第6話 狂った日常
基本的に真面目に授業を聞こうとする千花だが、何故か眠気には勝てず、いつも15分もすると記憶を失くしている。
「千花。ちーか。置いてくよ」
「ふぇ!? お昼!?」
「それは今終わったでしょ。次体育に変更になったのもう忘れたの?」
呆れる春子は未だ制服でいる千花を見下ろしていた。
隣には春子と同じジャージ姿の雪奈もいる。
「もう置いてっちゃおうか、雪奈」
「そうだね春子ちゃん」
「ちょ、ちょっと待って! すぐに準備するから」
千花は更衣室へ行き、急いでジャージに着替えると2人の待つ教室へ戻った。
「今日の体育何するんだろうね」
「スポーツテストも終わったし体育祭の練習とか? 2人は何出る?」
「私は疲れないものがいいかな」
「疲れない競技って逆に何よ雪奈」
3人で体育館まで歩きながら話す。
今は5月も中旬。1週間後には修学旅行もあるが、後1月もすれば体育祭が待っている。
完全インドアな雪奈に千花がツッコんでいると春子が顔を覗いてきた。
「千花は?」
「私? 私はもちろんパン食い競争よ!」
「「出た」」
千花の食い意地をよく知っている2人は声を揃える。
1年も2年も同じ競技だと言うのに飽きないものか。
「あんたさ。運動神経いいんだからもっと活躍できるものにしなよ」
「そしたらパンが食べられなくなるよ!?」
「普通に買いなよ!」
千花と春子が言い争っている間に体育館の扉の前まで来た。
千花がドアノブに手を触れる。
次の瞬間──
『駄目!!』
何かに叫ばれ、千花は金槌で思いきり殴られたような衝撃を受ける。
「千花!?」
「どうしたの千花ちゃん!?」
急にその場に蹲った千花に2人は近づく。
それでも千花は苦しみから解放されない。
「いた、い……頭が」
「頭痛がするの? わかった。雪奈、保健室の先生に言ってきて」
「うん」
雪奈は走って保健室へ向かう。
その間も千花は頭を抱える。
激しい頭痛に加え、吐き気と呼吸困難も襲ってくる。
「先生……そうだ! 先生なら体育館にもいるじゃない」
春子は急いで体育館の扉を開けようとする。
「あれ? 開かない」
何度もドアノブを回し、押してみる春子だが、扉は少しも動かない。
春子が声を上げて担任を呼ぼうとした時だった。
バンッ! と扉が開き、春子が壁に叩きつけられたのは。
「うっ!」
「春子……っ!」
壁に叩きつけられた春子は頭を打ったのか、そのまま意識を失ってしまう。
千花は苦しみながら春子の元へ駆けつけようとする。
しかしそれを何かが遮ってくる。
「黒い……化け物」
千花の目の前に現れたのはあの黒く蠢く巨体。
更にその巨体から床に黒い血のような液体がポタポタと落ちてくる。
巨体は尻餅をついている千花へと接近する。
「あ、あ……」
千花は目を見開き顔から血の気を引かせる。
この巨体は知っている。
あの悪夢だ。春子を呑みこみ、雪奈を貫いたあの化け物が、千花を襲おうとしている。
(逃げないと。どこか遠くへ。早く、早く動かないと)
心では思っていても体は恐怖で動けない。
千花が震える間にも巨体は近づき、目と鼻の先にまで来ている。
「だ、誰か」
巨体がその黒い塊から鋭利な刃物を作る。
そして躊躇うこともなく、千花に刃物を振り下ろした。
「きゃあああああ!!」
千花が悲鳴を上げて自分の頭を腕で庇う。
肉が裂けるような音が耳元で鳴り響く。
千花は迫りくる痛いに耐えようとしたが、違和感に気づく。
「あれ? 痛くない……っ」
いつまで待っても痛みは来ない。
千花が恐る恐る目線を上げるとそこには驚愕の光景が映し出されていた。
「安城先生?」
千花の前に立ち、巨体の動きを封じていたのは紛れもない邦彦だ。
邦彦はどこから取り出したのか、護身用と思われる短剣を手に黒い何かと対峙している。
「田上さん、立てますか」
「え?」
「立てるならすぐに逃げなさい。そこに倒れている彼女も連れて」
邦彦の言葉に千花は彼を凝視する。
「逃げるってどこに……先生は?」
「とにかくここから遠い所へ。僕ができるだけこいつを引き留めておくから」
早くしなさいと冷静に言われ、千花は慌てて気絶している春子を肩に担ぎ、廊下へ進もうとする。
