第7話 怖いけど
邦彦は飛びかかってくる悪魔を対処する。
その手さばきは慣れたものであり、1体ずつ素早く倒していく。
(に、逃げる? こんな化け物を背に? でも逃げないと殺される。あの爪で……あの牙で)
考えただけでも背筋が凍るような感覚に陥る。
誰だって痛いのは嫌だ。
それにあの悪魔の中には。
(私だけ逃げるの? 春子も雪奈も、先生達も皆あそこにいるのに)
邦彦に倒された悪魔は床に叩きつけられると元の黒い塊と化した。
千花はすぐ下に飛び散っている黒い塊に手を伸ばそうとする。
「オオオ……」
「!?」
千花は耳元で鳴った低い音に思わず手を引っ込め、横を向く。
千花の目と鼻の先には悪魔の顔があった。
「きゃあっ!」
千花が必死に身を守ろうと両手を前に突き出す。その時、右手に持っていたナイフが悪魔の目を貫く。
「ひっ!」
ナイフから血のような黒い液体が千花の手を伝っていく。
千花は吐き気と気味悪さに失神しそうになる。
(無理。私には何もできない。私も悪魔に殺されるんだ)
千花が目の前に悪魔に身を投げようとした時だった。
「オオ、オ……カ」
「?」
「ヂ、カ……ヂャ」
「雪奈?」
悪魔は人間の記憶を持っているのか。
今までの攻撃からして恐らく答えは否だ。
「ダズ、ゲ……」
「──っ!」
『ち、かちゃ……たす、け……』
あの悪夢と同じだ。雪奈が犠牲になり、千花は助かる。
あれは夢だった。
ではこれは? このまま千花が逃げれば雪奈はどうなる?
「……私は」
千花は震える両手でナイフを強く握る。
『我々の守り神、光の巫女』
『光の巫女の浄化でなければ戻らない』
『後は好きにしなさい』
「私は、光の巫女。私は、救世主」
千花は自分に暗示をかけるように呟くときっと前を向き、悪魔の額にある赤い石をナイフで割った。
「ア、ア……」
悪魔は千花の目の前で倒れ、黒い塊となった。
「ごめんね雪奈。必ず元に戻すから」
千花は目に浮かぶ涙を乱暴にジャージの袖で拭うと体育館を見回す。
邦彦が何十体をも相手にしているため床に散っている悪魔も多いが、それでも空に飛んでいる悪魔の一割程度だ。
邦彦も傷はないものの、その顔には汗がいくつも浮き出ており、息も上がってきている。
「……よしっ」
千花は大きく深呼吸をすると悪魔に向かって声を張り上げる。
「私が光の巫女だぁぁぁぁ!!」
千花の叫びに悪魔が動きを止め、彼女の方に体を向ける。
「田上さん!?」
「悪魔にとって光の巫女は敵でしょ! 私を倒しに来た方がいいんじゃない?」
「なんてことをしてるんですか!」
邦彦の焦ったような怒ったような声を聞き流しながら千花は悪魔の反応を待つ。
光の巫女と悪魔の関係は半ば賭けだが、この反応からするときっと千花の予想は当たっているだろう。
悪魔の光のない黒い瞳が額の意思と同じ赤い色に変わった。
「あれ?」
「馬鹿なことを! 悪魔に光の巫女という言葉は逆鱗そのものです!」
邦彦の言う通り、悪魔は全員矛先を千花に向け、一斉に飛びかかった。
「え!? そんなには無理!」
「本当に世話の焼ける」
邦彦は片手にナイフを所持したまま拳銃を取り出し千花に襲いかかる悪魔に銃弾を打ち込む。
「挑発をした以上もう逃げることは不可能です。全てなくなるまで耐えきりなさい」
邦彦の言葉に千花は無我夢中でナイフを振り下ろす。
邦彦が的を射てくれているため数は減っているが、千花に襲いかかる悪魔は後を絶たない。
一瞬の隙をつかれ、千花は悪魔の爪で体を壁に叩きつけられてしまう。
「いっ!」
強打した背中が軋むような音を響かせる。
幸い頭は打っていないが今まで経験したことのない痛みに千花は身動きが取れなくなる。
「田上さんっ」
千花を救いに行こうと邦彦が走り出そうとする。
その瞬間、違和感に気づいた。
(黒い塊が、動いている?)
