命の水は微笑まない Ⅲ

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 アリエッタ・ルクタ。

 20代なかば。女性。


 髪型、赤色の癖っ毛を二つ結び。

 悩みはたくさんあるが、最近もっとも気にかかっているのは結婚について。

 いい相手もいないし、職業柄、まともな男からは恐がられることが多い。


 その職業とは――本職の粛清官。

 それも、泣く子も黙る厳戒監獄〈工獄〉の、実質的な責任者を任されている。


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 偉大都市の夜を、車がぶんぶん走っていた。


「あんたって、車好きよねー。見かけによらずっていうか」

「見かけは知らないが、否定はしない。拡張性があって、長く楽しめる趣味だ。私の場合、はやいうちから運転の練習をしていたから、それで自然と興味を持ったというのもあるが」

「……あんたって、シュテルン系列の会社のボンボンでしょ? なんで運転なんかする必要あったのよ」


 運転席で、シーリオは口を滑らせたというような顔をした。

 アリエッタは、またこいつなんかミスったなという顔をする。

 初めて顔をあわせてから十年弱になるが、このシーリオという男が、なにか大きな隠しごとをしているのはあきらかだった。

 もっとも、そのあたりツッコむと本気で困るのを知っているため、深追いはしないのだが。


 現在、ふたりが乗っているのはシーリオ所有のスポーツカーである。

 結局、仕事が片づいたのは外が暗くなってからだった。が、それでも日が回らないうちに解決したのは快挙といえた。

 アリエッタは、自分が工獄から本部付きに戻っても、すぐに一線級の活躍ができると再確認できて、満足げだった。


「で、どこ向かってんのよ、これ。あたし、焼き鳥がいいなぁー。おでんもいいかも。熱燗でキュッとやるとか、どう?」

「きみの好み、それほど遊郭風だったか?」

「……あれ? なんか、きづいたらそうなっていたわね。警壱級によく連れていかれたからかしら」

「まあ、言えばなんでも出してもらえる場所だとは思うが……とにかく、もう着く。ここだ」


 あまり飲み屋がある場所には見えないなぁ、とガラス窓の外を見ていたアリエッタは、きゅうに車が停止して驚いた。

 ひとりでに扉が開く。

 アサクラのロゴがついたドレスマスクをつけた男が開けてくれたのだった。


「これを頼む」と言って、シーリオが鍵を相手に渡した。

 あきらかにホテルマンという風体の男に。


「って、ここホテルじゃないのよ!!!!!!!!」

 

 頭上にそびえたつビルを見上げて、アリエッタは大声を出した。


「あ、あ、あんたなに考えてんの⁉ どういうつもり⁉ あ、わかったあたしがこのまえ酔い潰れたときに結婚の話したからってイケると思ったんでしょでもあいにくだけどあたしはそーいう安い女じゃないからね!!!!」

「きみこそなにがなんだかわからないのだが……」


 マスクのなかで喚くアリエッタに、首をかしげるシーリオ。

 そのふところから、一通の封筒を取り出した。


「じつはこのあいだ、アサクラ社から株主優待のチケットが届いたのだ。このヘブンリー・ホテルの最上階のバーに招待という内容で、とくに行くつもりはなかったのだが、せっかくならばこの機会に使ってもいいかと思い……なにか問題があっただろうか」

「ふ、ふぅん。そういうこと……なら、いいけど」

「けど?」

「いいけど、まぎらわしい!」


 ガツンと脛を蹴って、アリエッタはずかずかとホテルに入っていった。

 なぜ蹴られたのだろうと困惑しながら、シーリオもあとをついていく。



 ――最上階である。

 偉大都市に、ラグジュアリーと評されるホテルは、八つある。毎年、連盟企業のガクト社が年始に刊行するハイブランド専門誌が、中央街の住民たちが参考とするべき最新の最高水準を規定するのだ。

 そこで一流と認められたブランドのなかでも格付けがおこなわれるため、同じアサクラ系列のホテルであろうとも、仲間内に強いライバル視と競争が起きて、切磋琢磨して事業が成長していくという仕組みなのだが、なにはともあれ。


 このヘブンリー・ホテル、今年の評価は堂々の一位であった。

 とくに、新設した天空のバー〈バベル〉は、その内装から機能からサービスまで、アサクラの誇りを詰めこんだ最上質のものとして大評判である。

 