だがその直後、あの頭痛が再び千花を襲った。
「いっ……!」
立っていられない程の激痛に千花は春子共々その場に倒れてしまう。
それを待っていたかのように、黒い巨体は体育館へと千花達を吸いこもうとする。
「田上さん!」
咄嗟に邦彦が吸い込まれる直前の千花を抱える。
しかしその衝撃で千花は春子から手を離してしまう。
「春子!」
「田上さん、今は逃げることが先手です」
「だって春子が!」
千花が春子へと手を伸ばす。だが邦彦に引き止められてそちらへ進めない。
気づいた時には春子はそのまま巨体の中に呑みこまれていった。
「いやああああ! 春子! 春子!!」
絶叫する千花を抱きかかえて邦彦は体育館から離れようとする。
その瞬間、目の前に黒い物体が現れ、行く手を塞いだ。
「ちっ。遅かったか」
邦彦が舌打ちをして他に逃げ道はないか探すが、体育館への通り道は1本しかない。
2人が足止めを喰らっている間に黒い巨体は更に膨れ上がっていく。
「先生、あれは」
千花が邦彦に抱えられながら体育館を指す。
黒い巨体は既に体育館から破裂しそうな程膨れている。
「まずいですね。田上さん、口を塞いで頭を守っていなさい。喋ったら舌を噛んで死にますからね」
「え? 死ぬって」
千花が最後まで言い切る前に学校全体が地鳴りを起こす。
建物にヒビが入る程の衝撃に千花が視線を彷徨わせていると、黒い巨体から何かが切れる音が聞こえてきた。
(あれって)
千花が口を開こうとしたその瞬間、巨体が破裂音を轟かせながら塊となって飛び散った。
黒い血のようなものが千花の頬につく。
呆然としている千花を降ろし、邦彦は体育館へと走っていく。
「手遅れでしたか。これだけ人がいれば当たり前ですね。全く、困った悪魔達だ」
邦彦は体育館に張り付いている無数の黒い塊に呼び掛ける。
「せ、先生? これ、何なんですか」
恐怖に震えながら千花は邦彦に問いかける。
邦彦はしばらく沈黙した後、自嘲するように笑った。
「よく見ておきなさい。これが我々を脅かす悪魔の正体です」
邦彦が答えると同時に黒い塊が一斉に蠢き始める。
段々と黒い塊は一定の形を作り出していき、遂には全ての塊が同じ姿で現れた。
「……化け物」
千花は震えながら1つ呟く。
千花の目の前に現れたのはガーゴイルのように黒く、牙と鋭い爪、禍々しい羽を持つ悪魔だった。
それも1体や2体ではない。全校生徒が集まることのできる体育館を占拠しているほどだ。
「どうしてこんなことに」
先程まで普通に学校生活を送っていたはずだ。
こんな未知の生物と遭遇するなんて誰が予想できるだろうか。
千花が怯えている間に邦彦は体育館の中を観察する。
(残るはあの非常階段か)
「田上さん、立ちなさい。僕が悪魔をなるべく惹きつけますから」
千花は邦彦の指す出口を見て首を振る。
「あそこまで走れって!? 無理です! こんな化け物だらけで。それに春子がどこかに」
「彼女はこの中にいます」
「え?」
「この悪魔は皆人間だったものです」
邦彦の言葉に千花は絶望を顔に表す。
邦彦は簡単に伝えたが、千花は信じられないという気持ちだ。
「人間、って」
「これだけ騒いで誰一人来ないのはそのせいです」
「先生も、クラスの皆も、春子と雪奈も?」
「そういうことです。そして、悪魔になった人間は光の巫女の浄化でなければ戻らない。実質殺すしかありません」
殺す──千花は訳もわからず首を横に振る。
昨日まで一緒にいたはず。つい30分前まで普段通り教室にいた生徒達。
「殺すなんて」
「この場で殺さないと悪魔は増殖しますよ。それこそ、あなたの育てのご両親も」
「──っ」
なお言い淀む千花に邦彦は小型ナイフを1本手渡す。
「逃げるも残るも自由です。ただし、悪魔が襲ってきたら容赦なくナイフで額の赤い石を狙いなさい。そこを壊せば悪魔は停止します。後は好きにしなさい」
そう伝えると、邦彦は未だ状況が理解できていない千花を放置し、飛びかかってくる悪魔に向かって走り出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます