第14話

「次はここですね」


 ロジャーはカーネルソンと護衛の兵士二人を供に、地下へと続く階段を静かに降りていった。


 駐留軍基地内にある地下施設には、傷害や窃盗などを犯した軽犯罪者を収容する〈エリアⅠ〉と、殺人や強盗などを犯した重犯罪者を収容しておく〈エリアⅡ〉と呼ばれる収監場がある。


 二つとも同じ地下施設内にあるため、基地内にいる兵士たちは総括して〈地下エリア〉と呼んでいる。そこをロジャーは次の査察場所に選んだ。


 ロジャーたちが地下施設に到達すると、そこはまるで別の空間であった。


 清掃が行き届いている上の施設とは違い、窓一つない無骨な暗がりが支配する〈地下エリア〉は、留置場どころか刑務所以上に劣悪な環境だとわかる。


 ロジャーは不意に立ち止まると、ズボンのポケットから取り出したハンカチで鼻と口を塞いだ。鼻の機能を麻痺させるような悪臭はとても耐え難い。


「どうされました査察官殿。具合でも悪いのですか」


 などとカーネルソンはロジャーを気遣うように声をかけたが、その顔には薄っすらと下卑た笑みが浮かんでいた。カーネルソンは、ロジャーが悪臭に困惑していることを知った上で話しかけたのである。


「いえ、気遣いは無用です。ここを査察するのも私の仕事ですから」


 刺繍が入ったハンカチをポケットに仕舞い込むと、ロジャーは再び毅然とした態度で歩き出した。


 天井に一本の線のように延びている蛍光灯の光を頭上に受けながら、四人は直線に続いている通路を歩いていく。


 五分ほど歩いただろうか。目の前に銀色の金属製の扉が見えてきた。


 先頭を歩いていたロジャーが金属製の扉の前で立ち止まると、目だけを動かして扉の周辺を確認した。


 扉の右上の隅には一台の監視カメラが設置され、扉の横には液晶画面付のカードリーダーと〇から9の数字がついているボタンが取り付けられていた。専用のIDカードを通した後、暗証番号を入力することで扉が開閉される仕組みなのだろう。


「失礼」


 とカーネルソンは鈍重な身体を動かしてカードリーダーの前に行くと、胸のポケットから一枚のカードを取り出した。プラスチック製のIDカードである。


 カーネルソンはIDカードをカードリーダーに通し四桁の暗証番号を打ち込んだ。すると、液晶画面の「CLOSE」が「OPEN」へと切り替わる。


「では行きましょうか、査察官殿」


 滑らかに左右に開いた扉を通り、四人はまず〈エリアⅠ〉を目指した。


 左右に分かれている道の右側の通路を歩いていくと、鉄格子で遮られたいくつもの部屋が見えてきた。軽犯罪者を収容しておく〈エリアⅠ〉と呼ばれる留置所である。


「大佐、ここに収容している人間は何人いるのですか?」


「はっ、今現在〈エリアⅠ〉には二人の民間人を収容しております。一人は二メートル近くある長身の男と、もう一人はメイド服を着ている女です」


「なんですって?」


 その報告を耳にするなり、ロジャーは立ち止まった。顔だけを振り返らせ、カーネルソンに怪訝そうな顔を見せる。


「いかがされましたか?」


 急に自分の顔を凝視したロジャーにカーネルソンは戸惑った。だがロジャーはすぐに自分の取った行動に気づいたのか、誤魔化すように眼鏡の体勢を整えた。


「いえ、それよりもその収容されている二人に面会したいのですが」


「面会ですか?」


 何を言っているんだこの男は。カーネルソンは心の中で激しい舌打ちをした。


 査察官であるロジャーを案内しているのは、基地内の主要施設を見学させるための重要な職務である。それにこれは査察の対象に入っており、普段の仕事内容を上層部に報告するためのいわば大事な儀式であった。それは理解できる。


