第11話
夏の容赦ない日差しのせいで、駐留軍の駐車場はホットプレートのような異常な熱を帯びていた。
コンクリートの地面からは、陽炎のような湯気が放出している。
そして本来ならば駐車場には基地専用の軍用車両で埋め尽くされているのだが、今日に限りそれらの車両の姿はどこにも見当たらなかった。
代わりに、駐車場には数十人の兵士たちがきちんと横一列に整列していた。兵士たちの中央にはやや緊張したカーネルソンの姿があった。
蒸し風呂のような駐車場の中で、カーネルソン以下、兵士たちはある人間の到着を一様に待ちわびていた。
生温い微風が兵士たちの短髪を軽く揺らがせ、基地の中に植えられていた樹林からは蝉の鳴き声が喧しく鳴り響いている。
現在の時刻――午後二時ジャスト。
兵士たちの中央にいたカーネルソンに動きがあった。
駐留軍基地の駐車場に、正面ゲートを潜り抜け一台の軍用車両が到着した。
対衝撃用に優れた深緑色の装甲板には傷はおろか汚れ一つない。まさに新品同様の清潔感が感じられた。
カーネルソンが駆け足で車両に近づくと、重たらしい扉がゆっくりと開かれた。
「大佐自ら出迎えとは、痛み入ります」
出てきたのは軍人とは思えない暗色のスーツを纏った優男であった。
やや赤みを帯びている茶髪を整髪料で撫でつけ、かけている四角形の眼鏡などはインテリのそれであった。体格も筋肉質とは無縁な女性のように華奢であった。
ロジャー・ヴァンヘルム。
本部より直々にこのボナージュ地方駐留軍基地を内部監査するために派遣された、特別査察官の一人であった。
軍人にして軍人にあらず。ロジャーは二十代後半という若年ながらも、階級は大佐であるカーネルソンよりも上であった。何せ、将来の確固たる地位を約束された上層部直轄の超エリート集団の一人なのである。
カーネルソンが萎縮するのも無理はなかった。査察官に睨まれでもしたら、これからの昇進の道が閉ざされてしまう。それ以上に、これまで密かに行ってきた裏商売がバレるのだけは何としても避けなければならない。
「いえいえ、わざわざお越し頂かなくてもこちらから出迎えを寄こしましたのに」
上役に対するへつらいの笑みを浮かべながら、カーネルソンは自前のハンカチで額の汗を拭った。長時間立ち続けていたため、額だけではなく、全身からは油のような汗が流れ出ていた。
ロジャーはかけていた眼鏡の体裁を人差し指で整えた。周囲をぐるりと見渡し、基地の様子を窺っている。
「査察官殿、ここでは何ですので基地のほうへ」
カーネルソンが基地のほうへ手を差し伸べると、ロジャーはうなずいて同意した。
「では早速、どうぞこちらへ」
カーネルソン直々の誘導により、ロジャーは基地の中へと入っていった。
来客用の設備が整っている玄関ホールを通り、エレベーターの前にまで来ると、先頭を歩いていたカーネルソンが操作ボタンを押した。すぐにエレベーターの扉は左右に開き、カーネルソンとロジャー、そして護衛の兵士二人が颯爽と中に入った。
階を指定するボタンを押したのは護衛の一人であった。扉の上に並んでいた数字のパネルには、カーネルソンの私室がある五階のパネルが光りだした。
エレベーターという名の閉鎖空間。その中に充満していた沈黙を破ったのは、ロジャーであった。
「そういえばカーネルソン大佐。例の件はどうなっていますか?」
ロジャーはエレベーター内の壁に背を預けながら、優雅に両腕を組んでいる。
「は? 例の件でありますか」
唐突に話を振られたことに、カーネルソンは動揺した。例の件といきなり切り出されても何のことか見当がつかない。
カーネルソンはしばし目を泳がせていると、ロジャーはすかさず助け舟を出した。
「〈マナの欠片〉のことですよ。それで、調査具合はどうです? 見つかりましたか?」
〈マナの欠片〉。
その言葉でようやくカーネルソンは思い出した。本部からの調査資料に記されていた、重要度AAAの任務であった。
「ああ、〈マナの欠片〉ですか。も、もちろん目下全力で捜索中です。しかし、ご存知のとおりこのミゼオンはまだまだ気が抜けない場所です。私どもも管轄することで手一杯の状況でして……」
カーネルソンはがっくりと肩を落とし、おもむろにため息をついた。その表情からは、目的の物を見つけられない自分に心底不甲斐なさを感じているように見える。
だが、大嘘である。
カーネルソンは〈マナの欠片〉の捜索など一度も行ってはいない。それどころか、あまつさえ記憶の奥に仕舞い込み、下手をすれば忘却寸前であった。
ロジャーはかけていた眼鏡を取り外した。ポケットから花柄の刺繍が施されたハンカチを取り出すと、眼鏡の汚れを拭き取っていく。
「そうですか。沈静化が進んでいるとはいえ、この場所がまだまだ油断できない地域であることは重々承知しています。それに、あれはそう簡単に見つかる物でもありませんしね」
重要度AAA。
それは、本部から各駐留軍基地へ通達される中でも最高ランクに位置していた任務評価であった。
だが、カーネルソンはその評価だからこそ気にしなかった。
ランクの高さは成果の低さも表している。特にその任務内容が捜索に分類される事柄ならばなおさらである。
以前、本部から重要度Aの任務が通達されたことがあったが、その任務はある小国で革命を企てているという危険人物を探し出せという内容であった。
結局、その人物は見つからなかったが、それでも上層部は簡単に納得した。
重要度ランクは高ければ高いほど情報も不正確になり、本当にその捜索対象が存在しているのかも怪しくなってくる。
仮に上層部に「見つかりませんでした」と報告しても、おそらくそれ以上の捜索は要求されないだろう。
だからこそ余計にカーネルソンの中には不信感が募った。
目の前にいるキザったらしい査察官には、本部から通達された重要度AAAの任務など関係ない。彼らの仕事内容は各駐留軍基地の銃火器の横流し、軍予算の不正横領、などの軍内部の不正を暴くことにある。
ロジャーはレンズに付着していたゴミを吐息で吹き払った。両耳にフレームをかけ、人差し指で体裁を整える。
同時に、エレベーターの中に無機質な電子音が鳴った。
エレベーターが目的の階に到着し、滑らかに扉が左右に開く。
「まあ、その辺の事情はおいおい聞くと致しましょう。ひとまず、私は自分の仕事を遂行するだけです。ご協力頂けますよね、大佐」
ロジャーはカーネルソンに冷たい微笑を向けると、最初にエレベーターから降りた。護衛の兵士二人もロジョーに続いて降りていく。
カーネルソンはロジャーの華奢な背中を睥睨しながら、小さく舌打ちをした。
――舐めるなよ、若造。
そう思いながら、カーネルソンはエレベーターから足を踏み出した。
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