第10話 安堵
尻の双丘に触れたり離れたりを繰り返している。
それはバスの揺れが原因なのか意図的なのか?
痴漢の話を聞くたびに「もしも自分が痴漢に遭遇したら、手を掴んで警察に突き出してやる!」なんて息巻いていたものだが、現実的には、混雑した車内で確実に犯人の手を掴むことは困難であり、もしかしたら自分の勘違いかもしれないという思いもあって、そう簡単に行動には移せない。
迷っている間にも、掌は天の尻に触れてくる。時には押し付けるように、時には撫で付けるように…。
ずっと同じ場所ばかりに手が触れるのは、いくらなんでもおかしい。これはきっと本物の痴漢に違いない。
痴漢に遭うのは人生で初めてのことだ。いくら女性の姿をしているからといって、男に触られるなんて…。
気色悪い!
手を掴むのが無理ならば、せめて犯人の顔を確認したい。が、立っているのもやっとな車内では後ろを振り向くこともままならず、犯人が真後ろにいるとも限らない。
どうするかと躊躇していた、その時。
掌ではなく、明らかに指先が動いた。ジーンズの上から双丘の間に指先が滑り込んでくる感触。
サーッと血の気が引いた。気色が悪いどころの騒ぎではない。しかし、拒む声が出せない。悲鳴も助けを呼ぶ声も出せない。デリケートな部分に触れられそうになった衝撃から、体が硬直し、呼吸がままならないのだ。
バスが交差点を曲がる。
車内の人々の体が一斉に動いたタイミングで、身を捩ることができた。体の向きが変わり、上手い具合に魔の手から逃れられた。
天は心の乱れを落ち着かせながら、先ほどまで立っていた場所を
周りの誰も異変には気付いていない様子。
犯人は男だと勝手に思い込んでいたが、天の後方に立っていたと思われる場所にはOL風の女性が立っている。その近辺には男性客も居るには居るが…。
卑劣な真似をしたのは果たして男だったのか、という疑問も残る。「女だから痴漢された」「男だから犯人だ」、と決めつけるのは性別に依る思い込みでしかない。
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新学期が始まった学内では、至る所でサークルや部活の勧誘をしている。
いかにも大学生活らしい華やかさがあるが、今はあまり気乗りがせず、賑わいを横目に通り過ぎた。
1時限目の情報リテラシーの講義が行われる教室に入ると、ガイダンスの際に知り合った
「テンちゃん!おはよー! …って、あれ、顔色悪くない?」
「あ、おはよう。朝からテンション高いね…」
「そう? 普通だよ。なんかあった?」
屈託のない南を見て少し気持ちが和らぐ。
思い出したくはなかったが、今朝のバスでの出来事を話した。
「痴漢かぁ。気を付けないとね。わたしも経験あるよ…」
南は可愛いから、狙われやすいだろうなぁ。それでも親身になって慰めようとしてくれる南には頭の下がる思いだ。先日のガイダンスでも、ハッとさせられるようなことを言われるし。見た目だけじゃなく、心も綺麗な良い子なんだと思う。
こんな子を彼女にしたい…。って、この状況では無理か。
それに、南には彼女に見合う彼氏が居そうだよな。
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