相州碓氷峠碓井貞光邸・金平頼義、敵と遭遇するの事

灯りが消されて闇夜になるのを「彼ら」の方も待ち構えていたようだった。篝火かがりびの火が消えて周囲が真っ暗になったのを見計らって、それぞれに身を潜めていた連中が一斉に金平に向かって音も無く襲いかかった。


金平はそれに動ずる事なく、足で湯を蹴り飛ばして水飛沫を立てて彼らの急襲を牽制した。元々本気で殺すつもりで襲いかかる気ではなかったのかそれ以上の深追いはしてこなかったが、それでも思わぬ反撃を受けて急襲が失敗した事を悟った襲撃者たちはすぐさま四方に飛び退き、金平たちを囲う。



「何者か!?名乗りませい!!」



湯帷子ゆかたびら一枚しか身につけていない頼義が問う。襲撃者たちは何も答えず、じり、じり、と包囲の輪を狭めてくる。二人とも当然ながら無手である。文字通り丸裸の状態で武器を持った凶賊に包囲されてはさしもの「鬼狩り紅蓮隊」といえども苦境は免れ得ない。



(ちっ、こんな事なら得物を持って湯に入るべきだった……)



金平が後悔で歯ぎしりする。無論武器を持って入浴するなど不調法にも程があろうが、武士たるもの「常在戦場」の心得を疎かにしていた自分を迂闊うかつさを呪った。どうにもこの箱根の湯につかって気持ちがいささか緩んでいたようだ。



「動くな。動けば余計な痛い目にあうことになる」



囲みの中の一人が言った。暗闇の中でその姿はしかとは見受けられないが、どうも面でも被っていて、その面越しに声を発しているようなくぐもった声だった。



「クク……まあ言うてもみだりには動けまいが。そちらは裸、こちらに対する手立てもあるまい。良き眺めよのう。まあ、その逸物いちもつを晒したければ存分に晒すが良い。我らにはとんだ眼福も……」



そう言って闇の中で笑った襲撃者はおそらく挑発のつもりだったのだろう。しかし発言者はその言葉を言い終わらぬうちに金平の跳び蹴りをモロにその土手っ腹に食らい吹き飛んだ。周囲にいた他の者が思わず「あっ!」と声を発する。この闇の中で、しかも湯の中に膝上まで浸かっていた男がこれほどの速度で動き、襲い掛かるなどと想像だにしていなかったと見える。



「ああん、俺の○○○がそんなに見てえか?なら存分に拝みやがれ!!」



金平は下品な言葉を吐きながら前を隠すでもなく平然とその裸身を晒している。襲撃者たちは動揺した。普通丸裸で人前に晒されればどうしたってその身を縮こまらせて動きを鈍くさせるものだ。そこを狙ってのこの場での急襲だったはずだが、その目論見はこの大男には全く通用していない。同時にこの大男が常人の域を超えた身体能力の持ち主である事も見て取れた。襲撃者たちの間に



(こいつは面倒な……)



という空気が漂っている。


金平は湯船に並んでいた庭石の一つを掴むと残りの襲撃者のいる方向へ力一杯投げつけた。金平の剛力で投げられた石は恐るべき速度で襲撃者めがけて一直線に飛んで行ったが、その石を軽々と避けると、彼らは信じられぬ跳躍力で杉の大木にしがみついた。



「……!?な、なんだあ、お前らは!?」



これまた予想を覆す襲撃者たちの尋常ならざる身体能力に今度は金平の方が驚きの声を上げた。暗闇の中で彼らの姿ははっきりとは捉えられない。だがそれでも金平の目にはその姿が尋常の「ヒト」とは大きくかけ離れていることは感じて取れた。


どの者も背丈は大して高くはない。彼らの姿を異様に見せているのはその「手足」だった。細く、恐ろしく長い。その手足を使って器用に杉の枝や幹に絡みつき、空中で姿勢を保っている。手で掴むのはもとより、足の方でも手と同様にしっかりと枝を掴んで離さない。ちょっと見ただけではどちらが「手」でどちらが「足」なのか判別もつかないほどだ。かろうじて頭のあるなしでどちらが「上」なのか判別出来るといった具合だ。一瞬金平は



(まるで狒々ひひみてえな野郎どもだな……)



と思ったが、襲撃者たちがカサカサと杉の大木を這って進むのを見てむしろ昆虫のそれに近いと思った。上下にも左右にもまるで自在に移動できるらしいその怪しげな動きで襲撃者たちはスルスルと姿を消していく。



「待ちやがれテメエら!なんの理由があって俺たちを襲う!?」



虚空に向かって金平が吠える。闇の中から一言だけ返事が返ってきた。



「『鎌倉党』にくみするならば生かしてはこの地を去らせぬ。これは警告だ。よくよく考えませい……」


「鎌倉党だあ?なんの事だ、おい!」



しかし返事は帰って来ず、それっきり襲撃者たちの気配は消え、冬の寒風が二人の身体に冷たく吹き付けるだけだった。

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