第27話 逆説

 「大雑把おおざっぱに言って、私たちの体は37兆とか60兆個の細胞でできていると言われています」



 ―—選択科目である生理学の講義が行われている。必ず受けなければいけない必須科目という講義の他、卒業までに必要な単位を取るために選択科目という学部の分野を超えた講義を受けることもある。

 前里まえさとあおいがこの科目を受講していた―—



 「かすり傷を負うと、細胞はすぐに入れ替わり1週間程度で治ります。血球細胞が3か月、骨の細胞で4年で全てが入れ替わります。古いものから順に新しい細胞に入れ替わる。これが細胞の新陳代謝しんちんたいしゃと言うものです。


 テセウスの船というパラドックスを知っていますか? 簡単に説明すると、痛んだ船の部品を交換し、全ての部品が新しいものと置き換えられた時、それは同じ船と言えるのか、というidentitiyアイデンティティ(同一性)を問いた話です。


 では、人間も長い時間をかけて細胞が入れ替わってしまったら、その人は別人になってしまうのでしょうか?


 安心してください。古くなった細胞が順番に入れ替わるだけで、人間そのものが変化することはありません。細胞機能も年齢と共におとろえて、入れ替わる頻度ひんどは低下して行きます。

 それに、生涯しょうがい入れ替わらない細胞も存在します。ひとつは脳です。脳は神経細胞で構成されているので入れ替わることもなく、欠損けっそんしたら再生はできません。性別も同じです。生物学的に女性である場合、生まれつき卵母細胞らんぼさいぼう卵細胞らんさいぼうを持って生まれるのですが、生涯それは変わりません」




 碧は教室の中程なかほどで食い入るように教授の話を聞いていた。


 古い物を全て新しい物に取り換えてしまったら別の物になるのか、という考え方は面白い。

 考えてみれば、人間も成長過程で変わることがある。昔の自分を振り返って、あれは黒歴史だったと恥ずかしく思うのは、変化しているってことだろう。

 見聞きしたことや周りの人たちの影響を受けたり、人が変わっていく原因は色々あるだろうな。変化への価値観は人それぞれだろうけど。




 「生理学の講義とは別の話になるのですが―—


 先ほど性別を区分する細胞も変わらないとお話しました。近年、取り沙汰ざたされているジェンダーというのは、社会的あるいは個々の性差のことです。生物学的には男女の区別がありますが、創造性は尊重すべきだと私は考えます」




 ふと、以前に流れた”卯月うづきそらは男だ”という噂を思い出した。

 男だなんて言われたのは鼻筋が通ってりんとした顔だから? そういう凛々りりしい顔をした『男装だんそう麗人れいじん』という、女性の変装を指す言葉がある。顔だけ見て男と決めつけるのは間違ってると思うな。

 でも、天と初めて会った頃は歩き方とか動き方がガサツだったし、持ち物もまるで男の子みたいなセンスだった。髪の乱れなどの見た目に気を使っているようにも見えなくて…。ああ、それは私も同じか…。

 偽者にせもの疑惑ぎわくが起きているのは、最近になって急激に雰囲気が変わってきたからじゃないのかな? 周りの子たちを見て、もっとお洒落しゃれになろうと思ったのかもしれない。外見が大きく変わったから、いわれのない噂が広まったのかも。

 別にいいじゃない、キレイになったって。天の人生だもの。


 「誰だ、あんな悪い噂を流したのは?」

 ミステリー好きの血が騒いだ。





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