第8話 夢? 現実?
動きの止まった悪魔の体はたちまち淡い光に包まれる。
10体、20体と光は増えていき、体育館中が光りだす。
「これは……」
邦彦がその光に呆気に取られていると、床に何かが落ちる鈍い音が響いた。
その音は人間が倒れるものだ。
辺りを見回すと悪魔の姿は既に消え、気絶している人間で埋め尽くされている。
(こんな大勢の人間を一気に浄化した)
「これが、光の巫女の力」
邦彦は静けさの戻った体育館を慎重に歩く。
まだ悪魔が残っていないか確認をしているのだ。
その中で、邦彦は座り込んでいる千花を見つけた。
「田上さん、無事ですか」
「……はい」
千花は肩で激しく息をしながら返事をする。
100人以上を一気に浄化した負担がその体に覆い被さったようだ。
「田上さん。皆人間に戻りましたよ。あなたのおかげで」
「そう、ですか。良かった……」
千花はそう言うと力尽きたようにその場に倒れた。
千花は微睡みの中でゆっくり目を開ける。
そこは何もない草原。地面に草が生えているだけの何もない空間。
「ここは?」
千花が辺りを何度も見渡しながら小さく呟く。
静かな、心地よい風が千花の体を拭き抜けていく。
「私は、何を」
『遂に目覚めたんだね』
自分とは違う、何者かの声が聞こえてくる。
聞くだけで泣きたくなるような、優しい声が。
「あなたは……」
『きっといつかわかるだろう。その時を待っているよ』
声の主もわからないまま、千花の視界は段々霞んでいく。
『まずはこの世界に来なさい。そして仲間を見つけるんだ。光の巫女、田上千花』
千花の意識は途切れた。
次に千花が目覚めた時、真っ白な天井が視界に映った。
見慣れないその光景に、千花は首を傾げようとする。
「あれ?」
千花は首を上手く動かせず、自分が寝ている状態だということを自覚する。
横を見れば仕切りのようなカーテンと引き戸が、目線を下げれば白い掛け布団があった。
「あ、ここ病院だ」
何か見覚えがあると思った千花ははっと気づいた。
灯子が以前盲腸で入院した時に見舞いに行った病室と同じ。
そしてその病室に千花も寝ているということになる。
「あれ? でも私、なんで病院にいるんだろう。確かここに来る前は悪魔に」
千花が記憶を呼び起こそうとすると、目の前の引き戸が静かに開いた。
千花が口を噤んでいると白い制服を着用した若い看護師が1人入ってくる。
「失礼します。あら、田上さん。目が覚めましたか」
看護師は優しそうに微笑むと呆気に取られている千花に質問する。
「は、はい」
「丁度良かったです。今保護者の方がお見舞いに来ているので、お呼びしますね」
看護師がそのまま外に出ていく。
しばらくすると看護師は千花のよく知る人物、灯子と恭を連れて入ってきた。
「千花!」
「灯子さん、それに恭さんも。どうしたの2人とも」
「どうしたもこうしたも、あなたが学校で倒れたって連絡が来たから急いで駆けつけたのよ」
「学校で?」
体育館から記憶がないと思ったらそういうことかと千花は納得する。
呑気に考えているとふとあることに気づいた。
「春子と雪奈は? 皆は無事なの? 悪魔は?」
「春子ちゃん達なら普通に授業を受けて帰ってるわよ。悪魔って何? 夢と現実が混同してるの?」
首を傾げる灯子に千花は先程まであったことを説明しようとする。
しかし、その直前で看護師が間に入る。
「すみません。面会時間もそろそろですので、よろしいでしょうか。お嬢さんはもう1日検査入院ということで」
「はい、よろしくお願いします。じゃあ千花。また明日迎えに来るからね」
「え、ちょっと灯子さん」
千花が理解できないまま、灯子と恭は看護師に礼を言って病室を出ていった。
「あの、看護師さん」
「はい?」
「私が意識を失ったのって、いつぐらいですか」
「そうですね。搬送されたのが今日の13時半頃なので、その30分前かと思われます」
ちなみに今は20時ですよと言われ、千花は頬を引き攣らせた。
「あの、私学校で悪魔と戦ったんです。その時に皆も悪魔にされて、浄化しなさいって言われたんですけど、他の学校の皆はどうなってるんですか」
千花の訴えに看護師はただ訳もわからず首を傾げて困ったような笑みを浮かべる。
