東海道相州鮎川(相模川)・頼義、船上にて敵と相対するの事

頼義と金平は滔々とうとうと流れる鮎川(相模川)の流れを眼前にして立ち往生していた。馬にいたっては



(え、ここ渡るの……?)



とでも言いたげな表情で鞍上の二人にちらりと視線を送る。



「安心しろ、別段お前さんにこの河を泳げなんて無茶は言わねえよ」



金平がまるで人間を相手にするように馬に向かって話しかける。それを聞いて馬も安心したのか、ブルルッと首を一振りさせて鼻息を一つ深く吐いた。そのやりとりを聞いて頼義がくすりと笑う。



「ふふ、金平はすごいですね。動物と会話をするなんて、まるで唐国からくにの仙人のようです」


「おう、なんせ俺はかの太公望たいこうぼうの子孫だからな」



そんな風に軽口をやり合う。しかし河を渡れないという事実は一向に進展しなかった。


敵の襲撃を寸前にかわし、そのまま首尾良く酒匂さかわ川を後にすることができた二 人は、用心のため途中大磯で夜を明かすことにした。


同じ賊に二度に渡って襲撃を受けた事で、事態が思いの外重大であるらしいと悟った頼義は一刻も早く鎌倉へ赴き、先行している碓井貞光公と合流したかったが、借り馬単騎である事が逆に災いして夜通し馬を乗り継ぐこともかなわず、また連中が易々やすやすと疲れて速度の落ちた馬を見過ごしてくれるとも思えなかったので、ここは大事を取って途中大磯で馬を繋ぎ宿を取った。


大磯は相模国国府の置かれた要所である。人口も多いこの地域では敵も迂闊うかつには手出しはすまい。それでも用心深く交代しながら夜を明かしたが、結局敵は現れず無事に翌朝出立してこの鮎川の川岸にまで辿り着くことができた。


鮎川、現在では「相模川」の名で知られているこの大河は、相模国の丁度中央を東西に二分するように流れている。六町(約五百メートル)に迫る川幅のこの大河は、箱根以東では東海道における最大の難所として知られていた。後に他ならぬ頼義本人の直系の子孫である源頼朝が横死した場所としてその名を知られる「馬入橋」はこの当時まだ建設されていない。



「また北上して浅瀬を渡る……にしてもこの流れだ、どこまでさかのぼれば渡れる浅瀬になるのか見当もつかねえな」



金平は頭を抱えた。そもそもこの東海道を使っている連中はどうやってこの河を渡っているんだ?まさか毎回服を脱いで泳いで渡るわけではあるまい。そもそもこの急流だ。泳ぎに慣れた者でもたちまち流されて相模灘に放り出されてしまうように見える。



「金平、金平」



懐で頼義が金平の裾を掴む。



「どこかに『渡船(わたしぶね)』があるはずです。探してください」


「船だあ?」



確かに、このような場所で船を使わない手はない、どこかに渡河用の船着場があるはずだ。見回してみると、案の定川上の方に河原のよしの枝を切り払って石で護岸をした船着場らしきものが見受けられた。何艘か船の姿も伺える。中には馬を乗せて運べそうな平たい大船も停泊していた。



「なるほど、こいつは文字通りってところか」



金平は船頭と交渉し、首尾よく馬を乗せて運んでもらう手筈てはずを整えた。他の乗客を幾人か乗せた後、船はゆっくりと船着場から離れて漕ぎ出した。狭く、安定しない船板の上に立たされた馬が不安げにいななく。それを落ち着かせようと頼義が首筋を撫でながらなだめている。馬はたちまち大人しくなって頼義にその顔をすり寄せて甘える。金平の目には頼義の方がよっぽど動物と意思の疎通ができているように見える。


ともかく、この鮎川さえ渡ればあとは鎌倉までは数里の行程だ。一刻でも早く碓井貞光公の元に合流して事の次第を聞きたださねば。今鎌倉で何が起こっているのか、自分たちを襲った異形の者たちは何者か、聞くべき事は山ほどあった。


下流から見たときは気づかなかったが、この辺りが丁度渡船の交通路だったらしく、先ほどまでは見えなかった渡船が幾隻も行き来していた。今も頼義たちとは反対に西岸へ向かって河を渡る船と行き違うところだった。船頭同士は互いに「おうい」「やあい」と声を掛け合ってすれ違う。


