第二章 皇都の赤目烏

第二章(1) 執務室

 皇都に戻ったアルベリクの最初の仕事は、無能な部下に対する処分であった。


 ガロア皇国の皇都・アコラオン。この街の中を蜘蛛の巣のように張り巡らされた街路の一つに、ペリエール通りという名の道がある。──『宝飾通り』。巷間でそう呼ばれるこの街路の、最も目立つ角地に、ブランシャール宝石店は居を構えている。皇都屈指と評される名店である。


 その執務室の中に、緊迫した空気が張り詰めていた。


 中にいる人間は三名。


 ウォールナットの机の上に肘をつき、恐ろしい眼光をほとばしらせている男。それが、この店の最高責任者として君臨するアルベリク・ブランシャールである。


 この男の恐ろしい姿に相対し、屠殺寸前の犬のように怯える男。彼の名はアンリといい、昨日までマルブール方面の買い付けを担当していた。


 その彼は、今まさに解雇を言い渡されようとしているところだった。


 三人目は、その間に立ち、弱りきった顔をしている。彼の名はローラン。アルベリクの右腕として、彼の不在時の代理などを務める男である。


 長く重い沈黙を破ったのは、アルベリクの押し殺した声だった。


「彼女の作品を見たか?」

「は、はい……」


 問われた男は大仰に何度も頷いてみせた。その答える声に被せるように、アルベリクは矢継ぎ早に質問を飛ばす。


「見る機会は何度あった」

「二度ほど……」

「実際に見たのは?」

「一度……」

「どう感じた?」

「い、今にして思えば、類まれな出来栄えであると……」

「その当時の話だ」

「……そ、その……」

「何も感じていなかったのか」

「い、いえ……。金属装飾の技術には眼を見張るものがありました。ですが、あれは芸術作品としては逸品でも実用性には疑問が……。装飾品として誰かの身を飾るイメージが到底持てず……」

「お前はガストンに固執していたからな……既に落ち目だったガストンに」


 アルベリクはやおら立ち上がり、傍らに立つローランに向かってゆっくりと歩み寄った。


「我々はネジや歯車を売っているのではない。常に同じ規格品を緻密に再現することが我々の仕事ではないのだ。人を美しく飾るために我々は存在している。そして、美醜というものは、時とともに変転してゆくものだ。変転する価値観に対応してゆくには、我々には何が必要だろうか? ──感性だよ。ブランシャールの感性こそが我々の命脈なのだ。判るな、ローラン」

「……はい」


 アルベリクはローランに向けて語りつつ、アンリの背後に回り込んでいた。それから彼は、白髪交じりのアンリの襟足を、今にも斬りつけんばかりに睨みつけた。


「なあ、アンリ。私がここに見習いとして入った時、お前が私の上司だった。私がブランシャールにガストンを紹介した時、自分の手柄として上に報告したのがお前だ。以降、お前はガストンの担当として十余年、安寧を貪ってきた。しかし、今にして思えばそれがお前の失策だったのかもしれんな」

「そ、それは……っ!」

「ご苦労だった。明日から来なくていい」


 ほんの僅かのためらいもなく、その一言は放たれた。


 アンリは額に玉の汗を浮かべ、アルベリクの足にすがりついた。


「も、申し訳ありませんっ! 後生ですから……。ふ、二人目の娘が……病気で……。今、職を失うわけには……」

「なら、なぜ、生きることに怠けた? 商品を見る目はない、債権回収もろくにできないでは、子供の使い以下だ! こうして私が直々に解雇を通告してやっただけでも情があると思え!」


 まとわりつく犬を振り払うように、アルベリクは男の腕を蹴り飛ばした。山育ちの男の蹴りは存外強力だった。アンリの身体は鞠のように勢い良く転がって、執務室の壁にぶち当たる。


 よろよろと身を起こしたアンリは、アルベリクの顔を仰ぎ見た。見上げた先で、二つの赤い眼が彼を見下ろしていた。その瞳の中には、怒りも失望も見当たらなかった。ただ、虫を見るような酷薄な視線が、ひざまずく男を見下ろしていた。ともすると、そのまま足を上げて踏み潰しにかかりそうな気配すらあった。


 この時、アンリには二つの選択肢があった。娘のために、アルベリクの靴を舐めるか、それとも己の魂を殺さぬために、つばを吐いて立ち去るか。


 彼が選んだのは後者だった。彼には、いかんせん我慢がなかった。その一方で、プライドだけは過剰に蓄えていた。


「わ、私は、二十年もこの店に勤めていたんだ! このブランシャールに二十年だぞ! 後から来た小僧が、偉そうに……っ」

「即刻失せろ。薄汚い魂に触れては石の輝きも濁る」


 アルベリクはそう言い捨て、机に戻った。未練がましく部屋に残るアンリを差し置き、続く懸案事項に話題を移す。


「ローラン、『彼女』の作品を効果的に売り出す方法を、早急に考えねばならん。各部門のチーフを呼べ。販売企画部門のアンリもな。優秀な方のアンリだ」

「……承知しました」

「とにかく必要なのは話題性だ。直近で、話題性のある大きな催しはなんだ? 言ってみろ、ローラン」

「トーブマンズ・オークションと、皇后陛下ご生誕記念式祭ですね」

「そうだ。そのふたつで、彼女の作品を売り出すぞ。人の記憶に残るよう、できる限り衝撃的なデビューを飾りたい。──それから、人事部門のディミトリと、緊急で会議の予定を組んでおいてくれ。人事考課の方法を再考し、無能の連鎖を断ち切らなければならん」


 無能な方のアンリが見ている前で、このような会話が繰り広げられていた。


 遠回しな侮辱であった。これを黙って聞いていたアンリは、怒りに肩を震わせ、その顔全体を珊瑚のごとく紅潮させた。


 もはや寸刻たりともこの場にいられず、アンリは突として立ち上がった。彼はアルベリクに背を向け、足音高く部屋を出てゆく。


 去りしな、アンリはこんな捨て台詞を吐いた。


「マルブールの赤目烏め……ろくな死に方はできんぞ……心しておけ……」


 どす黒い呪詛の言葉だった。しかしこれすらも、アルベリクの金剛石の心臓には、かすり傷一つつけなかった。せいぜいが、「ふん」という嘲りじみた鼻息を引き出せた程度であった。


 アルベリクの関心は、既に次の商機に移っていた。アンリと入れ替わりにどやどやと執務室に入ってきた部門長たちを彼は鋭く睥睨し、一喝する。


「遅い! 作戦会議を始めるぞ! 新しい金の卵からどれだけ金を絞り出せるかは、お前たちの働きに掛かっている! それをよく胸に刻んでおけ!」

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