倒したはずの悪魔が床を這うような動きをしている。それは段々と形成されていき、再び悪魔の形となった。
(何故だ。一度倒せば悪魔は再生しないはず。まさか、光の巫女に反応して?)
折角倒したはずの悪魔が復活した。
恐らくこれから先、何体倒しても同じように復活して襲いにかかるだろう。
「……ここまでか」
銃弾も、邦彦の体力も限界がある。
邦彦はナイフを降ろすと諦めたように1つ息を吐いて目を閉じた。
「まだ諦めません!」
少女の叫びに邦彦は薄らと目を開け、困ったように笑う。
「田上さん、いくら強がっても無駄なものは変わりません。死を受け入れなさい」
「嫌です!」
なんて往生際の悪い娘だと邦彦は眉根を寄せる。
大体光の巫女になるのを拒否した時点で千花はただの人間だ。
悪魔を浄化することもできない少女が何を偉そうに。
邦彦は心の内をそのまま吐露しようとする。
その前に千花が口を開く。
「雪奈との約束を守るまで死にません!」
「はあ?」
「私は捨て子です! きっと私の本当の親は私なんていらなかったでしょう。もしかしたら春子と雪奈も本当は友達と思っていないかもしれない。灯子さんと恭さんも本当は面倒な子と思ってるかもしれない」
でも、と千花は続ける。
「私は皆のことが好きだから! 皆を守りたいと思ってるから! だからまだ死なない。皆を人間に戻すまでは死なない!!」
千花の言葉に邦彦は目を見開く。
今まで、悪魔と対峙した光の巫女の後継者は皆最後には膨大な悪魔と絶望に耐えきれず死んでいった。
そして千花もまた死の淵に立たされている。
いつ殺されてもおかしくない状態なのに、まだ悪魔に立ち向かおうとする。
(彼女は何か違う。今までの娘と、何かが)
邦彦が呆気に取られている間にも、悪魔は千花に向かってその鋭いかぎ爪を振り下ろす。
「まずい! 田上さん!」
千花が腕で爪を防ごうとする。抉られた千花の腕には深い傷が浮かび上がる。
「いった……」
激痛に涙を浮かべる千花だが、それでも負けじとナイフを振り下ろす。
その瞳には恐怖こそあれど、決して諦める意思はない。
「うりゃああああ!!」
千花は一心不乱に悪魔の額にある赤い石を割っていく。
(彼女なら、もしかして)
邦彦は意を決して千花に向かって口を開いた。
「田上さん! 浄化をしなさい!」
「浄化って、それは光の巫女の……」
「ええそうです。あなたは光の巫女の素質を持ち合わせている人間です。きっとできるはず」
邦彦の言葉に千花は戸惑う。
浄化ができれば皆を救えるが、千花はこれまで力を使ったこともなければ方法すらわからない。
(光の巫女の力。私の力。皆を救いたい。お願い。光の巫女。どうか)
「どうか……!」
千花は両手を強く握りしめ、正体のわからない光の巫女に願う。
そんな無防備な状態の千花を狙い、悪魔は一斉に襲いかかる。
「田上さん!」
「──っ」
迫りくる敵に千花は強く目を瞑る。
その時だった。
『────』
千花の耳元で優しい声が響く。
千花は目を開き、握りしめていた手をゆっくりと解き、静かに悪魔を見据える。
「イミルエルド」
千花は小さく、力強く、言葉を発した。
その瞬間、悪魔の動きが止まった。
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