第12話
とんとんとん、と軽快なリズムを奏でる音が台所に響いていた。
まな板の上に乗せられていた山菜をザク切りにしていくと、イエラはぐつぐつと煮だった大鍋の中に次々と山菜を放り込んでいく。
その間に残りの山菜と旬の野菜を合わせたサラダを作る。隠し味はもちろん森の中で見つけた香草である。軽く直火であぶると、台所には心を落ち着かせるような清々しい匂いが立ち込め始めた。
「うん、今日もバッチリ」
付け合せのサラダを味見したイエラは、満面の笑みを浮かべた。
サラダは水で洗った山菜と野菜を合わせただけの簡単な料理だったが、やはり隠し味である香草を使うと一味も二味も違う。味に深みと香りが出るのである。
そうしている間にも、大鍋に入れた山菜が十分にしんなりとしてきた。その山菜をザルに取って水気を切ると、熱していたフライパンに油を引いて山菜を炒めていく。
しばらくすると、すべての料理が完成した。
「よし、完成だ」
それぞれの皿に盛り付けた山菜料理の数々に、イエラは大満足だった。これで昼食の完成である。自分が作った料理ながらとても美味そうだ。
イエラが日課である山菜取りから帰ってきて、実に数時間あまりが経過していた。
ミゼオンから目的の森まではけっこうな距離があるのだが、イエラは特に気にしていない。よい運動にもなるし、母親の太陽のような笑顔が見られるなら、たとえ千里の道も何のそのである。
「母さん、出来たよ」
イエラは料理が盛りつけられている皿をリビングのテーブルに運ぶと、寝室から母親のサブリナがショールを羽織ながら出てきた。
「ごめんね、イエラ。いつもあなたに迷惑ばかりかけて」
子供に家事全般を任せてしまっていることが申し訳なさそうに、サブリナはゆっくりとテーブルの席に座った。
「何言ってんの母さん。これぐらい何でもないよ。それよりも冷めないうちに食べてみてよ」
かけていたエプロンを外したイエラは、料理のために肘まで捲くっていた袖を直すと、自分の席に腰を下ろした。
どこの家庭にも見られる穏やかな昼食の風景がそこにはあった。
向かい合って座る母娘の目の前には、湯気が立ち昇る六品の料理が並んでいる。
「いただきます」
イエラとサブリナは目の前にある料理を口に運んでいく。その中で、イエラはサブリナがサラダを口に運ぶ姿をじっと見つめた。
森の奥で幸運にも手に入れた香草を使った自信作である。先ほど味は確認したが、やはり緊張する。病人の母親には味付けが濃すぎなかっただろうか。
サブリナは口に含んだサラダをよく咀嚼すると、イエラに向かって微笑んだ。
「美味しい」
その一言で今日の成果が十分に実ったと感じた。やはり、あの時に勇気を出して森の中に入ってよかったと思う。
その時、ふとイエラは思い出した。隣の席に顔を向けると、普段は父親が座る席には食材を入れるための木の籠が乗せられていた。
料理を作ることに夢中になって忘れていたが、木の籠の中には不思議な石が生まれたばかりの小鳥のように寝かされていた。
「そうだ。母さん、これ見てよ。ほら」
木の籠に入っていた不思議な石を摑んだイエラは、テーブルの上にちょこんとその石を置いた。
食べることを一時中断したサブリナは、テーブルの上に置かれた石を見つめた。
「イエラ、これは何?」
「さあ、わかんない」
きょとんとするサブリナに、イエラは首を傾げて見せた。
何かと聞かれても持ち帰った本人すらわからない。ただ、不思議な物体だから持ち帰ったとしか言えなかった。
サブリナはその不思議な石を手に取った。
ころころと手の平の上で転がしてみせる。
「これはどこで手に入れたの?」
不思議な石の発見場所をサブリナが問うと、イエラは普通に「森」と答えた。
実際、森で拾ったのだから嘘はついていない。
しかしイエラが香草と不思議な石を手に入れた森の奥は、古くから立ち入りを禁止されている場所であった。そんなところに、自分のために食材を求めて足を踏み入れたなどとサブリナが知ったら、気分を害してしまうかもしれない。
だからこそイエラは詳しく話すことは止めた。よく考えれば、特に口に出して言うことでもない。黙っていれば誰にも気づかれないことである。
それに、これは目の錯覚だろうか。
不思議な石を手に取っている母親の顔色が、どんどん健康な色を取り戻していくように感じられた。肌つやも見るからによくなり、咳きもしていない。
