第6話
「よお、そこゆくコート服の旦那。よかったらうちの品物見ていってよ」
大通りからやや離れた位置に立ち並ぶ露店街の一角。生活用品を主に扱っている店の店主らしき人物は、行き交う人々の中から一人の人間に元気よく話しかけた。
「ん? 俺のことか?」
シュミテッドは自分に指差しながら声がしたほうに振り向いた。
「おお、そうだよ。そんな暑苦しい格好で街中歩いてるなんざアンタくらいしかいねえだろ。それより、どうだい。よかったら見ていってくれよ」
店主はシュミテッドを呼び寄せると、店の棚に並んだ商品の説明を始めた。
「これがかの有名な四蔵法師が使用したとされる百年以上前の西国のハブラシ。そしてこれが二百年以上前に東国の東太后が使用したとされる極上の石鹸だ」
額にねじり鉢巻を巻いた店主は、歯並びが悪い黄ばんだ歯をニカッとさせた。
「いや、こんなもんいらん。ってか嘘くさい」
シュミテッドは品物を手に取りまじまじと物色したが、どう考えても買う価値のある代物とは思えなかった。それでも値札には結構な希望金額が記されていて、どんな人間が買うのか少し興味がでたのも事実だったが。
「何をしているのですか、シュミテッド」
品物のインチキさにシュミテッドは呆れていると、後ろから声をかけられた。
「お、リンゼ。さっきからどこをほっつき歩いてたんだ。随分探したんだぜ」
シュミテッドの後ろにはメイド服姿のリンゼがいた。相変わらずの仏頂面であったが、今日は何気に機嫌が良さそうな表情をしている。
「何かいいことでもあったのか?」
シュミテッドの問いかけにリンゼがくすりと笑った。
その手の属性の人間から見れば、愛くるしいとか可愛いとか世迷言をほざくかもしれないが、長年連れ添っているシュミテッドには悪寒と鳥肌が立っただけだった。
同時に悪い予感も訪れた。
シュミテッドが品物を物色していた露店の店主は、リンゼを見るなりまるで長年のお得意様が訪れたように手を揉み始めた。
「これはこれはリンゼさん。またお買い物ですか? どうぞどうぞ、たっぷりと見ていってくださいよ」
店主の何気ない一言にシュミテッドは顔をしかめた。
「また?」
シュミテッドは手に持っていた品物の値札にすばやく目を通した。すると、何人かの名前が書かれている値札の中によく知っている人物の名前が書かれていた。
リ・ン・ゼ、と。
「これはいったい?」
値札を見ながらワナワナと震えているシュミテッドに、リンゼはどうしたのかと首を傾げていた。
シュミテッドはすかさず他の品物の値札にもチェックを入れる。あった。店の台に陳列してある商品の八割には、「リンゼ」と書かれた値札がぶら下がっていた。
「聞きましたか、シュミテッド。これは期限時間までに一番下に名前が書かれている人物が商品を獲得できる仕組みだそうです」
そこまで説明したリンゼの口をシュミテッドはすかさず塞いだ。そしてすぐに店主に言い放つ。
「おい、オヤジ! このリンゼと書かれた商品すべてを却下してくれ!」
店主は首を左右に振った。
「おいおい、慌てなさんな。何も値札に書かれたからって今すぐ購入ってわけじゃねえ。期限時間までに他の客が来て名前を書けばその商品はそいつの物さ」
口ではまともなことを言っているようにも見えるが、その目には「あきらめて買え」という炎の揺らめきを感じた。
シュミテッドは大きく深呼吸すると、店主の耳をつまんで口を近づける。
「却下だッ!」
店主は身体ごと後ろに倒れた。あまりの近距離からの大発声に耳を押さえながら呻いている。相当脳内にダメージを追っている証拠であった。
そしてその隙にと、シュミテッドは懐から一本のペンを取り出した。口でキャップを外し、ありとあらゆる商品の値札に書かれているリンゼの名前を塗り消していく。
「何をなさるのですか、シュミテッド」
後ろでオロオロとしているリンゼを無視し、シュミテッドは作業に没頭した。
およそ三十六秒後。
値札に書かれていた「リンゼ」の名前は真っ黒に塗りつぶされた。オークション市の規約には入っていないが、ここまですれば購入は不可であろう。
「これでよし」
シュミテッドはペンのキャップを閉めると、安堵の息を漏らした。そしてすかさず振り向きリンゼを睨み付ける。
そこには顔を下に背け、がっくりと肩を落としているリンゼの姿があった。
だがシュミテッドは千分の一も同情はしない。このリンゼの性格を骨の髄まで把握していたからだ。
外見からは絶対に見えない極度の浪費癖。それがリンゼの正体であった。
とにかく気に入った品物を見れば片っ端から手を伸ばす。たとえ金がなくて今日の食費や宿代さえ払えなくなるというときにもお構いなしにである。
しかしリンゼには何が悪いのかが根本的にわかっていない。考えると仕方がないことなのだが、だからこそ多少本人には厳しくても教えなければならない。
