第10話

「これは陰謀だ。そうでなければ俺のこのダンディーさにあいつらは嫉妬したのだろう。むふふ、まいったな」


 シュミテッドは先刻から延々と妙な独白を繰り返していた。


「うるさいですよ、ショミテッド。耳障りなので止めてください」


 ついに頭にきたのか、隣で行儀よく正座していたリンゼが無表情で言い放った。


 東から顔を出した太陽はすでに天高くミゼオンの真上に昇っていたが、シュミテッドとリンゼがいる場所まではその光は届かない。


 ぴちゃん、ぴちゃんと、どこからか水滴が一定のリズムで滴り落ちている。


 二人が仲良く入れられていた場所は、ミゼオンの北東に位置していた駐留軍基地の留置場であった。


 湿った壁に清掃がされていない汚らしい床。鼻につく悪臭がたえず充満し、窓も設置されていないので日の光が差し込んでこない。


 成人男性が十人以上は入れるほどの広さがあったが、中にいたのはシュミテッドとリンゼの二人だけであった。まだ入れられて数時間しか経っていないが、数日もこの中で過ごせば確実に心身に悪影響を及ぼすだろう。それだけ環境的には最悪の場所であった。


 シュミテッドはリンゼに冷たい視線とともに行動を戒められると、床にゴロンと寝転がった。身体を半身にし片手で頭を支える。


「俺らこのままだとどうなるのかね」


 空いていたもう片方の手で腹を掻きながら、シュミテッドはリンゼに意見を求めた。リンゼは頑丈そうな鉄格子の向こうに視線を向ける。


 鉄格子の向こうには机に上半身を預けながら寝いっている兵士の姿があった。


 その兵士の職務怠慢な態度を見る限り、ここはそれほど厳しい罰を受けない軽犯罪者が入れられる場所だということが推測できる。


 リンゼは鉄格子からシュミテッドに視線を戻した。


「夜には出られるのではないでしょうか。ですがシュミテッドは軍人たちに直接危害を加えていますから最悪の場合死刑ということも……」


 リンゼは静かに瞑目すると、両手を重ねて拝むポーズを取った。 


「あほか。何でちょっと教育的指導を実行しただけで即死刑なんだよ。第一、朝っぱらから酒に酔っていたアイツらのほうが処罰される立場だろうが」


 シュミテッドは不機嫌そうにリンゼを睨みつけた――その直後であった。


 床からの反響音ですぐにシュミテッドとリンゼはわかった。二人は同時に鉄格子に顔を向けた。


「お前らか、私の管轄しているミゼオンで犯罪を起こした民間人というのは」


 葉巻を口に咥えたカーネルソンが鉄格子の前で仁王立ちしていた。左右には取り巻きの軍人が両手を後ろで組んで控えている。


「何だ、この人語を喋る豚は?」


 シュミテッドが思わず口にした言葉に、カーネルソンの表情が一変した。咥えていた葉巻をギリリと噛み潰し、鼻息は必要以上に荒いでいる。


「喜べ、現時点で治安妨害罪と傷害罪の他に私に対する侮辱罪も追加された。他に何か罪状を追加して欲しいものはあるか? 遠慮しなくてもいいぞ」


 このときのカーネルソンは実に嫌な顔つきをしていた。


 そして醜く超え太った体型がさらにその険悪さに拍車をかけていたが、どこかカーネルソンにはシュミテッドに対する劣等感のようなものも感じられた。


 容姿である。口は粗暴でも見るからにシュミテッドは美青年なのである。


 切れ長の目に理想的な高さをしていた鼻梁、さらさらに艶だった黒色の長髪、手入れが一切不要な滑らかな肌、すらりと伸びた長身、などのシュミテッドのすべてがカーネルソンの癇に障っていた。