この不思議な石には人間の体調を良くする効果でもあるのだろうか。そんなことを一瞬考えたイエラだったが、すぐに頭の中で首を左右に振った。
もし手に取っただけで体調が回復する物があるのなら、この世には医療よりも魔法が横行しているだろう。
昨日の晩――一日だけの居候であったシュミテッドに魔法は存在すると豪語したイエラだったが、正直に言うと半信半疑だった。
もし魔法なんて便利なものがあるのなら、母親の病気なんてすぐに治るはずである。それに、魔術読本禁止撤廃令という連合政府軍から配布された勧告命令のせいもあった。
設立の経緯はよく知らないが、魔術や呪術に関する書物の読本や、それに書かれている魔術の方法を実践した人間は問答無用で処罰するという、現在では信じられない内容であったらしい。そのせいで、この世に魔法を実践できる人間がいなくなったとも聞いたことがある。
しかしそれは何百年も昔のことで、今はどちらかというと印刷技術が向上したことにより魔法に関する書物は増えているような気がする。
だがそれも小説や子供の絵本に出てくる程度で、本格的な魔術書の類は書店では見かけない。おそらく、もうそんな本を購入することはできないだろう。
それは、ミゼオンの隣の国にあるミシュラと呼ばれる街が明確に示していた。
ミシュラにはミゼオンのオークション市と同様に、人々の活気を集めている古本市と呼ばれる催しが開かれていた。ジャンルを問わず、様々な国で出版された本が街を埋め尽くすのである。まさに、本好きには聖地と呼べる街であった。
そのミシュラに父親が仕事で出向くことになった際、イエラは便乗してついていったことがあった。
目的は本格的な魔術に関する事柄が記載されている本の獲得である。
もし魔術読本禁止撤廃令を潜り抜けた貴重な魔術書が今でも現存しているのならば、このミシュラをおいて他にはなかった。逆にそのミシュラで見つからないのならば、この世には現存していないという事実にも繋がる。
だからこそイエラは無理やりにでも父親についていった。自分が欲しい魔術に関する本が有るにせよ無いにせよ、自分の目で確かめなければ気が収まらない。
イエラは半日をかけて広大な敷地を誇る古本市を見て回った。
しかし、世界で一番本が集まると呼ばれるミシュラの表通りの本屋でも、滅多に手に入れられない貴重な本が手に入ると言われていた裏通りの本屋でも、本格的な魔術に関する本は見つからなかった。
結局、少なからず懸けていた期待は大きく裏切られたのである。
そしてトボトボと裏通りを歩いていたところで、イエラは一人の老人と出会った。
出会ったといっても、その老人は病気を患っていたらしく、心臓の箇所を押さえながら油汗を垂らしてうずくまっていた。
イエラはすぐに老人の元へ駆けつけた。
老人は頭まですっぽりと包む漆黒の布服で全身を包んでおり、誰が見ても風変わりな姿をしていることは一目瞭然であった。
だがイエラが声をかけるのに、そんなことは何の関係もない。困っている人が目の前にいるのなら助ける。それがイエラであった。
「大丈夫ですか?」
月並みな言葉だったが、初対面の人間に声をかけるときには有効な言葉であった。
続いて病院まで付き添いましょうかと言ったイエラに、老人は首を振って拒否すると、懐から小瓶を取り出した。
小瓶の中には錠剤がじゃらじゃらと音を立てて納まっていた。
老人はその何粒かの錠剤を手の平に移すと、一気に胃の奥に流し込んだ。すると、冷や汗で覆われていた老人の顔からは見る見るうちに生気が蘇ってきた。すごい効き目の薬であった。
元気を取り戻した老人はその場に立ち上がると、何もしていないイエラに一冊の本を差し出した。イエラは最初のほうこそ気づかなかったが、老人の傍には何冊かの古書が散らばっていた。その中の一冊を、老人はイエラに差し出したのである。
本当に何もしていないイエラは、最初のほうこそ必死に本の受け取りを断ったが、老人はそれでも受け取って欲しかったらしく、執拗にイエラに本を差し出した。
ついに老人の熱意に負けたのか、イエラは渋々その本を受け取ることにした。
そしてその本を手に取った瞬間、イエラは全身の産毛が総毛立った。
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