金がない人間は商品を購入することができない。これはいくら時代が変わっても人間社会の間で脈々と受け継がれている常識中の常識である。
シュミテッドは両腕を組みながらリンゼに言い聞かせた。
「リンゼ、お前の極度の浪費癖は嫌というほど俺は知っている。だがな、今回ばかりは見逃せん。何故なら、今の俺たちには金がない。厳密に言うとイエラの親父さんから幸運にも少しばかりの路銀を頂戴したが、それでも極貧状態には違いない。いいか、人間社会で生きていくためにはどれだけ金と付き合うかが重要に……ってあれ?」
気がつくと、シュミテッドの目の前にいたリンゼが消えていた。一瞬、風にでも攫われたのかと思ったが、周囲を見渡したらすぐに発見できた。
リンゼは何やらもう他の店で品物を物色し始めている。それも今度の店は生活用品どころか、高級そうな宝石を扱っているような類の露店であった。
いかん! そうシュミテッドが思った矢先、リンゼの右手が優雅に動いたのが見えた。手にあるのは間違いなくペンであろう。
シュミテッドは地面を蹴って疾走した。
黒い巨体が暴風を纏い、目的の場所までの距離を一気に縮める。途中何かに接触したような気がしたが、今はそれでころではない。下手をすればなけなしの金が半日も経たずに財布から飛んでいきかねない状況である。
「ちょっと待ったーッ!」
シュミテッドはリンゼのペンを持つ手をしっかりと摑んだ。
どうやら間一髪で間に合ったようである。リンゼが購入しようとした商品の値札にはまだ名前は書かれていない。
腕を摑まれたリンゼと、シュミテッドの視線が綺麗に重なる。
「シュミテッド。こんな朝の早くから人目も振らず私で性欲を満たすのですか? そういう人は鬼畜と言うのですよ」
シュミテッドのこめかみに浮かんだ血管がピクピクと痙攣した。
「お前、いい加減にしろよ。そして人の話をきちんと聞いて、そのあるかどうかわからない脳みそに刻み込んでおけ。さっきから俺たちには金がないと言ってるだろう」
「ですがお金がないのは年中のことなのでは?」
「だからそれはお前の浪費癖のせいなんだよ! さっさと自覚して改善しろ!」
宝石店の前で口論を開始したシュミテッドとリンゼ。お互いの主張を断固として譲らない二人の戦いに周囲にいた人間たちが興味を示したころ、別の意味でシュミテッドとリンゼに興味を示した人間たちがいた。
「おい、そこのノッポとメイド!」
耳の奥を突くような怒声が響くなり、周囲にいた人間たちがざわつき始めた。
シュミテッドとリンゼに声をかけたのは、深緑色の軍服をきた駐留軍の人間たちであった。人数は全部で三人。その顔つきからは品性というものがまるで感じられない。襟元を大きく開き、手には酒瓶が握られている。
そのうちの一人は何気に肩をさすり、シュミテッドに対して怒りを孕んだ鋭い視線を浴びせている。
だが当の本人であるシュミテッドはまるで気づいていない。自分の目の前にいるリンゼに夢中で説教をしている。
「てめえッ! いいからこっちを向きやがれッ!」
三人の軍人のうち一番体格のよかった男は、手にしていた酒瓶を地面に投げて叩き割った。盛大な破裂音が響くと、割れた酒瓶の破片があちこちに拡散する。
「何だ?」
その音でようやく軍人たちに気がついたシュミテッドは、説教の途中であったこともあり、露骨に眉をひそめながら軍人たちに視線を向けた。
シュミテッドの視線の直線状にいた軍人たちは朝っぱらから酒に酔っているらしく、顔は真っ赤に紅潮しており、微妙に足元もふらついていた。
「なんだこの珍獣たちは?」
思わず声を出してしまったシュミテッドだったが、それも無理はなかった。軍人たちの顔つきは人間というよりもむしろ動物に似ていたからだ。
形容するならば、シュミテッドの目線から右側にいた手足の長い男は、猿。
真ん中で一番体格のよさそうな口髭の男は、熊。
そして、左側でおとなしそうにしている細目の男は狐のような顔をしている。
「おい、きさまら! この街を管轄している駐留軍の我らの肩にぶつかっておきながら素通りとは許せん。それに加えて往来での乱闘騒ぎとはますますゆるせん。即刻逮捕だ!」
「は?」
シュミテッドは軍人たちの言葉の意味がわからなかった。
「あのな、軍人さんよ。何があったか知らんが妙な言いがかりは止めてくれよ。それに俺らは乱闘なんてやってないぜ。こいつは俺の連れで……」
そこまでシュミテッドが軍人たちに弁解した瞬間、周囲にいた人間たちは悲鳴やら嬌声を上げながら後ずさった。
「おいおい、正気かよ」
呆れた表情で頭を掻いたシュミテッドの目の前には、懐から拳銃を取り出した軍人たちがいた。
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