第9話 東京へ

 体調に変化がなかった千花は次の日から通常通り学校へ行くことが許された。

 恐る恐る校舎に入った千花だが、異変は一切なく、教師も生徒も人間のままだ。

 1つ変わったことと言えば。


「え!? 安城先生帰ったの!?」


 教室に着き、春子と雪奈の安否を確認した千花だが、2人からの衝撃的な発言に思わず大声を出してしまう。


「うるさ……千花、あんたやっぱり安城先生に気でもあったの」

「一番先生と関わってたのは千花ちゃんだもんね。別れの挨拶くらいできれば良かったね」

「いや、そういうわけじゃ」


 聞けば邦彦は昨日の昼、車で東京に帰ったらしい。

 滞在が短いことはわかっていた千花だが、まさか1 週間で帰るとは思わなかった。


「仕方ないよ千花。あんたはまだ若いんだからいい男は見つかるって」

「何様のつもりよ」


 変な勘違いをしている春子を睨みつけ、千花はバッグに入れたままの手紙を取り出す。


(住所とか電話番号とか書いてないよね。これじゃあ文句どころか光の巫女のことももう聞けないし)

「それにしても良かったね千花」

「何が?」

「頭に異常がなくて。来週の修学旅行、行けなかったら悲しいじゃん」

「ああ……え?」


 春子の言葉を適当に聞き流そうとしていた千花だが、何かに気づいたように急に彼女に顔を近づけた。


「わあ!? 何よ千花」

「どこ」

「何が」

「修学旅行、どこに行くんだっけ」


 千花に聞かれ、春子は目を丸くしながら答える。


「と、東京だけど」


 答えを聞いた千花は狂ったように何度も頷く。

 そして呆然としている春子と側で見ている雪奈を置いて一人拳を作ってガッツポーズをとる。


「行けるじゃない。東京」


 何故か喜んでいる千花を見て、春子は顔を引き攣らせる。


「あんた、やっぱりどこかで頭打ったでしょ」


 春子の声は虚しく、千花には聞こえなかったようだ。




 1週間というのは思った以上に短く、普通に授業を受けたり、荷造りしたりと忙しなく動いている間に旅行の時間が来た。


「春子ちゃんお菓子食べる?」

「やった。いただきます」


 新幹線の中で春子と雪奈は教師に内緒で菓子を交換していた。

 他の生徒も行っているので暗黙の了解でいいだろう。


「千花ちゃんも食べる?」

「無理だよ雪奈。千花、先週からおかしいし」


 春子は隣に座る千花を横目で見る。

 千花は険しい顔で黙り込んだまま修学旅行のしおりと手紙とを眺めていた。


「千花? お菓子は?」

「食べる」


 表情を崩さないまま千花は一言答えて手を雪奈の方へ差し出す。


「あんた体がなくなっても食い意地だけは残るんじゃない?」

「何の話?」


 雪奈からチョコをもらった千花がそれを口に含んでいる間に、春子がこっそりと手紙を覗く。


「何これ。悪魔? 光の巫女?」

「!!!」


 春子に手紙の内容を読まれ、千花は咄嗟に手紙を隠す。


「見ちゃいけないものだった?」

「い、いや? えっと、ちょっとなぞなぞみたいなものであって。それがわからなくてずっと見てたというか」

「ふーん?」


 疑心に染まった声で返す春子に愛想笑いを浮かべる千花は心の中で冷や汗をかいた。

 推測ではあるが、光の巫女については黙っていた方がいいのではないかと考えている。


「そ、それよりさ、今日どこ行くんだっけ」

「あれだけしおりを読み込んでおいて覚えてないの? 今日と明日は全体で観光。3日目は班毎に自由行動で、4日目に帰るんでしょ」

「そうだったね」


 つまり千花の勝負所は3日目。

 自由行動の時にこっそり抜け出し邦彦の元に向かう。

 6人の班で幸い春子と雪奈が同じだ。2人に事情を話せば何とかいけるかもしれない。


「ねえ春子、雪奈。1つお願いがあるんだけど」

「ん?」

