第4話 私は死んでもいい人間ですか?

 終礼が終わった途端、どこから現れたのか春子と雪奈が千花の後ろに立ち、両脇を掴む。


「え、何2人とも」

「約束通りに行こうか」


 いつの間にか千花の荷物を持っている雪奈と自分を宇宙人のように担いで歩く春子に引きずられ、千花は教卓の邦彦の目の前まで辿り着いた。


「おや?」

「先生。ご要望の田上千花を連れてきました。どこに放り込みますか」

「ちょっと春子!」

「これはご丁寧にありがとうございます。では僕の準備室に連れていってもらえますか。職員室の隣にあります」

「はーい。千花、行くよ」

「だから自分で歩けるって」

「離したら逃げるでしょ」

「猫か私は!」


 文句を言いながら友人に引きずられる千花の後ろ姿を見送りながら邦彦は含みのある笑みを浮かべた。

 千花は職員室の隣にある邦彦の部屋に半分放り込まれる形で入った。


「痛いよ春子。そんな刑務所みたいに」

「いいから入りなよ。私達帰るからね」

「え、待っててくれないの」

「だってドラマ始まるし」

「またか!」


 千花の荷物を近くに置くと2人は即座に部屋を出て帰宅した。

 この光景は昨日も見た気がする。


(え、私ここで待ってろと? 先生が来るまで? すごい処刑待ちみたいなんだけど)


 邦彦がいつ戻ってくるかわからない。

恐らく掃除が終わってチェックを済まし、雑務を終えてから面談だろう。

 そうなると最も早くて30分はかかる。


(せめて教室の中に。ダメだ。教室にいたらクラスメイトの視線がある)


 かと言ってこんな静かな部屋で30分以上座って待っているのは苦痛だ。

 これも罰か。遅弁をした罰なのかと千花が打ちひしがれていると部屋の扉が開いた。


「お待たせしました田上さん。どうして頭を抱えているんですか」

「え、早すぎません!?」


 待ちくたびれるのも嫌だが、あまりに早いとむしろ心の準備ができない。


「掃除は隣のクラスの先生に任せました。雑務はそもそもここでやるつもりなので心配には及びません」


 心配なんてしていません。

 そう言えたらどれだけ楽かと思う千花だがこれ以上関係を悪化させると本当にどうなるかわからない。


「さて田上さん。朝の話は覚えていますか」


 邦彦は千花の正面に腰を下ろし、ゆっくり話し始める。


「そりゃあまあ、今朝の話ですから」


 千花は目を合わせずに小さく話す。

 ほとんど初対面のような人と面談をするのは緊張以外の何物でもない。

 彼の車に同乗させてもらってなんだが。


「先程僕は東京に来ませんかと言いましたね。前言撤回させていただきます。東京に来てください」

「……無理です」


 邦彦の願いに千花は即座に拒否してしまった。むしろこれで喜んで行く人などいるだろうか。

 そして邦彦も予想通りとばかりに表情を崩さない。


「ええわかっています。しっかり一から説明させてもらいますからそれを聞いたうえでもう一度返事をしてくださいね」


 説明されたところで拒否は確定だが、決して逃げられる雰囲気ではないので千花は大人しく座り直す。


「僕が田上さんをこちらに招き入れたい理由はただ1つ。あなたが我々の救世主だからです」

「……すみません。やっぱり帰ります。さようなら」


 邦彦は頭のおかしい人間だ。

 そう察知した千花は隣にある鞄を手に走って扉へ向かおうとした。

 だがその直前で邦彦が扉の鍵をかけてしまう。


「まあまあまだ話は終わっていませんから」

「私、宗教とかそういうのには入らないんです! もちろん教祖になるつもりもないし人違いですから!」

「宗教なんかではありません。そんな馬鹿げたものよりも更に膨大な救世主です」

「ただの人間が救世主なわけないでしょう!?」

「あなたはただの人間ではない。我々の守り神、光の巫女となりうる存在です」


 千花はすぐにでも振り切って逃げたい一心だ。

 だが、邦彦の表情は決して揶揄からかいたいがための発言ではないと主張している。


「……それが本当かどうかは先生の顔を見れば何となくわかりますけど。それでも私は行きません。大体そんな救世主って言われても何を根拠に」

「特に理由はありません。僕達はそれぞれ力が強いと思われる場所へ行き、後継者を探すだけなので」

「私の力が強かったんですか」

「それは僕にはわかりません。救世主を選ぶ基準に満たしていたので」

「それって?」

「捨て子……というより、死んでも構わない人間ですかね」


 千花の顔が一気に強張る。

 指先が冷え、心臓が大きく脈打ち始めるのが自分でもわかる。


「光の巫女は危険が伴う救世主です。死んで悲しむ人がいると面倒なので」

「それが私って?」

「だってあなたは捨て子でしょう? 昨日先生から聞いた限り、育ての親とも良好と言えない関係みたいですし、こちらとしては貴重な人材です」


 邦彦が淡々と述べるその姿に千花の拳を握る力が強くなる。


「……あなたの中で、私は死んでもいい人間なんですね」

「そういうわけではありませんが、被害は少ない方がいいでしょう」


 邦彦が伸ばしてきた手を千花は咄嗟に振り払う。

 驚きの表情を向けている邦彦に、千花は憎しみの籠もった目で睨む。


「お断りします」

「田上さん」

「あなた達みたいな人にはわからないでしょうね。私みたいに捨てられた子どもの気持ちなんて」

「いえ、そういうわけでは」

「私は、死ぬために産まれてきたわけじゃない。好きで捨て子になったわけじゃない!」


 千花の涙まじりの叫びに邦彦は二の句が告げなくなる。

 その隙をついて千花は扉の前に立つ。


「さようなら先生。私は絶対東京になんて行かない。救世主にもならない」


 出ていった千花を引き止めもせず、邦彦は冷たい視線を扉の方へ向けた。


「……時間がない」




 千花は自転車を置くと乱暴に家の扉を開けて中に入る。

同時に灯子がリビングから出てくる。


「あらおかえり千花。夕飯はまだ早いから先にお風呂に……千花?」


 灯子の言葉を聞かずに横を通り抜けた千花はそのまま2階の自室へと一直線に向かった。


「千花? 具合でも悪いの? 千花ー?」


 灯子の声が1階から聞こえてくる。

 千花はそれに答えず、暗い部屋の中、バッグを放り投げると制服のままベッドに突っ伏した。


「……うっ」


 千花は掛け布団を強く握りしめる。


『死んでも悲しむ人は少ないでしょう』


 邦彦の言葉が脳内を巡る。

 あの時、反論できていれば状況は変わったかもしれない。

 それでも怒鳴って出ていくことしかできなかったのは千花が図星だったからだ。

 灯子や恭とは自分から壁を作ってしまっている。

 春子と雪奈も、小学生からの付き合いとは言え、きっと自分がいなくても特に支障なく生きられるだろう。

 そして千花はあまり友達づきあいが良くない。仲がいいと言えるのも2人くらいだ。

 そんな自分のために悲しんでくれる人などいるだろうか。


「でも、私、死にたくない」


 嗚咽を漏らしながら千花は小さく呟く。


「生きていたい」


 千花の意識はそこでプツリと途切れた。

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