 カーネルソンは怒りを込めながら言い放つ。


「お前らも不運だったな。見たところ旅行者のようだが厳戒体制を敷くオークション市の期間に犯罪を起こすとは」


 喋るたびにカーネルソンの顎についていた脂肪がたわわに揺れる。


 シュミテッドは思わず吹き出しそうになったが、口を手で塞いで何とか堪えた。相手の身体的特徴を非難して事態を悪化させることもない。


 だがそんなシュミテッドが取った必死の事態回避行動を、隣で正座していたリンゼがあっけなく無為にした。


 リンゼは人差し指の照準をカーネルソンの顎にピタリと合わせた。


 そして一言、


「揺れていますよ……顎」


 微妙な沈黙が流れた。


 その中で聞こえていたものといえば、留置場の隅に滴り落ちていた水滴の音だけであった。


 カーネルソンの怒りは頂点を迎えた。咥えていた葉巻を床に吐き捨てると、脇に携えられていたホルスターから銀色の銃を引き抜いた。大口径のリボルバーである。


 カーネルソンはそのリボルバーを何故かリンゼではなく、床に寝転がって笑いを堪えていたシュミテッドに向けた。今にも引き金が引かれそうな勢いがあった。


「おいおい、何で俺なんだよ」


 自分の眉間に大口径のリボルバーの照準が合わされているのに、シュミテッドの態度は冷静そのものであった。寝起き直後のように呑気に欠伸までしている。


「いい度胸だ。まさか本当に撃たないとでも思っているのか」


 カーネルソンは引き金にかかっていた指に力を込めようとした。だが、左右に控えていた兵士がすかさず止めに入る。


「大佐、おやめください!」


 一人はカーネルソンのリボルバーのシリンダーを押さえると、もう一人は身体を押さえつけた。二人の部下に行動を制止されたカーネルソンは怒り狂った。


「貴様らッ、私に対して意見するつもりか!」


 カーネルソンは二人の部下を振り解こうと身体を激しく揺れ動かす。その度に全身の脂肪がたわわに揺れ、シュミテッドはさらに笑いを堪えるのに一苦労であった。


 カーネルソンの身体を押さえていた兵士が耳打ちする。


「落ち着いてください、大佐。今は時期が悪いです。今日は本部から査察官が来る予定ではありませんか」


 耳打ちした兵士の言葉に、カーネルソンの身体が敏感に反応した。無駄についていた脂肪の揺れがピタリと止まる。


 さらに兵士が耳打ちを続ける。


「もし、ここで民間人を射殺してしまえば査察官に申し開きができません。どう考えても今からでは処理しきれません」


 兵士の言葉にカーネルソンは無言であった。


 すっかり忘れていたが、今日は本部から査察官が派遣されてくる日であった。若年ながらも相当な切れ者で、不正に対して容赦がないという噂は聞いている。


 だからこそ厄介であった。


 今まで行ってきた様々な軍務に違反する行為が暴かれては、自分の輝かしい経歴は一瞬で消滅するだろう。


 特にオークション市の件は本当にまずい。


 盗品を軍の倉庫に保管していたことが査察官に発覚されれば、それこそ本当に自分の首が飛びかねない。


 カーネルソンは長い鼻息を漏らすと、胸のポケットから新品の葉巻を抜き取った。先端を歯で千切り、口に咥える。


 だが、オークション市での裏取引の証拠はすべて巧妙に隠蔽している。いくら切れ物の査察官でも、こればかりは見抜くのは無理であろう。


 となると、やはりここで民間人を射殺するのは得策ではない。兵士の言うとおり、今からでは死体を隠蔽する時間がない。


 カーネルソンはズボンのポケットから取り出したジッポライターで葉巻に火をつけると、手にしていたリボルバーをホルスターに仕舞った。


「ふん、いい気になるのも今のうちだ。取調べのときは覚悟しておけ」


 カーネルソンは捨て台詞と紫煙を同時に吐くと、先ほどまでは居眠りをしていた兵士に「厳重に見張れ」と命じ、留置場を出て行った。


 鉄格子を通してカーネルソンを見送ったシュミテッドは、見張りの兵士が再び居眠りを始めたことを確認すると、大きなため息を漏らした。


「まったく、ヒヤヒヤしたぜ」


 表情にこそ出さなかったが、実はシュミテッドの背中や腕には冷たい汗が大量に滲んでいた。大口径の拳銃で至近距離から命を狙われれば、どんな屈強な男でも身が震えるほどの恐怖を感じるのは当たり前だろう。


 しかし、シュミテッドはカーネルソンが握っていた拳銃など微塵も恐れてはいなかった。恐れていたのはもっと別のことである。


 シュミテッドは床に胡坐をかいた。目線は隣にいたリンゼに合わされている。


「いいか。世の中にはあんな人間ばかりじゃない。イエラとかもっとマシな人間がたくさんいるだろう。だからな……落ち着け」


 シュミテッドは胡坐の上で頬杖をつくと、留置場の天井から滴り落ちていた水滴の音が鳴り止み、すべてを無にするような静寂が訪れた。


 まさにその瞬間である。


 居眠りをしていた見張りの兵士が突然、上半身を預けていた机の上から跳ね起きた。強烈な悪夢を見たのか、首を左右に激しく振って動揺している。


「おいッ! いったい何があったッ!」


 見張りの兵士は血相を変えてシュミテッドたちに近づいてきた。鉄格子を両手で握り、留置場の中を確認する。


「ああ、何でもない何でもない。気にせず職務を続けてくれ」


 シュミテッドはあっけらかんと見張りの兵士に手を振った。


「ふざけるなッ!」


 見張りの兵士はシュミテッドを一喝した。しかし、微妙に声が震えている。


 見張りの兵士は悪夢を見て起きたわけではなかった。それどころか、自分が何の苦労もせずに昇進をする良い夢を見ていたところに、いきなり巨大な氷に亀裂が走ったような異様な音が響いてきたのである。とても寝ている場合ではなかった。


 見張りの兵士の目線はすぐにリンゼに向けられた。そして、見る間にその表情が青ざめていく。


 リンゼの後方にあった頑丈なコンクリートの壁には、銃火器でもここまで抉ることはできないと思うような、六本の巨大な亀裂が縦に走っていた。

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