「どうしたの千花ちゃん」


 善は急げだとばかりに千花は2人を説得し始める。


「自由行動の時さ、ちょっとだけ抜けてもいい?」

「なんで?」


 春子の純粋な疑問に千花は体を強張らせる。理由を忘れていた。


「えっと、親戚が」

「親戚?」

「そ、そう! 東京にいて、旅行の話したら1回会いたいねって」

「険しい顔してたのもそのせい?」

「そうそう!」


 千花の苦し紛れの説得に2人は目を合わせた後仕方ないと言うように首を縦に動かした。


「ちょっとだけだよ」

「ありがとう! 愛してる2人とも!」

「近寄るな気持ち悪い」


 千花が感謝を込めて抱きつこうとするが二 2人は軽々と拒絶する。

 千花の腕は空を切った。


 2人の了承も取れたということで修学旅行2日間は気軽に過ごすことができた。

 折角東京に来たのだから楽しまないと損だ。

 そして3日目。

 点呼が終わるとすぐに班行動だ。

 千花の班はいつもの春子と雪奈、そして男子が3人。


「ねえ千花ちゃん」

「何雪奈」


 千花がいつ抜けようか考えていると、隣にいた雪奈が耳打ちしてきた。


「千花ちゃんの親戚の人ってここから近いの? あんまり遠いと集合時間に間に合わないよね」

「あ、ああ大丈夫。その人は先生だし、学校に行けばいいの」

「へえ。なんて名前の学校なの?」

「えっとね……」


 千花は名前を出そうとしてその場に固まる。

 千花の姿に雪奈は首を傾げる。


「どうしたの千花ちゃん」

「う、ううん! と、とにかくここから近い高校だよ」

「そうなんだ。あ、春子ちゃん、こっちだよ」


 遠くにいる春子の元に向かう雪奈を横目に千花は顔を引き攣らせる。


(安城先生のいる高校、忘れた……)


 確か初回の授業で言っていたはずだ。

 しかしその時は遅弁をしていてよく聞いていなかった。

 面談の時も高校名を聞いていない。

 思い出そうとしても一文字も浮かばない。


(さりげなく2人に聞いてみる? でもそしたら確実に安城先生に会うことがバレるし。かといって全部説明することもできない)

「千花。行くよ」

「う、うん!」


 初対面の時にしっかり邦彦の話を聞いていなかった1週間前の自分を呪いながら千花は急いで2人の後ろを追いかけた。

 今日は午前中3時間、昼食の後2時間の班行動を計画している。

 ここには移動時間も含まれているため事を催すには早くしなければならないが、場所がわからないのに1人見知らぬ土地に残されるほどの度胸はない。


(偶然会えたりは……しないよね。この人の多さでそんな確率低いに決まってる)


 四方八方に知らない人だらけ。どこを見回しても周りには人しかいない。

 長野から来た千花は既に人酔いを起こしそうだった。


(とにかく思い出そう。『あ』から順番に一文字ずつ当てはめていけばいつかきっとわかる。『あい』、『あう』、『あえ』……)


 永遠に終わらないような思い出し方で千花は人通りの多い歩道を春子と雪奈と歩く。


「行く時は言ってね。突然いなくなると怖いから」

「んー」


 春子の言葉に生返事をする千花は下を見ながら歩き続ける。


(『あえ』、『あお』……)

「あれ? 何か揺れてない?」

「地震かな」

「千花、ちょっと止まって」


 春子と雪奈に構わず五十音でいつ当たるかわからない高校名を千花は考えていく。

 その間にも揺れは強くなっていく。


「ね、ねえ? 段々酷くなってない?」

「うん。千花ちゃん止まって。何かおかしいよ」

(『あか』、『あき』……)


 二人と千花の間が空く。

 手が届かない所まで距離が開いた瞬間。

 地面が割れ、人々が暗闇へと落下していった。

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