ちよこれいと大作戦 AFTER STORY
それから、一週間後のことだった。
第七執務室にある、ソファセットにて。
――鞍馬手織は、目の前のできごとに集中できないでいた。
今は、だいじな話をしている。来週からはじまる粛清案件にかんする説明だから、これよりもだいじな話はないというくらいだ。
担当粛清官は、シルヴィ・バレト警肆級。
該当組織の規模からして、先輩粛清官たちとの合同案件となっていた。その意味でも、普段よりも気合いを入れるべきだといえる。
——にもかかわらず、集中できていない。
その理由は、となりに座るライラが、べつに相槌を打つべき場面でもないのに「ハイ! ハイ!」とわかっているのかいないのか不明な返事をしているからでも、目の前に座るシンが、隠すつもりもなくフツーに眠っているからでもなかった。
なにを隠そう、本日がバレンタインデーの当日だからであった。
「——以上よ。各位、なにか質問は?」
プレゼンターのシルヴィが、そう締めくくった。
われにかえったテオリは、あわてて手元の資料を確認した。話は……聞いていたはずだ。そこまで取り立てて難しい計画があるわけでもないから、疑問はない。
おそらく。
たぶん。
「どう? 鞍馬くんは」
シルヴィが気にしているのは、テオリだけのようだった。
それも無理からぬこと。この段階のライラは、かりに話を理解していようといまいと、結局当日には忘れていることを、いよいよシルヴィも骨身に染みて理解してきたといったところか。
「だ、だいじょうぶっす」
なぜだか周囲を気にして、テオリは答えた。現在、指揮官代理のシーリオは席を空けており、巨大な椅子はからとなっている。
その机のうえには、なにも置かれていない。
チョコレートのたぐいは、少なくとも目にうつる場所には。
——俺はなにを気にしているんだ。
こんどこそわれにかえって、テオリは自分の頬をぴしゃりと叩いた。
そのタイミングで、シルヴィが言った。
「では、本日はこれにて解散――だから、起きて。チューミー」
「ん、むぅ……?」
「ごめんなさいね。このひと、昨日は現地調査で外に行ってもらっていたから、疲れているのだと思うの――ほら、起きてってば、チューミー。渡すものが、あるから! あなたの好きな甘いものよ!」
甘いと聞いて、シンがふにゃりと起き上がった。
寝癖のついた髪を、手首でわしわしする。動物かよ、とテオリは思った。
「甘いもの……食べる……」
「先輩! 自分には、自分にはないのでありますか!」
「もちろん、ライラさんのぶんもあるわ。でも、ちょっと待っていてね」
今はこのひとを倒さなきゃいけないから、とシルヴィは小声で言った。
倒すのかよ。
シルヴィが、どこからか袋を取り出した。
なかからあらわれたるは、三つの箱。
そのひとつを、シルヴィは空けた。
「まずはこれよ。一番街の名店フレイルズの、冬季限定の生チョコレート。少し変わった製法で、あえて生クリームを使っていないの。でも、そうとは信じられないなめらかさと、深みのある味わいがあるのが特徴よ」
小皿のうえにチョコレートが載せられる。ココアパウダーが振ってあるトリュフ型のチョコレートを手に取ると、シンは眠たげなまなこのまま口に放り投げた。
もこもこと咀嚼し、小さな喉を膨らませる。
「甘くてうまい」
——それだけかよ。
テオリの内心のツッコミをよそに、シルヴィは満足げにうなずいた。
よだれを垂らして羨ましがるライラを気にせず、次の箱を開ける。
「お次は、七番街の新鋭のお店、ノクターンの商品よ。これはまだ売りに出ていないそうなのだけれど、わたしが店長さんに無理を言って作ってもらったの。商品名はシルクチョコレート――その名のとおり、絹のような質感をしたザッハトルテで、アクセントのアプリコットジャムが最高なの。食べてみて」
切り分けられたザッハトルテを、シンはフォークでぶっ刺して、ほとんどひとくちで食べた。
テオリは目を疑った。俺の見間違いか? あの小さなくちにどうやっておさまった?
シンはもごもごと噛み、こくんと飲んだ。
「うん――甘くてうまい」
——感想が変わってねえ……。
テオリは冷や汗をかいた。が、当のシルヴィはまったく気にした素振りはなく、やはり満足そうになんどかうなずいた。
シルヴィが最後の箱を開けた。
「次で最後よ。これは偉大都市一と名高いパティシエが調理したものなの。ふたつの味の異なるチョコレートが接合されていて、同時に食べることによって特別な味わいになるという設計みたい。腕によりをかけて作っていただいたものなの、食べてみて」
——例のチョコレートだ。
さしものテオリも、まじまじとどんな代物か覗いてしまった。
シルヴィの説明のとおり、ふたつのチョコレートが合体したような見た目をしていた。ブラックチョコレートとホワイトチョコレートが手を組んだかのようだ。
その造形もまた凝っている。
これは、黒い犬と白い犬が二匹並んでいるデザインだろうか?
ドクター・レイチェルの技術力はさすがのものだ。手作業でこんなに精緻なデザインに仕上げるとは、なかなか信じられない……。
チョコレートを手に取ると、シンはまじまじと眺めた。
「なんだか、俺とお前のマスクみたいだ」
「そうね……偶然ね」
「そうか。偶然なのか」
ひょいと、シンはあっさり口に放りこんだ。
思わず、テオリは声をあげそうになった。超一流の素材に、超一流のパティシエが作った、高級どころの騒ぎじゃないチョコレートが、今の一瞬で消えてしまった!
ごくりと固唾を呑む。
本物のチョコレート――いったい、どんな感想が飛び出るのか……。
「これは……!」と、シンが赤い目を大きく開いた。
「これは――甘くてうまいな」
——全部同じ感想だーーー!!!
