第29話 回顧

 本館のエレベーターホールにヒールの音が響く。

 濃紺色のパンツスーツを品良くセミフォーマル風に着こなし、到着したエレベーターに乗り込むと、掛けていたサングラスを外した。




 「お待ちしていました。新川しんかわさん」


 本館の最上階。

 学生課の職員に導かれて、応接室へ案内された新川しんかわ景子けいこ

 すでに揃っている人たちに一礼して挨拶を交わす。


 応接室には、そらの母親である卯月うづき智子ともこも上京し、既にこの場に到着していた。

 大学側からは経営者である理事長、大学学長、入試課の課長、案内をした学生課の職員が同席している。


 そして肝心の卯月天は、学内にある保健センターにて、医師から性別に関する診察を受けていた。




 一通りの紹介と挨拶が終わると、母の智子が話を切り出した。

 「それでその…、そらはどうなるんでしょうか?」


 「概略をご説明しますと―—」

 入試課課長が事の経緯を説明する。

 話し終えると、一瞬の沈黙があった。

 「我々は見た目のことを言っている訳ではないのです。性自認であれば規定に反することもありません。ですが、男子学生として入学した本人が、自分が女性であると言う以上、本当に卯月うづきそらで間違いないのかを確認しなければなりません」




 先ほどまで晴れていた空は、いつの間にか灰色の雲に覆われ、急激な豪雨となって応接室の窓を雨粒が叩きつける。


 扉がノックされ、診察を終えた天が入ってきた。


 「お母さん。お姉さんも…」

 「そら…」


 入試課課長は天の様子を見極めようとしているのか、視線はずっとその姿を追っていた。


 「では、全員揃ったので始めましょうか」

 学長が声を掛け、入試課課長から質問が始まる。


 「お母様に伺います。今のそらさんを見てどう思いますか?」


 「そうですねぇ…」

 母は久しぶりに会った我が子を愛おしむように眺めていた。

 「少し大人びた感じがします。服装も都会に合わせたように洗練されていて…。きちんと周りを見て成長しているようで安心しました」


 「そらさんの血液型は分かりますか?」


 「A型です。貧血があるので心配なんですが…」


 「なるほど。では…」

 入試課課長はいくつかの質問をした後、本題に踏み込んできた。

 「そらさんの性別を教えてください」




 天の心臓が高鳴る。

 どうする? やはり偽者という事になってしまうのか…。

 それならば、体が変化したことを正直に話してみようか? 信じてもらえるか分からないけど、本当のことを全て話す他に手段はない。あの日に起きた出来事から全てを…。


 天が決心したその時——


 「女の子ですよ。見ての通り」

 笑顔で答える母の智子。


 「えっ?」

 声を出したのは理事長と学長だった。

 話が違うじゃないかという目で入試課課長を見る。

 天は男だったという前提で話が進んでいたので、寝耳に水という表情だ。


 再び応接室の扉がノックされる。

 白衣を着た女性が入ってきて、理事長の前に「診断結果が出ました」と封書に入った診断書を置いた。

 天を診察した女医だった。

 置かれた封書を手に取り、中身を確認する理事長。横から覗き込む学長。顔をこわばらせる入試課課長。


 「性別適合手術の痕跡もなく、彼女が完全な女性であることは間違いないですね」

 女医の説明で、天が女性であることは確定した。


 血液型はA型。血液検査の摘要欄には、”ヘモグロビンが少なく、貧血気味”という記載がある。母親の言った通りだ。


 天の隣に座っているのが母親だと気付いた女医が気遣いを示す。

 「お母様ですよね。彼女は健康状態にも異常はありませんでした。久しぶりに会えて良かったですね」


 「そうですか。ありがとうございます。ほんの数か月離れて暮らしただけで寂しさを感じていましたから、こうしてちょっとでも再会できたのは親としては嬉しいものですよ。親子なら皆そう思うものじゃないですかね」


 母、智子の言葉に笑みを浮かべると、女医は保健センターへ戻って行った。




 理事長が診断書を入試課課長へ渡す。

 「では、これで不問確定という事になるのかな?」


 幕引きを図ろうとする理事長に、入試課課長が慌てて止めに入る。

 「いえ、これだけでは女性という事実が判明しただけで、本人であると確信できる証拠とは言えません」




 「私からお話したいことがあります」と新川が声を上げる。


 新川は以前に天が事務所宛てに送ってきたメールについて触れた。

 幼少時に近所に住んでいたことが書かれており、それは本人でないと知り得ないことである、と。

 さらに、メールには学芸会があったという話も書かれていた。


 「私はこの時のエピソードを覚えています。高校2年の時でした。学校から帰ってきた私に、衣装を着た姿を見せに来たのです。そらちゃん覚えてる?」


 新川から投げかけられた質問に、天は当時のことを思い返す。

 「そう言われてみれば……。あの日はなんだか楽しくて、学校から衣装のまま家に帰った……あれ、違うな。直接お姉さんの家に行ったんだ。そこでずっと帰りを待っていた」


 「そうね。学芸会のことを嬉しそうに話してくれたものね。その時の衣装って、どんな感じだったかしら」


 「ええと、確か…。黄色い花柄のスカートに、白…いや、薄水色のブラウス、それから、長い髪のカツラも被っていた。お姉さんのお母さんが『良く似合うよ』って笑ってた気がする」

 天が当時を思い出して、懐かしそうに話した。




 新川は正面に視線を戻し、まるで舞台に立つ時のような力強い眼差しを向けた。

 「私は子供の頃、ずっと妹が欲しかったんです。近所の卯月家に赤ちゃんが生まれると聞いて、自分の事のように楽しみにしていました。だから卯月天は身内のような存在です。

 当時10歳のそらちゃんが、学芸会の衣装のまま嬉しそうに見せに来てくれたのが嬉しくて、その姿がとても可愛らしく、本当の妹のように思えてきたんです。その姿を写真に収めておきたくて、撮った写真がここにあります」

 バッグの中から持参した写真数枚を机の上に並べた。


 今の天によく似た女の子が写されている。長い髪のカツラを被り、ピンク色の口紅まで塗っている。華奢で白い肌をしたその子は、淡い水色のブラウスと黄色地に花柄が描かれたスカートを履いて、照れたような笑顔で写っていた。




 目の前にいる卯月天の記憶が、昔の出来事と一致するなら本人で間違いない。

 理事長はその場で天の復学を学長に命じ、大学側は天に謝罪した。





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