞ」と逆に言われたので、カーネルソンは遠慮なく取り出したジッポライターで火を点けた。


「査察官殿。先ほどの件ですが……」


〈エリアⅠ〉からずっと無言を貫いてきたカーネルソンはついに我慢が限界点を迎えたらしく、喉に引っかかっていた疑問を煙草の紫煙とともに吐き出した。


「大佐」


 ロジャーは優雅に足を組み替えると、カーネルソンの言葉を制止させた。


「カーネルソン大佐、本部はあなたの道楽のためにこの基地を任せているわけではありません。それはわかりますよね?」


 カーネルソンは顔をうつむかせると、口内に溜まった唾の塊を飲み込んだ。血の気が引き潮のように引いていき、心臓の鼓動が張り裂けそうなくらいに高鳴っている。


 やはりバレている。カーネルソンはその一瞬、自分が汚い囚人服に身を包み、処刑台に立たされる光景がはっきりと浮かんできた。


 心身ともに萎縮したカーネルソンを見て、ロジャーはくすりと笑った。


「ですが大佐。私は本部には何も怪しいところはなかったと報告するつもりです」


 カーネルソンは顔を上げた。馬鹿みたいに口を開けてロジャーを見つめる。


「私の言っている意味がわかりませんか。あなたが行ってきた軍務違反を私の胸三寸に収めておくということです」


 カーネルソンはこのとき、ロジャーの真意が少しわかったような気がした。伊達に半生以上軍に在籍しているわけではない。


「……私に何をやれと」


 ロジャーは毒々しい笑みを浮かべると、上半身を前に起こした。ちょうどテーブルの上に身を乗り出す形になる。


「やはりあなたは私が見込んだとおり話がわかる。そんな人ほど私は好きですよ」


 その瞬間、カーネルソンの身体に強烈な悪寒が走った。それは、死が充満する戦場でも感じたことのなかった圧倒的な恐怖感。


 カーネルソンは思った。階級などは関係ない。この男には逆らってはいけない。


 ロジャーはちらりと扉に視線を向けた。


 その行動が外にいる護衛の兵士たちを気にしているとわかると、カーネルソンも上半身を前に起こした。お互いの顔が小声で密談できる距離にまで縮まる。


 多くを語らなくても自分の真意を理解するカーネルソンにロジャーは満足すると、小声でそっと囁いた。


「大佐、あなたの権力を使って是が非でも見つけて欲しいのです」


 ロジャーは胸ポケットから一枚の写真を取り出すと、その写真をカーネルソンに手渡した。白黒であった〈マナの欠片〉の写真と違い、今度の写真は鮮明な色彩のある写真だ。


 カーネルソンは手渡された写真の中身を確認する。


 写真に写っていたのは、一人の男であった。


 年の頃は二十代後半か三十代前半くらい。金色の長髪を肩まで伸ばし、頬が痩せこけた貧相な顔つきをしている。男は医者なのか科学者なのかはわからないが、細身の身体に純白の白衣を羽織っていた。


 そしてこの写真はどこかの研究所らしき場所で写されたらしく、薬品が収まっている棚も一緒に写っていた。


 カーネルソンは写真の男を食い入るように見つめたが、それでもよくわからない。

「この男を見つけるのですか?」


「そうです。この男は以前、本部の科学研究所に勤務していました。優秀な男だったそうで、二十代の半ばには研究所の副主任を任されていたとあります。あなたも噂くらいはご存知でしょう? 本部の科学研究所がどれだけ重要な施設であるか」


 カーネルソンは無言のままうなずいた。


 ボルーガ大陸のほぼ中央に位置する、イクセント市に本部を構えている連合政府軍本部基地。実際に訪れたことはないが、本部基地の施設内にあるという科学研究所の噂はよく知っている。


 科学研究所と銘打ってはいるが、その分野は科学だけには留まらない。最新兵器の開発はもちろん、非合法な人体実験から細菌兵器の開発にまで着手しているという黒い噂まで流れていた。だが、おそらくは噂ではない。それどころか、もっと恐ろしい研究に手を染めているかもしれない。


 ロジャーは眼鏡を外すと、取り出したハンカチでレンズの汚れを拭き取っていく。


「本部の科学研究所はその重要性と機密性から表向き存在が非公式になっています。まあその理由は言わなくてもわかると思いますが」


 やはりか。このときカーネルソンは、科学研究所に関する噂が氷山の一角に過ぎないことを察した。同時に、ロジャーの話をここまで聞いてしまった自分がもう後に引けないということも本能的に理解した。


 ロジャーは眼鏡を掛けると、ソファーに深く腰を沈めた。足を優雅に組み替え、レンズを通して鋭い眼光をカーネルソンに向ける。


「事の発端は三年前です。この男は研究中の極秘ファイルを持ち出して姿を消しました。そして軍の諜報部が全力で捜索した結果、この地方に逃げ込んだ可能性が高いことがわかったのです」


 カーネルソンはただ黙って聞いている。


「そこでカーネルソン大佐、あなたの出番となったわけです」


 ロジャーの鋭い眼光がより激しさを増していく。


 カーネルソンは喉に溜まった唾を飲み込むと、ゆっくりと口を開いた。


「この男を見つければ私の命は保障してくれるのですね」


 ロジャーは軽くうなずいた。


 ならば拒否する権利は自分にはない。カーネルソンは決意を固めた。


「それで、この男の名前は?」


 カーネルソンが問いかけると、ロジャーはカーネルソンが手にしている写真に人差し指を向けた。


 カーネルソンは手にしていた写真を裏返した。


 写真の裏側には、この写真が写された日付と名前が書かれていた。


 一七八八年七月二十一日、シモン・アルベルタ、と。

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