「田上さん、きっと体調不良で悪い夢でも見たんでしょう。それか幻覚症状が出たか。どちらにせよ、明日検査しますからね。今日は安静に、もう寝てください」
「いや、本当のことで」
「失礼します」
看護師は千花の言い分を最後まで聞かずに病室から出てしまう。
千花は納得のいかないまま枕に頭を押しつける。
(あれは夢じゃない。本当に私は悪魔と戦ったし、その証拠に腕を)
「!」
千花は急いで右腕を見る。あの時悪魔に刺された傷は決して浅くなかった。それを見れば全員納得するだろう。
そう考えた千花だが。
「え?」
刺されたはずの右腕に傷と呼ばれるものは見当たらない。
健康そうな小麦色の肌だけが目につく。
「だってあんなに大きく裂かれたのに」
確かに傷みもあったはずだ。血も流れたはずだ。
それが全てなかったことになっている。
まさか。
「本当に全部夢だった?」
どこからが夢なのか。
何が真実なのかわからないまま千花は消灯している病院で夜を過ごした。
翌日、千花は起床するとすぐに脳の検査と体調確認を行った。
それから灯子が迎えに来る夕方までは暇だった。
病院内ではスマホも使えず、バッグも灯子が一緒に持って帰ってしまったからだ。
仕方ないので近くにあった雑誌を読んで過ごすこと数時間。
17時になってようやく灯子は迎えに来た。
「遅くなってごめんね。ちょっと学校に顔を出してたのよ。ほら、これ今日の配布物」
「ありがとう灯子さん。ん? これ何?」
灯子からもらったプリント類を確認する千花は、不意に封筒に入れられた書類を見つけた。
宛書きには丁寧な字で『田上千花様』と記されている。
「ああそれ。なんか安城先生っていう人が千花にって寄越したのよ。重要なことだから確認してって言ってたわよ」
「安城先生が?」
千花は封筒を眺めながら眉を寄せる。
邦彦がこれを渡すということは個人的なことで間違いないだろう。
そして、思い当たる節と言えば1つしかない。
(やっぱりあの悪魔は夢じゃなかった。本当に私は戦ったんだ)
千花の脳に異常はなかった。
看護師が悪夢を見たのだろうと言ったため、千花もそれで渋々納得してしまったが、この手紙があの現実を肯定している。
「いい千花? 帰るわよ」
「あ、うん」
千花はすぐにベッドから抜け出し、灯子と一緒に病院を出た。
駐車場に停めてあった車に乗り、シートベルトを締める。
灯子が車を出すと同時に千花も邦彦からの手紙を開いた。
『拝啓 田上千花さん』
丁寧な字が千花の目に入る。
更に続きを読み進めていく。
『体調はどうでしょうか。すぐに救急車を呼んだので大事には至らないと思いますが、慣れないことを強いたので疲労感を抱いていることと思います。さて私がこの手紙を送ったのはお願いの意図があったからです』
(お願い?)
悪魔の件かと千花がしたに目を通すと信じられないことが書いてあった。
『悪魔のこと、東京のこと、そして光の巫女のことは全て忘れてください』
「はあ!?」
千花の急な叫び声に灯子は急ブレーキをかけ、後ろを振り返った。
「ちょっと千花、急に叫ばないで! びっくりするでしょ」
「ご、ごめん灯子さん」
千花に問題がないことがわかると灯子は再び車を発進させる。
千花は驚きを隠せないまま先を読み進めていく。
『前文を読んであなたは驚いていることでしょう。もしかしたら憤りを感じているかもしれません』
全くだ、と千花は心の中で何度も頷く。
『理由は簡単です。あなたが光の巫女として相応しくないとこちらで判断したからです』
(どういうこと? あの戦いで私、浄化の力を使ったよね。光の巫女と同じ力を使ったはずなのに)
『あなたは愛されています。他人を愛し、誰かのためにその身を犠牲にできるあなたは死んでいい存在ではない。あなたは、その世界で生きていく人間です。我々のことは忘れて、普通に生きてください』
手紙の文はそこで終わっていた。
千花は手紙を持つ手を震わせる。
悲しみからではない。どうしようもない怒りからだ。
(勝手に光の巫女に任命して、勝手に忘れろって? あの男、明日文句言ってやる)
千花は手紙を破りたい気持ちをぐっと堪え、他のプリントと一緒に鞄の中にしまった。
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