「ですが査察官殿。この〈エリアⅠ〉はあくまでも軽犯罪者を収容している場所です。そんな人間にわざわざ面会などしなくても……」


 一刻も早く査察を終わらせたかったカーネルソンは、続いての〈エリアⅡ〉へ移行するように促したが、


「これも仕事ですから」


 とロジャーは聞く耳を持たないように奥のほうへと歩いていく。


 奥歯をギリギリと歯軋りさせたカーネルソンだったが、上の人間相手に牙を剥くわけにはいかない。ここはじっと堪えることにした。


 やがて、〈エリアⅠ〉でも一番奥の部屋へと四人は辿り着いた。


 鉄格子で遮られた部屋の前には、見張りの兵士が敬礼をして四人を出迎えた。


「おい、異常はなかっただろうな」


 カーネルソンのその言葉に、見張りの兵士の顔色が明らかに変わった。


 そのことに気がつかないカーネルソンではない。もう一度、見張りの兵士に「異常はなかったのか?」と声をかける。


 見張りの兵士は二人の民間人が収容されている部屋を見やった。


 カーネルソンは兵士の視線に流され、部屋の様子を窺う。そこには床に堂々と寝ているシュミテッドと、律儀に正座をしているリンゼの姿が確認できた。


 ロジャーは鉄格子の前に立つと、床に寝ているシュミテッドに話しかけた。


「この部屋の居心地は如何ですか、ミスター」


 シュミテッドはごろりと身体を反転させて顔を動かした。


「何だ、豚の次はインテリ様のお出ましか?」


 相変わらず、へらず口の多い男だ。カーネルソンの苛立ちは徐々に加速していったが、ロジャーはまったく気にせずにシュミテッドを見下ろしている。


「私の名前はロジャー・ヴァンヘルム。連合政府軍本部から派遣されてきた査察官です」


「そうかい」


 ロジャーの自己紹介など関係ないように、シュミテッドはそっぽを向く。そのやり取りをロジャーの後ろで見ていたカーネルソンは、眉間のしわを強くよせた。


「査察官殿、いったい何を……」


 カーネルソンは何故ロジャーが民間人を相手にしているのか疑問に思っていると、ロジャーは視線をシュミテッドからリンゼのほうへと向けた。


 ロジャーの視線に誘われたカーネルソンが留置場の奥に目を向けると、飛び込んできた光景に我が目を疑った。


「何だこれは……」


 カーネルソンが鉄格子を激しく握ると、ガシャン、と甲高い音が響いた。


「落ち着いてください、カーネルソン大佐」


 鉄格子を揺さぶっているカーネルソンの肩をロジャーはポン、と優しく叩いた。

 ロジャーもこの異常な光景を目にしたはずだが、涼しげな表情をしている。


「何をそんな呑気に構えておられるのですか! これは由々しき事態ですぞ!」


 カーネルソンが取り乱すのも無理はなかった。


 リンゼの背面にあったコンクリートの壁には、巨大な亀裂が縦に六本も走っていたのである。どう考えても人の手によるものでもない。もしかしたら、大型軍用車両に取り付けられているバルカン砲でもここまで抉ることは不可能かもしれない。そんな物を目の当たりにして落ち着いているほうがおかしい。


「だからこそです」


 ロジャーは壁の亀裂を一瞥すると、再びシュミテッドに顔を向けた。シュミテッドは依然、寝転がりながら反対方向を向いている。


「ミスター、〈蛇龍十字団〉という秘密結社をご存知ですか?」


 ロジャーは唐突に話を切り出した。それも軍の最重要機密に関することをである。

 これにはカーネルソン以下、護衛の兵士二人も目を丸くさせた。唯一、見張りの兵士だけが何のことかわからずキョトンとしている。


「査察官殿ッ! あなたはいったい何をッ!」


 カーネルソンが怒り狂うと同時に、シュミテッドは大きなため息をつきながらロジャーに顔を向けた。


「何が言いたい?」


 シュミテッドは身を起こしてゆっくり立ち上がると、鉄格子の前に近づいた。今度はロジャーがシュミテッドに見下ろされる形になった。


 二メートル近くある大男の迫力に圧されたのか、護衛の兵士たちは銃を構えようとホルスターに手を伸ばした。それをすかさずロジャーが手を振って制止させる。


「私たち連合政府軍は魔術や呪術の知識に卓越した〈蛇龍十字団〉の消息を追っています。彼らは常人には理解できない人外の力を持っており、決して表舞台には姿を現さない」


「査察官殿ッ!」


 ついにカーネルソンも我慢できなくなったのか、ロジャーの肩口を摑んだ。


「今、御自分が何を話しているかわかっておられるのですか。民間人に軍の機密事項を話すなど重大な軍務違反ですぞ」


 カーネルソンの言葉を聞いてロジャーがくすりと笑った。人差し指で眼鏡の体裁を取り繕うと、刺すような視線をカーネルソンに向けた。


「軍務違反……まさかそれをあなたの口から聞くとは思いませんでしたよ、大佐」


 その瞬間、カーネルソンは無意識のうちにロジャーから視線を逸らし、手先が痙攣したかのように小刻みに震えだした。

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