東海道相州酒勾宿・金平頼義、河を渡るの事

真昼の東海道を一頭の馬が飛ぶような速度で東下して行く。


昨晩謎の襲撃を受けた頼義たち一行は、事の要因は鎌倉に向かった碓井貞光が握るものと睨み、夜明けとともに貞光邸を後にして一路鎌倉へと急いだ。幸い邸で馬を一頭借り受けることができたので、金平は頼義を前に乗せ、自らは頼義を抱きかかえるようにして手綱を握った。


一行は碓氷峠から一息に塔ノ沢まで下り、谷を流れる早川沿いに小田原まで馬を走らせた。途中昨夜の賊たちの襲撃も予想していたが、昼日中の襲撃は控えているものか、酒匂さかわ川に到達するまでは何事もなく辿り着くことができた。


この時代の酒匂川周辺がどのような街並みであったかを記述した書は現存しない。ただし「酒匂遺跡群」や「浜ノ台遺跡群」などの規模の大きさ、また少し時代が下った頃に書かれた「金槐きんかい和歌集」などには「浜御所はまのごしょ」と呼ばれた将軍のための宿泊施設が存在したという記述が見受けられる事から、この時代にもそれなりに宿場町として栄えていたことが伺える。ただし河口付近で東西を渡る大橋はまだ存在していなかったらしく、酒匂川を渡るためには川を北上して浅瀬を選んで渡河する必要があった。


ここまで馬を飛ばしに飛ばしてきた事もあって大分に時間を稼ぐことはできたが、その分馬も疲労が溜まっていた。できれば馬を代えて先を急ぎたいところだが、借り物の馬を売りさばくわけにいかず、ここは馬の休憩も兼ねて本道を離れた中洲の多い浅瀬を選んでゆっくりと川を渡る事にした。



(俺が賊なら、狙うとしたらだがな……)



広い河原に挟まれた見晴らしの良いこの場所は、隠れる場所もなく、いったん川に入れば自由に動くこともままならない。金平は周囲に気を配りながら細かく点在する中洲を一つ一つ慎重に渡って行く。金平は馬を降りてくつわを手に取りながら足を川に浸けて歩いているが、目の見えぬ頼義は馬上のままくらに座らせている。万が一弓矢による襲撃を受けた際のせめてもの防御策として笠の上から小袿こうちきを被っているが、できればそんな目に会うのは御免ごめんこうむるというのが金平の本音だった。


二人の緊張をよそに馬は呑気のんきに川の水をガブガブと飲みながらゆるゆると進む。金平としてはできるだけ早く川を渡りたい所だったが、馬の方はそんな事などお構い無しに走り詰めで疲れた身体を休ませている。



(金平、いますね。後方、二人……)



小袿に覆われた影から頼義がささやく。どうやら後ろから例の賊が後をつけて来ているらしい。金平にはその姿は見えないが、頼義の鋭敏な聴覚は早くもその気配を察知したようだ。



(二人か。昨夜襲って来た連中は三人いたな。という事は定石から考えれば残る一人は……)



金平は注意深く前方を見回す。賊の存在は確認できないが間違いなくもう一人は先行して挟み撃ちの格好で金平たちを監視しているはずだ。



「さて、と。おい馬、もう休息は十分とったろ?そろそろ行くとするぜ」



最後の中洲に渡りかかったところで金平はあぶみに足をかけヒラリと馬の背に飛び乗った。間髪かんはつれず金平は馬の横腹を叩いて一気に走り出した。



川を渡りきったところで金平は馬を真横へ転進させ、川沿いに走りながら本道へと合流を目指す。昼日中の大道の上では連中もおいそれと襲撃をかけるわけにはいくまい。



「います、金平!左手めでのどこかに一人!」



頼義が後ろを振り返りながら叫んだ。金平は目だけでチラリと左側を伺う。その向こうにはまばらに広がる雑木林があった。どうやらそこら辺に先行していたもう一人が待ち伏せしていたらしい。



「合流しました。三人……その後ろにもう一人!?」



四人……どうやら追っ手の数が増えたらしい。金平は馬を飛ばした。せっかく休んで鋭気を養ったばかりだった馬は不満たらたらであったが、それでも後ろから襲ってくる得体の知れない殺気に不穏なものを感じた馬は一路大道を東に向けて疾走した。


さしもの異形の賊たちも徒歩かちで馬の早足に追いつく事は出来ないものと見える。二人の乗った馬を忌々しげに見送りながら三人の凶賊は次の手を講じるために思案した。三人ともに修験者すげんじゃの白い衣装に頭巾を深々とかぶった姿は傍目にも「異様」に写ったが、彼らは周囲の目など気にもかけずにこれからの事を案じていた。



「仕方ない、我らも急ぎ馬を調達して急ぎ追いつくべし。あの二人がいかなる素性かは知り得ぬが、これ以上『鎌倉党』の連中に手勢が加わるのは面白くない」


「然り。まずはなんとしても鮎川(相模川)に至るまでにあの者共を取り抑えよう。事と次第によっては殺すことも厭わぬ。ん……?」



言葉を交わす三人の元に同じような修験者の姿をした人物が走り寄って来た。先程先行した三人を追って合流してきた四人目の賊であろう。



「……?貴様は、なにや……」



そう言葉を発した賊の一人はその言葉を言い終わらぬ内に、その四人目の男によって抜き打ちに首を斬り飛ばされた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る