 その証拠に、そこは

 黒が基調の、モダンシックなバーは、フロアごと、ゆるやかに回転していた。

 偉大都市の夜景が、そのままの意味で360°見渡すことができる。

 その関係上、もちろん人気なのは窓側のソファ席だった。


 が。

 ふたりが選んだのは、カウンターであった。


「わざわざあんたと向き合って飲んでもねえ」

「私はどちらでも構わないが、しかし少なくとも、私よりも景色に興味のある客が座ったほうが公益といえるだろうな」


 透明の液体をひとくち含んで、シーリオは言った。

 ジントニックである。

 付き合い以外で酒を飲むことはないが、アルコールは嫌いではなかった。とくに蒸留酒の炭酸割りがすっきりしており、好みだった。


 対して、ぶすっとした顔でアリエッタが飲んでいるのは、モスコミュールである。

 こちらはストレス解消にはもっぱらアルコールという人種であり、かつ、とくに好き嫌いはなかった。しいていうなら、度数の強いものである。

 モスコミュールなのは、そこでグラスを入念に磨いているナイスミドルなバーテンにおすすめを聞いたら出されただけで、じつはもう少し強めの酒が欲しいところだった。


「つまんない受け答え! そういうときはね、嘘でも自分は向き合いたかったって言うのよ」

「……私に言われて嬉しいのか?」

「嬉しくないけど、言われないのはムカつく! なんだか女扱いされていないみたいじゃない。げんに、きょうも配慮に欠けているし」


 百人いたら九十九人がめんどうな女だなと思いそうな発言だが、話し相手であるシーリオは、そういう部分をほとんど気にしない男であった。


「後学のために聞いておきたいが、どういうところがだろう。自分としては、ここまではとくに問題がないと判断しているのだが」

「突然こんないいお店に連れてくるっていうのがダメね。あたし、ちっともおしゃれしていないし。こういうところはきちんとしたドレスで来たいでしょ。それに、見てよこのワンピ、ちょっとよれてる」

「ふむ。よく似合っているし、きれいだと思うが」

「…………こういうところ、ほんとにムカつくわ……」


 天然のジゴロはタチが悪い、とアリエッタはつぶやいた。

 そしらぬ顔で会話を盗み聞きしていたバーテンも、それには同意であった。


「すみませーん。おかわりください」

「はい。同じものを、もう少し度数を強めにして、でしょうか」

「えっ。どうしてわかったんですか」


 微笑だけで受け流し、配分を再調整した一杯を差し出すバーテン。

 受け取り、さっそく口をつけるアリエッタ。


「んー、おいしー」

「ペースがはやくないか?」

「ふん。いつもこんなもんよ」

「きみを送っていくのはやぶさかではないが、また酔い潰れられると困るというのが本音だ」

「失礼ね! 潰れないわよ、こんな程度じゃ」


 ごっごっと飲み干していくアリエッタを、シーリオは不安げな目線で見た。

 自分自身は、節度を持ったペースで飲酒を楽しむことにする。


 なお、偉大都市においては、飲酒運転は罪にならない。ただし、事故を起こした際にアルコールが検知されると、責任が重くなるという塩梅だ。

 シーリオは標準以上にアルコールに強いが、かといえ、まったく油断のない飲み方を心掛けていた。


「ていうかさー、実際のとこ、あんたはどうやって耐えているわけ?」

「なににだ?」

「そんなの、好き勝手する上司に決まってんでしょ。うちんとこのエロ上司の狼藉っぷりなんて、わざわざ言われなくても聞いているでしょ? 昨日なんかね、昼間っから遊郭にいたのよ、遊郭! それも、今月だけで四回目!」

「心中察するが、私の部署とは悩みの質が違うと言えるだろうな。彼は離席していることは多いが、ある意味ではだれよりも仕事熱心だ。彼がもっともこの社会に貢献していると私は思っているし、現在の職務は適材適所だと考えている」

「……あいかわらずの信者っぷりね、あんた」


 シーリオからすれば、どう思われても構わないことだった。上官と自分の結びつきは、就任するよりも以前の話に遡るが、それをひとに話したことはなかった。

 なお、こう見えてもふたりは根からのプロ。特定のワードを使うのは避けて、もしも会話を聞いている者がいても、職業を察されないようにしていた。


「やっぱ、仕事の話はやめやめ。共感してもらえる愚痴ならともかく、そんなこともなさそうだし。すみませーん、おかわりください。べつのおすすめってあります?」

「……わかってはいるだろうが、ほどほどにしておいてくれ」


 あすも互いに仕事だ、というシーリオの言葉は聞き流された。

 一方は早く、一方は遅く、それぞれのペースで、静かにグラスの中身が空けられていく。

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