テオリは無言の大声を出した。
これは……果たしてだいじょうぶなのか? そう不安に思って、テオリはシルヴィの顔色を窺った。あれだけ努力して、今の一瞬で終わってしまったが……。
「——そう。よかった……」
だが、シルヴィはどこまでも満足げだった。
安堵するかのように、深く息までつく。
「ちなみに、どれがいちばんおいしかった? チューミー」
「二番目のやつ」
「いやいやいや、三番目だったんじゃないっすか!? シン先輩、よく思い出してみてください、最後のやつがいちばんだったんじゃないすか!?」
「うーん……どれも甘くてよかったが、しいていうなら二番目だな」
かたくなにそう主張するシンにテオリは焦ったが、それでもシルヴィは動揺しなかった。冷静にメモ帳を取り出すと、「来年の参考にするわ」となにかを書き込んでいく。
「よし――。それなら、きょうのところは解散しましょう」
「そうか。なら、俺はもう少しここで寝ていく」
「ちゃんと上に戻って寝たら?」
「ここのソファがいちばん寝心地がいい。それに、今はうるさいメガネもいないからな」
ならいいけど、と残して、シルヴィはとっとと部屋を出ていこうとした。
——このまま解散でほんとうにいいのか?
そう疑問に思うも、テオリがなにも言えないでいると、
「——そうだ」と、シンがむくりと身体を起こした。
「シルヴィ。どこかでお返しを買うべきだと思うのだが、俺にはお前がもらって嬉しいものがわからない。だから、次の休暇に、いっしょに出かけて選んでもらいたいんだが……かまわないか?」
めずらしく、シルヴィの動きが止まった。
返答も、ずいぶんと遅い。
ようやく振り向いて、なにかを言おうとしたとき、
「それはいいアイデアでありますね! それなら、ぜひみんなで――」
と水を差しかけたパートナーの口を、テオリがなんとか止めた。
驚いた様子のシルヴィは、なにはともあれシンのほうを向き直すと、
「ええ。それなら、次のおやすみのときに行きましょう」
とだけ答えて、足早に執務室を出ていった。
廊下に出ると、ライラがぷんすかと怒った。
「なにするでありますかー! レディの口を突然ふさぐだなんて最悪でありますよ!」
「わりぃな。突然お前の口を塞がなきゃ死ぬ病気に罹ったんだ」
「うそつきバカテオー!」
「安心して、ライラさん。きちんと聞こえていたから。全員の休日はなかなか合わせられないけれど、わたしが空けられる日なら、いっしょに買い物に行きましょう」
「やったー、行くであります! お買い物、お買い物であります!」
たったかとスキップを踏んで先を行くライラに、テオリは脱力した。
自分勝手もいいところだ、あいつ、とつぶやく。
「先輩。なんか、すんませ――」
いつものように謝ろうとしたとき、テオリの言葉が止まった。
「——ハァ、緊張したぁ……」
扉に背を預けて、シルヴィが胸をおさえていたからだった。その顔は蒸気しており、両耳は真っ赤に染まっていた。
これまで、どんな状況でも――それこそ生き死にの懸かったピンチのときでも、シルヴィがそのような表情をしているところは、みたことがなかった。
シルヴィは、潤っているようにさえみえる両目をつむると、長い指先で耳を覆った。そうすると、まるで魔法のように、肌は普段の白色に戻っていた。
「そうだ。鞍馬くん、これを受け取ってもらえる?」
シルヴィが大きめの箱を手渡してきた。
なかを覗くと、チョコレートの焼き菓子が入っていた。やわらかな雪のような白いパウダーが振りかけられたガトーショコラだ。それと、さきほどシンに渡していたのと同じもの――無論、本物のチョコレートを除いて――が入っていた。
「そのガトーは、わたしが焼いたものなの。なんども試作したから、きっと味は悪くないと思うわ」
「せ、先輩の、手作り……!?」
「ええ、よければ食べてみて」
テオリは、自分の感情がわからなくなった。
嬉しくはある――が、それ以上に、申し訳なさがあった。
「なんか、受け取りづらいっすよ……。俺、結局ぜんぜん役に立てなかったし」
「なんのこと?」
「ほら、前のアレっすよ。せっかく先輩が頼ってくれたのに、クイズも追跡も、なんもできなくて。俺、いた意味なかったじゃないっすか」
「なにを言っているのよ」
シルヴィはほのかに笑うと、歩き出した。
「鞍馬くんがいてくれて心強かったわ。わたし、後輩がいるとかっこつけて頭が回るようになるタイプだから、いっしょにいて話を聞いてくれるだけでも助かったし――それに、ついさっきだって役に立ってくれたでしょう。これからも頼りにしているから、よろしくね?」
そう言って、ウインクをひとつ残す。
おそらく先を行ったライラに同じ物を渡しに行くのだろう、シルヴィは進んでいってしまった。
そのおかげで、テオリは自分の反応をみられずに済んだことを、あのいけ好かないパートナーに感謝しなければならなかった。
そのようにして、その年のバレンタインは、つつがなく終了した。
さらに少し日を跨ぎ、部下への慰労と称してボッチ・タイダラがかぼちゃケーキを持ってくるパーティ騒ぎはあったが、それはまたべつの話である。
その日の夜。
自宅で、テオリは箱のなかを眺めていた。
なんどもなんども迷って、ようやく、ガトーショコラの先端を切り、口に入れた。
先輩の表情を思い出す。自分に向けられることは生涯ないであろう、その顔を。
「……少し苦ぇな」
想像よりもビターな味をかみしめて、ひとりそうつぶやいた。
楽園殺し外典: Happy Days 呂暇郁夫 @iquo_loka
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