その瞬間、相手方の船から何かが飛び出してこちらの船に落下してきた。



「!?な、なんだあ!?」



ドスン、という大きな響きとともに船板にめり込んだそれに、乗っていた馬も乗客も驚き、騒ぎ立てた。その落下物がピクリ、と動いて立ち上がった。



「な……!テメエは!?」



落下物と思われたものは、頼義たちを襲ったあの異形の襲撃者たちだった。山伏の白装束に、今は頭巾を外している。しかしその顔には青銅の薄い板で作られたおもてが被されていた。


相乗りしていた乗客たちが悲鳴をあげる。船頭も何が起こったのか理解できず恐慌をきたして手にしていたかいを手放してしまった。



「そんな……!気配など微塵も……まさか!?」



頼義は敵がここまで接近していながらその気配を察知できなかった事が信じられなかった。しかし今頼義の耳には襲撃者の裾からポタ、ポタ、と雫の垂れる音を確かに捉えていた。



「チッ、こいつら船底にへばりついて俺たちが来るのを待ち伏せしてやがったのか!?蜥蜴トカゲかなんかかよまったく!!」



金平は毒づきながら愛用の剣鉾を抜き出す。しかしこの狭い船上では柄の長い武器はその動きが制限され、かえって不利だった。襲撃者は二人、残る二人はどこに隠れている?



「まったくもって忌々しい奴らよ。よもや先手を打って襲って来るとは思わなんだぞ。逆にこちらがとはな」



襲撃者の一人が口を開く。その顔には同じく青銅の薄い金属板でできた仮面をかぶっている。つるりとした表面に目の部分にだけ二本の細長い切れ込みが入れられているその顔からは当然ながらどのような表情も伺うことができない。



「あわよくば交渉の余もあるかと様子を伺っていたが……もはや猶予はならん、ここで沈め」



そう言うと襲撃者は腕組みするかのように自らの両腕を交差させた。金平はその動きを見て即座に襲撃者が次に行うであろうことを察知した。



(小刀?毒針か!?)



何にせよ、賊が何かを投げつけようとしていたことは間違いなかった。人や障害物に邪魔をされて剣鉾は敵まで届かない。せめてもと金平は頼義をかばうように彼女の前にその身を投げ出した。


金平は目を瞑る。


しかし、飛んで来るであろうはずだった凶器は金平の元には届かず、かわりに苦悶に満ちた濁った絶叫がこだました。先程何かを投げつけようとした襲撃者は右手を抑えて膝をついている。もう一人も短刀を構えてうずくまった相方の盾となって立ちはだかる。仮面の上からではその表情は推し量れないが、動揺していることだけは間違いなく見て取れた。うずくまっている方の凶賊は右手首から先を消失していた。その足元にはかつてはその男のものだったであろう右手首が船板の上に血溜まりを作って落ちていた。落ちた手首には黒い粘性の液体が塗りたくられた突き刺し刃が握られていた。



附子とりかぶとの毒か。卑劣な真似を」



襲撃者がその毒刃を投げつけようとした瞬間、船の隅で大人しく座していた男が抜き打ちにその手首を斬り落としたのだった。予想だにしない方向からの急襲に異形の襲撃者も対応が遅れ、ものの見事にその手首を斬り落とされてしまった。


金平も驚いて目を見開いた。金平もまた思わぬ方向からの助勢に意表をつかれていたが、それ以上にその男の抜き打ちの見事さに驚愕した。武の熟練者である金平ですら真正面から見ていたはずの今の抜刀の瞬間をを見切ることができなかったのだ。ましてや死角から襲われた襲撃者にはその存在すら気付かなかったであろう。男はそれほどの恐るべき武芸の達人だった。


男は何も言わずに体を半身に傾けて襲撃者の二人に相対した。それだけで二人は船尾の角に追い詰められてその動きを封じられてしまった。全く無駄も隙もない身のこなし、まさに「達人」のそれだった。



「貴様、……!」



地の底から呪うように賊がつぶやく。しかし形成は不利と見たのか、それ以上の無理はせず、二人はそのまま川面へ身を躍らせた。大きな音を立てて水面が波しぶきを立てる。一瞬水面に例の青銅の仮面が浮かび上がったように見えたが、そのままゴボリ、と大きな泡を一つ立てて襲撃者は跡形もなく消え去ってしまった。


襲撃者の気配が完全に消え去ったのを見計らって男は刀を鞘に収め、頼義に向かってうやうやしく膝をついた。



「姫若、お久しゅうござる。大宅おおやけの太郎たろう光圀みつくににござりまする」



男は静かにそう名乗った。

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